【アーティストインレジデンスは、現代のまれびと信仰だなというハナシ】
小高で開催されているアーティストインレジデンス「群青小高」。
昨年に続き今年度も開催され、幸運にもご近所なので間近で体感することができました。
一名は写真家さん、また一名は音楽家さん。
写真家の方は、震災後のそのままの姿の小高幼稚園にて写真展を行なっていた。
彼女とは少し言葉を交わせた。
都市から地方に移ることが身体性の回復につながる効用があることを再認識させてくれた。
音楽家の方は、小高駅で弾き語りのライブコンサートをやってくれた。
地域の人がこぞって集い、僕は幼稚園生が座るちーーいさい椅子に座りながら、時折通る電車の振動を尻で、それに合わせて声のボリュームを大きくする彼の声の空気の振動を全身で感じれた。
二人とも、小高に地縁なく来訪し、2週間小高という場所を五感全てで吸収した上で、創作の地肉にしていた。
二人ともポロッとこぼしていたのは、生み出すことに苦しんだというもの。
単なる産みの苦しみとも違って、「この土地、風土」を吸収した上で、それを土台に生むことは、この地域とは何かという文脈の粋を各々の表現技法で、しかも限られた時間で生み出さねばならないことは余計大変そう。
でも、歌も写真もとてもよかったです。
そこで思い出されたのが「まれびと」という概念。
Wikiより↓
まれびと、マレビト(稀人・客人)は、時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在。
寝泊まりしたりしてお金を落としてくれたり、ときにムラ社会における同質性を崩すスパイスとしても機能する。
AIRとまれびとについて。
土地の者は床を整え、ときに我々とは、この地域とは何か?を「もてなし」により積極開示していく。
他方まれびとは、移住者としての同質化をゴールとせず、異邦人でありながらこの地に積極的に入り込み、何かを産み落としていく。
その産み落とし/産み落とされる過程を通じて、「我/彼」は何者かを相互に再認識できるようになる。
産み落とされた物はその地域の資源となり、ときに次なるまれびとを招いたり、新たな地域の文脈を紡ぐ芽になっていく。
アーティストインレジデンスは、現代のまれびとなのかな、と感じたおはなしでした。
第二弾の方は10月に来訪予定とのこと。
楽しみだぜ。
情報発信はこちらのインスタにて開催されているようです。
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