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大きな私、小さな私

大きな私、小さな私。
どちらもおんなじ私だけれど、その趣は大きく異なる。

大きな私は、大層な自信家。
「できます」
「やります」
「お約束します」
そう、自信満々に言い放つのが得意中の十八番。

自分のスキルを最大限活かし、さも「すごおーい」ような風を装うのが何よりも上手い。
言葉で巧みにメイクした、エセ美人。
張子の虎。

吹けば飛ぶようなものでしかないのに、いくらだって誇張できる。
説得力をいかにもたせるか、相手を納得させるためにどんな言葉を投げかければいいのか、そんなずるい処世術ばかり持っている。

そう、自分を大きく見せるのは処世術だ。
世知辛い世の中を渡り歩くため、本当はちっぽけな私であることを気づかれないために、私は私を言葉でガチガチに武装する。

いかにも飄々として、
悠々と歩んでいるように見せかけて、
その実、心臓の鼓動にすら怯えて震える。

大きな私は身を守るため。
本当はちっぽけで無力な私でも「戦えるんだ」と、証明するために存在する。

小さな私は、私の番人。
大きな私を操り、動かし、せっせと働き続けている。
いわばブレイン。
小さいけれど、重要な役割を持っている。

どう自分をコントロールするのか?
どこまで自分をさらけ出すのか?
大きい自分をどこまで出し続けるのか?

すべてを無慈悲に見つめながら、淡々と目の前の事象をコントロールする。
大きな私も、小さな私も、私が作り出したもの。

ときに現実に打ちひしがれ、心がバリバリにひび割れて、1ミリも動けなくなるときもある。
もう消えてしまいたいと、リセットボタンに指をかけるときもある。

でも、小さな私はどうにもそれを許してくれない。
小さいくせに、頑固で、意地っ張りで、諦めが悪くて、しぶとくて。

本当に呆れ返る。
まだ戦うのを止めないのか、と見ているこっちが目を覆いたくなる。
小さいのに、小さいくせに、無力なくせに、諦めだけは悪いんだ。

大きな私、小さな私。
私にはどちらも必要で、どちらがなくても私とは言えない。
「本当はこんなに小さいんだよ」と、正直に言ってしまいたいけれど、それは許されない。

大人になるって、こういうことだったっけな。
子供のままでいたいというのは、都合のいい幻想なんだろうな。

高校を卒業して、就職して、結婚して、子供を産んで、私の価値観は恐ろしく変化していった。
守りたい物のためなら、なんだってできる。

恥ずかしいとか、くやしいとか、そんなみみっちいことは言わない。
「守るべきもののため」なら、自分を目一杯飾り立てるのが最善だとすら思える。

そうだ。
私は私を守りたいんじゃない。
私は守るべきもののために今ここにいるんだ。

大きかろうが、小さかろうが、そんなことはどうだっていい。
今、目の前にいる息子と娘を守り続ける、これが全てだ。

そのためなら、私は笑われたっていい。
愚か者でもいい、変わり者でもいい、笑いたければ笑うがいい。

私は小さい。
でも、覚悟は揺るがない。
こんなちっぽけな私だけれど、それでも守るべきものがある。
そのためならなんだってできる。

大人になるって、きっとこういうことなんだ。
納得のいくものと行かないもの、すべてをないまぜにしても優先すべきものがわかる。

迷い。
私はこれでいいのかと、自問自答する時間。
でもいいんだ。
私は私にしかなれないから。

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