筆を置く、覚悟
まるで何かに取り憑かれたようだ。
書くことが好きだ。
好きだ。
好きだ。
好きだ、好きだ!!
私は、この時代に生まれ育って幸せだと思った。
「好きを仕事にしたい!」
そんな、夢のような話が現実になったのだから。
文明の利器と、いつも支えてくださる皆様に感謝しなければならない。
仕事がある、その事実に感謝しなければならない。
書くことを出来る限り続けなければならない。
そう、自分自身をいつしか縛り上げていた。
私にはこの道しか残されていない。
書くことだけが私の取り柄だ。
書かなければいけないし、書くことを止めてはいけない。
好きを続けるとは、とてつもなく苦しいことでもある。
好きで好きで続けているからこそ、ダメな自分と向き合わなければいけない。
自信をもっているはずの分野においても、飛び込んで見ればもっと凄腕の手練はたくさんいる。
無理して自分の偏差値より上の志望校に入ってしまったら、周りは怪物ばかりだった…というような。
自らの限界を思い知らされる。
そして、いつしか自分を追い込んでしまう。
好きを仕事に出来ることは幸せなんだ。
私は書き物をしていられれば幸せなんだ。
贅沢なんか言っちゃいけない、私は今とても幸せなんだ。
そう、思い込もうとしていた。
でも、実際は苦しかった。
怖かった。
活字と日付が果てしなく延々と追いかけてきて、気が狂いそうだった。
淡々とこなしていくには、私の覚悟が追いついていなかったのだろう。
書くことに慣れて、お仕事が安定していただけるようになったら、途端に味気ないと思うようになった。
私の中で、生意気な挑戦心がまた騒ぎ出したのだ。
Twitterが好きだった。
特に、交流をするのが好きだった。
人と人とがつながる感覚。
ライティングをしているとき、私は孤独だ。
たった一人で、文章と向き合う。
その時間も好きだったけど、なかなか深く入り込む時間を取れなかった。
仕事でも、人と人をつなげることに挑戦してみた。
楽しかった。
心を交わすことが、交流することが、私のエネルギーになっていった。
私は、私が変なやつだということは知っている。
ライターのくせに、企画を立てるのが好きだ。
新しいアイデアを、どんどん持ち込むのが好きだ。
これがどういうことなのか、私にはよくわからなかった。
しかし、先日友人と話していたらわかった。
「かなえは、編集とか校閲が向いていると思うよ。ライターだけやらせとくのは違う。ディレクターになったら?」
そう、あっさり言われてしまった。
ちなみに、言われたのはこれが初めてではない。
私は、純然たるライターだと思っていた。
ライター以外の仕事は、務まらないと思っていた。
私の中で、私という人物の定義が崩れていった。
ライターじゃない。
私はライターじゃないのかも知れない。
ただひたすらに、がむしゃらに走ってきたけれど、違うのかもしれない。
私は、私を見つめ直すべきだ。
きっと、今がその時なんだと思う。
半年ほど前、ある経営者の方とツイッターのDMでお話した。
とてもありがたいお話だった。
でも、がんじがらめだった当時の私は、動けなかった。
今なら、あれもまた同じことを言われていたのだと思う。
私はライターじゃないのかもしれない。
すでに、これは疑いではなく確信の域だ。
だから、私は決めたのだ。
一度、筆を置こうと。
書くのをやめてみようと。
書かない分、自分が本当にやりたいことを探していこうと。
今でも、書く以外のやりたいことはたくさんある。
書くことだけじゃなく、もっと広い世界で自分の居場所を探していきたい。
書くだけではない。
私の武器はそれだけにとどまらないのだ。
だから、一度筆を置きます。
と言っても、ますますTwitterをやるようになったり、ますますnoteを書いているかもしれないので、そこはそれとして温かく見守っていただければ幸いです。
私は筆を置く。
これは、その覚悟と自分への期待を込めて書き記したものだ。
お読みいただきありがとうございました。
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