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不満と書いてHumanと読む

歳を取るにつれて自分でコントロールする領域が増えた。

暮らしかたも、持つものも、予定も、所得も増えた。

一般に、増えることは豊かだ。
けれど、厄介なことに「豊富」と「幸福」は必ずしも比例しない。

特に物質的なものはその傾向が強いと感じる。

お猿の時代は火がついただけで、雨が降っただけで、食事にありつけただけ、この上なく嬉しかったはずだ。

いつでも火が欲しい。雨ばっかに頼らず作物が欲しい。もっとうまいもんが食いたい。

人間はいつだって不満だ。
たえず行動の原理には「不」との闘いがある。

仮にその「不」を解消したとて、さらに副次的に生まれる「不」が目についてしまう。
そうやって僕らは足し算をしてきた。
ちょうどそんなことも以前書いたので良ければそちらにも目を通して欲しい。

ところがこの足算というのはこれまた厄介なもので、しばらくするとテクノロジーの進歩やらなんやらで、いつの間にか標準、基準となってしまう。

そして僕らの感覚もそれに慣れて、もはやそれ以下は考えられない、という風に変わってしまう。

それを下回ったり、失った時にとてつもないダメージを喰らってしまったり、悲しみに明け暮れてしまう。

スマホが無くなったら世界は大パニックだし、この前はSlackの障害が起き、Twitterの全世界版トレンドで1位になり、阿鼻叫喚の声で満たされたいたぐらいだ。

さらにメタ的な話をすると、電気が通ってて当たり前という認識がある。

足し算的なものは、なかなか意識できないものの砂上の楼閣なんだ。

本当に必要?それ。

と、いうもので溢れている。

最近だとテレワークでもなんとかなっちゃう事で、また出勤するのか否かという議論がバッチバチにあちこちで交わされているだろう。

足算でできたスタンダードが惰性で残り、これまたテクノロジーという足し算でできたモノで、「出勤をやめる」という引き算をする絶好のチャンスとはこれいかに。

冗談はさておき、足算的に増やしたモノには、管理する必要が出てくるということです。
管理するということは、失わないように、暴走しないように、取られないようにetcコストってわけですな。

必要なものだけ残し、削る・捨てる・辞める勇気を持つのは、そのプロセスが必要だけど、まぁなんとかなりますよ。よく考えればNice to Haveなモンばっか。

お仕事ではそうは言っても大人の事情で動かせない物があるから、まずは自分のコントロールできる領域から変えよう。

スリムに・シンプルに・身軽に。

僕は元々ミニマリストからアドレスホッパーになったので、そう苦労することもないだろう。

最初は凝り固まったたスタンダードがあるから、ギャップに「不便だなぁ」と思うかもしれない。

けど、その「不」を別の今ある何かで代用したり、ちょっとの工夫で補ったりできる。意外とクリエイティブになれるんだ。

ほら、さっきの記事の見え方がちょっと変わってきたでしょ。

足算方向へ働く創造性と、引き算をした時に補うために働く創造性。

以外とそっちも楽しいもんだ。

僕は別に説教くさく「足るを知れ」なんていうつもりはない。

ただ、たえず積み減らしをし、自分にとっての中庸へと向かうそのプロセスを楽しんだらいいと思う。

不満と書いてHumanと読む。
いずれにせよ不完全生命体な僕らは、満たされない方がいいかもね。

おあとがよろしいようで。


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