冷めた賢者より熱い愚者でいたい
ごきげんよう。
クラファンというものがだいぶ世間に根付いた。
社会的動物である人間を営む皆さんなら、一度は支援お願いします!とダイレクトで来られた経験はあるだろう。
そういう時、関係性の深さが顕著に支援する/しない 額に落とし込まれる。
クラウドファンディングは社会的意義と同時に、どれだけソーシャルキャピタルを保有しているかが勝負。
その人との信用貯金を現金化する行為だ。
※プロダクト型、特にガジェットの場合はそのものの機能の側面もある程度重視されるので、その限りではないことも。
さて、大体5000円、10000円、3万円など個人の可処分所得から鑑みて、それなりの額にもなる。
時々お財布状況を鑑みてウッと考えたり、そこまでの関係性じゃないけどお願いされたり、その人との関係性は別に悪くないけど、PJにはそこまで共感がなかったり、色々と考えることもあろう。
これをなんと捉えよう。
買い物?お布施?寄付?投資?いまだに定義されきっていない。
この時考えていることはかなり理性的判断。
自分の投下資本がどれだけの効用をもたらしてくれるのだろう?というもの。
その観点にて考えれば、クラウドファンディングは通常の買い物より割高な買い物となるだろう。
僕は逆に最近考えているのが、積極的にお金を投下しようということ。
例えば最近見た友人のPJ。
屋久島の自然を循環させることを目的としたサウナを作るPJ。
5000円、10000円は額面としては安くはない。
しかし、こういうときにタイトル回収で「賢く理性的に」より、「熱く愚者で」ありたいと願う。
これは「買い物」をしているのではなくプロジェクトに参画しているのだと考える。
お金はもちろん「体験する」ための価値もあるが、自らのフィードバックでブラッシュアップしていく。
時に誰かを巻き込んでいく。
このようにどんどんと熱狂のムーブメントに、渦の中にい突っ込んでいく。
お金とは使うもの。「関係性」を再定義するもの。
どんどんんと価値・関係性の再定義に活用していこう〜!
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