屍(しかばね)の上でフグを食う。真の「失敗」とはなにか?
ふぐ食カルチャーは多数の犠牲の上で成り立ってる。
ぷくっと膨れるあいつ。調理免許がないと毒で死ぬやつ。
この前山口県に行ったとき、初めて食べたけどうまかった。
ところで僕らはいつからフグを食えるようになったんだろうか。
こちらのページによると、ふぐ食は日本で縄文時代にはすでに食われていたらしい。
ここで幼い頃にみた、なにかの雑誌だか図鑑だかでの記憶がフラッシュバック。
ふぐを食べてみたら毒に当たって死んだ。
次にある部位を取り除いて食べたやつがいた。そいつも死んだ。
さらに別の部位も取り除いて食べたやつがいたが、死んだ....
ついに、食べても死なない部位を探り当て、ふぐはめでたく食べられるようになった。
当時はけっこうコミカルに書いてあったし、幼子頃だから特になんとも思わなかったが、今考えてみると結構クレイジー。
そして不思議とあったこともない死に急ぎ野郎たちに感謝の気持ちが湧いてくる。
次ももしかしたらだめかもしれない。
それでも多くの人が命をはって、一つづづ部位を取り除いて、集合知が結集してまず食べられるようになった。
そういう意味では、僕らは多くの人の死の上に立ってふぐをエンジョイしている。別にだから食べるなとか言うわけじゃないんだよ。ふぐすげぇなって純粋に思った。
ちなみに今でも年間20~30件ぐらいふぐ中毒は起きている。(厚労省調べ)
幸か不幸か、ここ数年では死んだ人は一年にそのうち1人いるかいないかぐらいだが....
話題は変わるかもしれないが、これを演繹的に考えれば、エジソンが残した有名なセリフが思い出される。
「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」
トライは必ずしも成功には結びつかないが、確実に次の成功への実験材料になる。諦めずにトライし続ければ、いつかはたどり着く。
なにかに挑戦すること、それ自体が尊い。
たとえ失敗しても、ナイストライと挑戦するものへの称賛と経緯を持てるといいよね。
日本人に身についている切腹カルチャーは過去のもの。
海外でもハラキリ"Harakiri"としてWhy Japanese People!?案件。
ほんとうに今は挑戦しやすい世の中になった。というか、ビビって踏み出さないいのはむしろ先人たちに失礼であるし、何より後悔して死ぬ。
最悪死ななければ何度でも立ち上がれる。
もし仮に死んだとしても誰かが骨は拾ってくれるさ。
むしろ挑戦する人にはこういうようなマインドセットのほうが結果的に攻める思考を持てて、成功に近づけるのではないか。
そうやって世界は前進している。
幾重にも重なる屍の上に立っていることに自覚的であり、屍にリスペクトと感謝をもち、挑戦そのもののプロセスを楽しもう。
最後に、ジョジョの奇妙な冒険第7部「スティール・ボール・ラン」の登場人物スティーブン・スティールの言葉を締めに、お別れしよう。
前例のないレース開催に記者から失敗に関して突つかれながらも、こう言い切れる精神は見習いたい。
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