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人生のトランジション期を共にあること POOLO4期を終えて

POOLO4期が終わった。
(これを書いている3月25日に日付が変わった時点ではギリ終わってないのだけど)

コミュニティマネジャーというポジションで携わらせていただいたので、自分も卒業noteを書いてみようと思う。

①始まる経緯が既にエモい

ディレクターSHUKAさんからのPOOLO4期コミュマネオファーがきた。
自分の心臓が跳ねた。

僕はファーストキャリアで福島県の海側にある南相馬市という場所で活動している。
3.11に伴う原子力災害の影響で人口と経済がリセットされた場所で、事業創出をしまくるローカルベンチャー・起業家コミュニティ。
その地の拠点「小高パイオニアヴィレッジ」でコミュニティマネジャーをしている。
2020年春から働き、2年と少々が経ち多少自分なりのスタイルが確立され始めたタイミングでの連絡。
自分の力を試す、幅を広げるという意味でもやってみたいと即断していた。

実はTabippoとの絡みは細く長く、学生時代にはアドレスホッピングをしたいたこともありイベントへのお邪魔などちょくちょくの縁はあった。

2020年春は、世界一周ゼミ13期のコミュマネをお手伝いした。
その時はShukaさん、コミュマネ仲間リョーチン、受講生としてPOOLOにもご参加のヨウコさんは受講生だった。

それが時を経て縁が交差した。既にとてもジーンときてしまう。

②初めての副業でドキドキ

本業の仕事はそれなりに頑張っている。
何もかも初めての1年、わからないなりになんとか形になり始めた2年が終わり、3年目に突入してきた。
しかし元々渡り鳥気質な自分は一つのことだけに取り組んだり、同じ人とだけ付き合う変化のない生活が続くと淀みが溜まってしまう。

そういう意味で大きなストレッチをするタイミングだったり、リアルな話収入を上げるためにも、副業は新たなステージだった。

本業の時間もあまりきっちりとした分け目があるわけではない職種に、さらにPOOLOの両立をさせるのは振り返れば結構大変だった。

特に予期せぬ組織体制の変更、福島/東北における「3月」の怒涛さ、プライベートでも色々と起きた最終盤は非常にメンタルとしてもハードだった。

「委託された業務を遂行する」ことで対価をいただくというワークスタイルは会社で働くこととは全く別物で、満足いく成果を出せていたのかは自分自身疑問だった。

しかしそんな時にもコミュマネ同士で知恵を出し合ったり連携したり、とても素敵な仲間たちが気にかけてくれた。
本当にありがとう。感謝の舞を届けたい。僕踊ったことないけど。

③自分にとってのPOOLO リアルローカルxオンラインユニバーサル

Tokyo-Fukushima-Awajishima 右下のふるちゃんに至っては途中からアメリカに!

みんなにとってのPOOLOは人生やキャリアのトランジションを拓くフックという位置付け。
ではコミュマネとして携わった僕はどうだろう。
僕はコミュマネ畑で食っていく新たな挑戦と実験場と捉えていた。

そもそも僕は、日本のローカルが面白く可笑しく続いていくことで、人口減少社会でも熱量の維持がなされることを成し遂げたい。
まずは福島の沿岸部という、社会の崩壊→創生というフェーズのものすごい渦に巻かれてみるべく修行のためにいる。

ゆくゆくは自分自身がこの地域面白いな、面白くしたいなという渦を作る側になりたい。
元々好奇心が強いことも相まって、自分が普段活動しているオフラインかついち地域のローカルのコミュマネだけで活動を絞らず、あちこちのコミュニティに所属ないし顔を出していた。


そこでオンラインで日本あるいは世界中に散らばる人々のコミュニティには、「コミュニティマネジャー」に求められる要件が違う。

ローカルには「ともにある」ことでの同期がなされる。
まちですれ違った時やイベントで出会った時の「ハーイ」が場を生み出す。
ある種地縁も相まって自然発生的側面がある。

一方でオンラインは分人としての自分の中で接続させたい面を選び、タイミングをコントロールできる。
故に自然発生はオフラインよりもしにくい。
そんな時、デザイン力とビルディング力、マネジメント力、エンゲージ力がより求められると実践しながら気づいてきた。

どんどん物理距離が問題ではなくなってくる時代だからこそ、特定の「コミュニティ」でなくとも、コミュニティマネジャーという職業じゃなくとも、一つ重要な時代になるんじゃないかな。

企業がDiversity &inclusion なんてことを標榜するのも、より多様でたくさんの人と成し遂げたい世界や見たい未来、共有したい価値観を持ってコミュニティ化していくからなのだろう。

自分にとっても「旅」「ミレニアル」が軸にありつつ、タイプの違うコミュマネ同士複数人でやるチームワーク、背景が多様なメンバーとの絡みはさらに視野を広げてくれる、たくさんのものを受け取れた8ヶ月だった。

④先人たちの智慧と、同世代のリアルな声に触れる


文化人類学を専攻していたことや、自分が暮らす地域社会が意外と小さい&変化が早いが故に、結構社会学的なものに興味関心がある。

60人弱のメンバーがもちろん価値なのだが、僕にとっては同じぐらいに講義も価値だった。

研究者、実業家、省庁の方など多様な領域のトップランナー、チェンジメーカーたちが2週間に一回講義をしてくれる。
彼ら彼女の視座、視野から見えるトレンド、それに対して仕掛けていることなどは非常に刺激的で、自分の実践したことや漠然とした直感に対して明快な理論や体型づけをしてくれる。

その時は正直言って???な内容もあったりしたけど、きっと大丈夫、いつかわかる時が来ると信じて実践あるのみ。

ちなみに講義中の展開が早い&業界人と話すように捲し立てる講師陣の話をどう噛み砕いて端的にするかを考えながらログ残しする離れ業には、抽象化能力x寿司打で1.5万円ぐらい出る僕ならではのものだったそうです笑

⑤自分にとっての8ヶ月間

最後に、自分の8ヶ月はなんだったのだろう。
大きなトランジションのために入った/携わったわけではなかったが、後天的に確実なる自己変容が起きた。

・能力主義からの脱却
・肩肘を張らなくてもいい、歪さを受け入れること。
・一人一人の個をそのままに受け取る。物事の美点を見出す。
・答えはなくても良い。その場で結論が出なくても良い。
・同質性より異質性にこそ

自分も小さな業を起こし、地域で何がしかの活動をすることとなったのも、確実にPOOLOというトランジションにある同世代とのふれあいが影響している。
誰もがそれぞれに持つStory of Self が Story of Us になる瞬間を見て、無意識に触発されていたのだろう。

与えるだけじゃなくてたくさんいただく、良き8ヶ月間になった。
きっとこれっきりの関係じゃないし、自分も常に変化をし、変化を起こしていくために定期的に触れ合いたい人とのいい時間でありました。

ありがとうございました!
これからもよろしくね。Buen Camino!

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