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夢追い人は楽じゃない

在宅ライター、フリーランス。
他に拠り所を持たない、一本立ちした働き方。

肩書としてカッコ良く、聞けば「ほぉ〜」とため息さえ漏らしそうな。
漠然と抱くイメージは、自由で、スキルとキャリアが必要で、なるのは難しい…そんな印象。

私は、今それに近い仕事をしている。
私が名乗る肩書は『在宅Webライター』。
テキストで並べてみれば、差なんかない。
あるのは、私個人の定義の差だけ。

細かいことはおいておいて、物書きになるのは幼い頃からの夢だった。
今の仕事は『念願叶って』そう言えなくもない。
でも、私は安易に「私は、夢を叶えたんだ!」と、公言するつもりはない。

だって、まだ自称ライターみたいなもので、夢を叶えたと言うには程遠いから。

夢追い人になるつもりはなかった。
だけど、夢追い人になってしまった私。
無様で滑稽な半人前ライターは、今日もせっせと働いている。

夢見る子供が大人になったら

小さい頃から、文章を書くのが好きだった。
ベタだけど、小学校の文集には「小説家になりたい」と書いていたし、中学生になればノートにだらだらと物語を書いたりしていた。

たわいない、夢物語。
少年少女、誰もが描く幻想。
時に、稚拙な文章で魔法世界を綴り、時にマンガでバトルファンタジーを描いた。

マンガを読むのも、小説を読むのも、同じくらい好きだった。
そして、それは自分が生み出すことにおいてもほぼ同じ。
どちらも等しく好きで、大切。
なにはなくとも、ノートとシャーペンがあれば私は幸せだった。

そして、それは今でもほとんど変わらない。
ただ、今は文章を書くということを『ライター』という肩書に乗せて、切り売りするようになっただけのことで。

自分が書いた文章を『商品』あるいは『サービス』として提供できる!
これは、学生時代に下手くそな字で支離滅裂な物語をしたためていた私からすれば、ものすごく価値のあることだ。
夢にまで見たことでもあり、「おおおお!」と、唸っちゃうようなことでもある。
でも現実問題、今の私がどれだけすごい事をしでかしているのかと言うと、そうでもない。

私が『ライター』を名乗れているのは、時代の流れがそうさせているに過ぎない。
クラウドソーシングサービスが世に浸透し、在宅ワークが珍しくない現代。
Webライターを名乗ろうと思えば、思い立った翌日にでも名刺一つで実現可能だ。

高望みさえしなければ、実績を積み上げていくことも出来る。
誰でもなれるし、誰でも出来る。
平たく言えば、そんな世界。

でも、それで『稼ぐ』というと、意味はまったく違う。
それは、Webライターを名乗るようになってから9ヶ月が経とうとしているものの、未だ底辺でうごめいている私が嫌と言うほど知っている。

安定と報酬と自由について

私は現在34歳。
2児の子持ち主婦兼在宅Webライターだ。

子供を産む前は、OLをしていた。
すでに退職して9年以上になる。

高校を卒業してから就職した会社に今も勤め続けていれば、勤続16年目だろうか。
ただのしがない経理事務だったが、続けていれば手取りで20万円もらえていたかもしれない。
あくまで、想像に過ぎないわけだが。

通勤時間、往復2時間半。
正味の拘束時間は通勤2時間半、勤務時間8時間、休憩1時間の11時間半に及ぶ。
それでも、社会保障があり、固定給があり、夏と冬のボーナスがもらえて生活が安定している…これって、すんごいことだと思う。

一方で、Webライターとして、サラリーマンと同等の報酬を手にするのは容易いことではない。
ライターが報酬を語る時、よく耳にする「文字単価」。
即ち、「一文字あたり○円で仕事を請け負う」という一つの指標だが、これは正直あまり参考にならない。
というのも、一文字いくらかわかっても、時間数には換算できないからだ。

わかりやすく、一文字1円の文字単価だったとして、1時間に1000文字書ければ時給1000円と同等ということになるが、ライターの仕事は書くことだけではない。

『書く』よりも先に『リサーチ』がある。
なにかを伝えるためには、まず伝えたいことを学ばなければいけない。
学んで、噛み砕いて、記事にする。
言うのは簡単でも、それはかなり頭を使うし気も使う。
そうやってしっかり汗水かいて、書き上げた記事。
書くのに1時間なら、調べるのには30分以上、確実にかかる!!

文章を書くのが好きでも、このリサーチこそ大の苦手という人は多いのではないか?
なにを隠そう、私自身はリサーチが大の苦手。

作業がスマホだからとか、そんなことは言い訳にならなくて、リサーチして頭がパンパカりんになってるときこそ「ライターって、辛い…しんどい…孤独…」と、感じる。
しかし、それを抜けないと文章が書けない。
世に送り出せるほどの知識が詰め込めない。

リサーチの時間は削れないし、クオリティを保つために必要な時間だ。
そうなると、1000円の記事を書き上げるのに90分。
時給に換算すると、時給700円にも満たない。

実際には、もっと早く書けるかもしれないし、単価も上げられるかもしれない。
しかし、在宅ライターを始めてしばらくは、文字単価1円をなかなか超えられないのが実情だろう。

ライターで年収8桁などという話を耳にしたりもするが、それはごくごく一部。
ライターの道で成功を収めた覇者の言葉だ。
みんながみんな、鵜呑みにしてはいけない。

輝かしい実績、成果、報酬、それらは明るみに出ていても、そうなるまでの辛く苦しい道のりについては、触れられていないことも多いから。

下積み期間、と言ってもいい。
フリーランスの辛いところは、頼りどころがないところ。
弟子入りすれば、師匠がいる。
大工でも寿司職人でも、下積み時代は辛いものだろうが、働いていれば技術を学びながら給料を得られる。
やがては独立の道も見えている。

しっかし、在宅フリーランスはなんの保障もなく、下積み時代を一人で踏ん張らなければいけない。
私にとって、今はそれが一番のネックだ。

たいした報酬を得られずとも、持てる精力をつぎ込まなければ仕事にならない。
時には食事の時間、睡眠時間、子供との憩いの時間を削っても、ライティングに充てる。

なぜそこまでして書かなければいけないのか?
どうしてこんなに苦しまなければいけないのか?
自問自答することもしばしば。

こんなとき、OLだったら「はぁー」とため息をつきながら給湯室に逃げ込んで、気晴らしにティーパックのフレーバーティーでもすすっていられるのに…なんて、ありもしない妄想まで飛び出す始末。

いや、OLが楽だと言いたいのではない。
休憩時間コミコミの勤務形態と、完全出来高の仕事の差。
なんだかんだ文句が言えたり、逃げ場があるのは恵まれていることなのでは、と感じるのだ。

考える限り、在宅ワークなんてものに自由は無い。
有給休暇があるわけでもないし、ピンチヒッターがいるわけでもない。
自分が取ってきた仕事は、全て自分がこなすわけで。

そこにのしかかるは、クオリティと納期の両立という並々ならぬプレッシャー。
これを好んで仕事にしようという人の顔が見てみたいものである。

完全出来高の苦しみ


私は在宅Webライターとして活動を始めて9ヶ月になるが、今まで何回かすんごいスランプに陥ったことがある。

スランプと言うか、現実逃避だったのか。
それは、ライターを初めて二ヶ月目のこと。
『電子書籍を書いてみませんか?』という、夢のような仕事に出会った。

報酬は激安特価だったが、私はその仕事に飛びついた。
『物書き』になって『出版』する。
それは、もう夢の中のまた夢のような話!
当時、私はまだ在宅ワークの底しれぬ恐ろしさを理解しておらず、夢見心地で『電子書籍』の仕事に応募した。

そして、無我夢中で24,000文字の原稿を書き上げ、納期から一週間遅れで無事納品した。

やり遂げた。
どんな形であれ、企画から自分でアイデアを出し、企画書を作り審査を経ての執筆。

執筆期間もさることながら、その全ての工程を終え、なんとか無事に走り抜けることが出来て、すっかり安心してしまったのだ。

私は、ひとかけの達成感と、脱力感に襲われた。
そう、気が抜けたのだ。
気が抜けて、しばらくの間、まったくの腑抜けになってしまった。

どれくらい気が抜けていたかと言うと、丸々、一ヶ月くらい。
もちろん、その間の仕事はオールストップ!!!
…今考えれば、当時お付き合いしていたクライアント様は、神のような方々だった…。

おわかりのように、スランプに陥ろうがなんだろうが、周りは待ってくれないし、働かなければ当然報酬は発生しない。

あまりに厳しい現実に、翌月の振込明細を見ながら口をあんぐり開けるしかなかった。

自分自信が働けないことについて、働かなかったことについて、誰も弁明なんかしてくれない。
やらなかった自分が、ただただ悪いだけ。
だから、仕事はこなさなければならない。

請け負った以上、成し遂げなければならない。
これは一種の強迫観念だ。
でも、明日の我が身を思えば、是が非でもなにがなんでも、形にしなければいけないのだ。

底辺をさまよう私の展望

現在、底辺ライター真っ只中の私。
取り急ぎ、底辺ライターからの脱却を狙って、次なる行動を起こそうというところである。

幸いにして、私は結構しぶとい口だ。
一度決めたら成し遂げなければ気が済まない、どうにも頑固な一面も持ち合わせている。
それがなければ楽なのにと思う時もあるがまあ、それが私なので仕方ない。

在宅Webライターは、楽ではない。
きっと、この先もちっとも楽ではないし、どうなるかもわからない。

ただ、それでも文章を書くことが好きなことだけは、まったくもって変わらない。
どころか、書かないとなんとなく物足りない気分にさえなりつつある。

だからこそ、さんざん文句を言いながら、渋い顔してキーボードを叩くのだ。

誰のため?
自分のため。

何のため?
報酬と、自身のアイデンティティーのため。

無粋なことを聞くでない。
在宅Webライターは楽でもなきゃ、カッコよくも何でも無いが、私はこの仕事が嫌いではない。

しっくりくるし、やらずにはいられない。
すでに、そんなものになりつつある。
これが私の仕事だ。

夢追い人に、なりたくてなったのではない。
だけど、夢追い人をやめる気はない。
まだまだ道半ば、私の夢は続くのだ。

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