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バレエはなぜフランス語?? ~ルイ14世の功績~

こんにちは!
ただのバレエ好きのあゆみです。

前回の記事で、ルイ14世とバレエの関係に触れました。
まだ読んでない方は、そちらを読んでから今日の記事を読んでいただいた方がわかりやすいかと思います☺️


さて、今日は、
ルイ14世のバレエ界の功績
を書いてみたいと思います。

これを読めば、タイトルにある通り
「なぜバレエがフランス語なのか」
を紐解くヒントが見つかると思うのでお楽しみに~

それではスタート!!



ルイ14世のバレエ界の功績

彼が国王をしていた72年間で、
バレエを体系化することにものすごく尽力しました。

その理由は、主に3つで、

  • バレエが大好きで、自らも優れたダンサーだったこと

  • 貴族たちを治めるためにバレエを義務化していたこと

  • バレエを「より技術的で独特のフランス的なものにしたい」という考えから

今回は3つ目の理由のところにフォーカスを当ててみていきます。
(上2つは、前回の記事で詳しく触れたので、そちらをご覧いただければ嬉しいです。)

ルイ14世は当時貴族のたしなみ・礼儀作法として行われていたバレエを
アートとしていち早く認識し、後世に残していこうと考えていたのではないでしょうか。

彼が後世に残した功績は主に3つ

  1. 5つのポジション

  2. 舞踊記譜法

  3. 王立舞踊アカデミー

ここから1つずつみていきましょう。


1.  5つのポジション


バレエでは、手と足のおく位置(あるべき位置)が決まっていてそれを
「ポジション」
と言います。

バレエの5つのポジション〈http://www2s.biglobe.ne.jp/~yamahome/baletwd1.htm より引用〉

この5つのポジションはバレエの基本中の基本
これがなければバレエは始まらないですし、
世界どこでバレエのレッスンを受けても、支障なく受けられるのはこのポジションのおかげだと言っても過言ではないと思います。
そして、他のジャンルと区別する目安にもなっています。

この5つのポジションを決めたのは、
ピエール・ボーシャン  
Pierre Beauchamp

というルイ14世のバレエの先生をしていた男性ダンサーでした。

ピエール・ボーシャン〈https://ja.wikipedia.org/wiki/ピエール・ボーシャ より引用〉

ピエールは、振付家・作曲家としても活動してました。
この後も名前が出てくるので、頭の片隅にこの名前を置いておいてくださいね!

今回は5つのポジションについては詳しく解説しないので、
代わりにYouTubeの動画を貼っておきます。

ポジションについて詳しく話すnoteは、必要性がありそうだったらそのうち書くかもです!


2.  舞踊記譜法

バレエの振り付けを、譜面に起こす方法。
ダンスノーテーションとも言います。

今みたいに、映像で振り付けを残せる技術はまだあるわけもなく、
振付家が亡くなった後も振り付けを残していくために開発されました。

ボーシャン=フイエ記譜法〈https://www.wikiwand.com/ja/ラウール=オージェ・フイエ より引用〉

現在、この舞踊記譜法を使うのは、ほとんど専門家のみで、
私はバレエを20年ほど習っていますが、一度も舞踊記譜法を見聞きしたことはありませんでした。笑

舞踊記譜法にもいくつか種類はあるみたいなので、
そのうち詳しく勉強してみようかと思います。
勉強したらまたnoteに書く日が来るかもしれません…!


ちなみに、最初にできた舞踊記譜法は、
ボーシャン=フイエ記譜法
と呼ばれていて、
ピエール・ボーシャンが開発したものを、ラウル・フイエが改良して作られたものです。

ラウル・フイエは
フラン氏の振付家、舞踊教師、著述家
という肩書きを持っているみたいです。

ラウルの名前は、この舞踊記譜法でしかみなかった気がします。
もしまたこの先も出てきたら
その時はすぐ報告します!


3.  王立舞踊アカデミーの設立

1661年、ルイ14世によって設立された王立舞踊アカデミー。
世界最古のバレエ学校と言われています。
また、現在のパリ・オペラ座バレエ団、同バレエ学校の起源にもなっており、
設立の目的は、「舞踊の正しいあり方をフランス国内に普及させるために、バレエの研究・教育を組織的に行うこと
そして、職業としてのダンサーの育成だったみたいです。

現在のパリ・オペラ座バレエ学校〈https://www.christiandeportzamparc.com/en/projects/paris-opera-ballet-school/ より引用〉

その背景にあるのは、ルイ14世自身が加齢(と肥満)により踊れなくなったことでした。
王が踊らずとも、それまでに築き上げてきた基礎を体系化し発展させていきたかったのです。

初代バレエマスター任命されたのが、
ピエール・ボーシャン
ジャン=バティスト・リュリ
の2名です。

ピエール・ボーシャンは先述の通りです。
リュリは、ルイ14世が「太陽」に扮し務めた『夜のバレエ』に出演していたダンサー/作曲家で、ルイ14世にすごく気に入られ、王室専属の音楽家としても活躍していました
リュリの名前も今後のnoteに何回か登場するので、頭の片隅に置いておいてくださ〜い!!

〈リュリの写真〉

王立バレエアカデミーが設立され、専門家としてのダンサーが増えることで、ダンスの質も貴族が踊っていたものから変化していきます。
1671年にはパリオペラ座が開場、1713年にはオペラ座の中にバレエ学校が設立されます。

こうして、
職業としてダンサーが生まれ始めました。


まとめ

バレエのポジションやステップにはフランス語がつかわれていますが、
そもそもどうしてフランス語を使うのでしょうか??

その答えは、最初に体系化を行ったのがフランスであり、
その後の発展もフランスを中心に行われたから
だと私は考えています。

もし最初に体系化したのがルイ14世ではなく、他の国の王様なら、
バレエは別の言語をメインに使われていたことになるかと思います。

ステップやポジションなどの、統一言語があるおかげで、
言葉が通じない国に行ってもバレエのレッスンを受けることができるので、すごく助かります!!
(もちろん細かい指示や注意などは言語がわからないと厳しいかもですが…)

ルイ14世がバレエ大好きだったおかげで、
今日も私はこうしてバレエのことを考え、バレエの動画や公演を見るのを楽しみに生きていられるので、
すごく感謝しています。


さてさて、次回ぐらいに、宮廷バレエの時代を終わりにして、そろそろロマンティックバレエの時代に入っていこうかなぁと思います!
各時代の概要はこちら⬇️の記事をご覧ください!


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覗いてみていただけたら嬉しいです❣️


今日も最後まで読んでくださりありがとうございます!
それではまた〜

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