Venture for Japan 2期生 卒業エントリ
地方経営者直下のポジションで経営力を身につけるキャリア支援プログラムVenture for Japan での2年間が3月で終わりました。
門出のタイミングで、VentureforJapn代表の小松さんと僕の所属する株式会社小高ワーカーズベースの代表和田さんとの対談を記事化いただいたので、そちらをシェアします。
僕の今に至るまでの大まかな経緯や2年間の経緯は上記記事をご覧をば。
本記事は僕目線での振り返りとして筆を取りました。
プログラムが「育ててくれる」訳ではない。プログラムをいかに「使うか」
他人と一緒が嫌だ=何者かになりたいと思っていた学生時代。
友人の影響もあり、将来起業なんてのもありか〜とかのほほんと考え始めていた。
そんなタイミングだったからこそ、安直な就職も起業でもない浮遊感と共にファーストキャリアを修行として選んでみた。
スタート時、2年後起業とかしちゃってんのかなぁ?とか考え、いい意味で自分への期待値が高まっていた。
実際、全然そんなことなかった。
特に一年目は自分の仕事が確立されていたわけでもないしスキルがあるわけでもないので、何をすればいいのかわからなかった。
「え、VFJ生として全然足りなくないか?自分ぬるくね」期待値の大きさゆえこの理想と現実のギャップ、「べき論」で葛藤したこともある。
(このべき論からの解放はまた別の話)
二年目になり、思いきって事業責任者になりたいと啖呵を切った。
組織での人の出入りもあるタイミングのため、その希望は通った。
いざなってみると、見える視座と時間軸が大幅に上がった。
ベチャベチャのベンチャーという文言をこないだTwitterで見てハハっと笑っていたが、思い返せばがまさしくそんな感じ。
なんとか整ってないところを整え、飛んでくるボールを打ち返しつつも同時並行で未来軸のことを考えて、やっとこさ最低限自分が戦力になっているかな、という実感を持てるようになった。
嵐のように過ぎ去る日々の中、定点観測のための月一のメンタリングは小休止の時間。
メンタルグラフを描き、地域に移りたての時は生活面や小さな壁も成果もメンターの方と共有した。
段々と仕事の抽象度が上がってきた時は、その方の経験談や知見を大いに参考にさせていただいた。
半年ごとには一度現場から離れて1Day or2Dayの研修。半年、1年間など長期的目線で振り返る。
未来と今をつなげるべく、改めてキャリア像を描く。
俯瞰すると、自分が半年で考えていること、思い描いているもの、悩んでいるものが全く変わっている。別人レベルに。
普段はバラバラの先輩1期生、同期の2期生、後輩(年が上の人もいるので後輩?という感じでもないけど)の3期生とも顔を合わせる。
半年で一皮むけ、画面越しではわからない、纏う空気感も一段と変わっている。
環境や役割こそ違えど、同じVFJマインドを持つ同志と会うのはとても刺激になる。
そういう観点で、プログラムを大いに役立てたと思う。
10年後20年後を見越して丁寧に育てられる体制と体力のある組織ではなく、まさにちょっと気を抜けば、環境の変化で生き死にが決まるようなところではのんのんとしていられない。
ボスができることといえば信じて任せるしかない。任された我々VFJは必死で頑張る。
組織の中で代替不可能なポジションになることもあるので、やるか、やらないかというより「やるか」、「やるか」しかない。
唯一無二性はプログラムにより担保されるのでなく、機会を前にして自分で道を選び、壁と向き合い、出力の積み重ねで選択を正解にしていくことでしか生まれない。
二年越しの問い。当の自分は何者なんだろうか
一個下の3期生は5人のうち二人が起業し、1年間でプログラムからは卒業した。
本当にすごいことだと思う。
尊敬はする。が、驚きはない。
その時、本気でやりたいことの実現のために起業が最適な手段だっただけに過ぎない。
VFJでも口酸っぱく言われる。起業を目的にするな、手段でしかないと。
というか、起業したいっす〜!というやつはじゃあやれよという話で、きっとVFJの門戸をくぐることはしなかっただろう。
きっと彼らもキラキラを追い求めてではなく、茨の道ではあろうと自分のやりたいことを純度100%で世に出すため、業を起こすことを選んだのだろう。
当の僕といえば、2年間で気づいたことがある。
自分自身、別にそこまで起業に興味がなかったことに気づいた。
これはあくまで旗振りタイプではないこと。
(裏を返せば責任を取りたくないという逃げではないか!?否。自分の性質だと今は納得している。)
ストレングスファインダーなり、メンタリングなり、いろいろな診断書なりをみてつくづく思うのは、「他者ありき」な自分の性質。
前提、その人にはその人の世界の見え方がある。
自分ではそれは逆立ちしたって、どんなに「わかるよ」なんて言ったって、最終的には100%重なることはない。
その「わからなさ」こそが自分にとっての一番の楽しみで、こいつはどうしてそう思ったんだ?どうしたいんだ?というものにどうしても惹かれてしまう。
そんな僕は、「誰か」の描くものをどうやって実現させるかに一番興味関心がありる広報運動化気質として、CxO的に動くのが楽しいなと実感した。
だから別に自分で旗揚げしなくたっていい。
実際、今もなんでも屋という感じ。
組織づくり的なところにもちょっと噛んだり、プロデューサー的立ち回りもすれば、人前に出るフロントマンとしてもやる。
求められれば道化だって演じるエンターテイナーにもなって見せます。
人の機微を読み取る右脳的な脳みそと事業をロジカルに組み立てる左脳的な脳みそ(こっちはまだ頑張らんと)をハイブリッドに回すべく修行中。
過去、何者かになりたいって承認欲求から来るものだった。
そういう意味で問いの意趣返しになってしまうけれど、
ラベルを手に入れるというレースから降り、その時その時に、誰かにとっての何にでもなれる、半分何者でもないハンパもんの存在である自分を赦したのだった。
何者かなんてどうでもよくて、どうあるかというところに落ち着いた。
↑学生時代の僕まさにこんな感じででした
これから:南相馬に残り、もうしばし酸い甘いをしろう
さて、これからについて。
ここからはFBにも書いたことをほぼ転記
二年で自分がまだまだ知らないことを知った。
知欲がたまらなく刺激されている。
その発散と収束の場所としては、人どころには南相馬がいいんじゃないかと思っている。
適度な競争環境が生まれてきた中で、組織やブランドアイデンティティを問い、そしてサービスを磨き続けることで適応しようと成長痛を起こし始めている。
地域もどんどんと変化が加速し、ヒトモノカネ情報の流動のダイナミズムが生まれるフェーズになってきた。
うむ、面白い。
カオスを食って生きているのかもしれない。
個人的キャリア的の話で行くと、事業構想大学院大学の仙台校が南相馬市と組んで始めたプロジェクトに研究員と参加させていただけることに。
鹿島区の人気サービスエリア「せでって鹿島」を基盤とした事業創出を一年かけて学びながら実装してみよう、というプロジェクトである。
会社の人間としてお邪魔するので、ただ僕の考えた最強のプランではなく地に足つけて、組織にも何がしかの還元がいくことを考えねばならない。
行政、企業などと組んでいかに新たな価値を生んでいくかという共創フェーズ、どんな座組みを作れるかがキモになるかな。
このプログラムを通じてある程度体型的に学び、闇雲に点を打っていた仕事やスキルを線や面にし「やりたい」を実現できる力を身につけていこうと思う。
最後に感謝を。
VFJとしては一区切りがついた。
組織には身を置き続けるものの、また新たなものが始まろうとワクワクしている。
ただ当然、ここには数えきれない人からの助けがあり、ここに立っているもので、最後に感謝を記して終わろう。(ここからは敬語にて)
VFJの運営の皆様
まず、自責思考の型とそれに耐えうるビジネスマンとしての足腰、そして自分のありたい未来を見つめる機会をいただき、ありがとうございました。
それを元に、自分のBizDeVxコミュニティマネジャーという畑で力を伸ばしていこうと思います。
自分の中での就活の漠然としたこうじゃなきゃ、という呪いをといてくださりありがとうございました。
組織にいたらいたで、みんなと一緒に一人じゃできないことをやろう。
そん時他に誰もいなけりゃ、一人でもいいからまずやってみよう。
起業は手段であり目的じゃないと心得ているからこそ、誰かにとっての手足となれるようもっとカードを増やします。
そんで自分でこれはやりたい!というものがあった時、すぐに実現できるようにもっとももっといろんなものに触れ、貪欲に学んで実装に活かします。
会社の皆様
謎の経歴の若者を受け入れてくださりありがとうございました。
これからも一緒に自分たちで欲しい未来を作るべく邁進していきましょう。
公私ともどもこれからもよろしくお願いします。
(個人的に、もっと遊びましょ!)
地域の皆様
同若者がどんどんときて顔も覚えられないぐらいになってきていると思いますが、ひとえにあなたがた一人一人がこの地域で生き、暮らし、営みを絶やさなかったことで紡がれて生まれた光景です。
未曾有の大災害から立ち上がることは字面や人の情報で聞いても、僕の想像に収めるなんて烏滸がましいぐらい並々ならぬことでしょう。
本当に尊敬しています。たくさんのものをいただいている分、2倍、3倍で返し、僕もバトンをつなげるように頑張ります。
VFJの同期・先輩・後輩
楽しさと苦しさを共有する仲間でいてくれてありがとうございます。
いつも触発されています。
特に同期の相方は、僕と真逆の強み弱みを持っていたため、保管関係として色々相互に学びましたね。
VFJの繋がりが大きくなって、一人一人が粒だっていつかVFJマフィアと呼ばれる日を楽しみにします。
家族の皆様
まず、丈夫な体に生んでくれてありがとうございます。
ちょっとだけ最初は移住太りしましたが、今は筋トレ仲間みたいなのができて体型維持も頑張ってます。
莫大な金銭資本と、文化資本を与えてくださり今の自分が成り立っているということをひしひしと感じています。
いつまでも、あると思うな親と金を肝に銘じて三兄弟の中で一番まともで、一番飛躍した太郎になれるよう研鑽し、早いうちに親孝行します。
今年はおじいちゃんを南相馬に連れてくるのが目標。
改めてここには書ききれないけど関わりを持ってくださった方に愛と感謝を込めて、御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
Venture for Japan 二期生 野口福太郎
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