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音MAD界隈の皆に③〜界隈から離れて、真の好きを探そう

久しぶりです、どうも四角です。最近は時間があるとほぼ休憩や少しずつの個人作ばかりだったのであんまり記事を書く意欲がなかったのでこう久々になりました。

この記事シリーズの1編では講論を止まらないこと、2編では小界隈で集団を分散することを勧誘しいたしました。この記事たちはどちらも「界隈の音MADの多様性を広げる、あとは保存する」ことを目標で書いたものであり、今度もこれは同じであります。

たまに作風がマニアック過ぎて、もしくはネタが濃すぎて、ほんの一部の人だけ面白がる動画を作る人があります。こう言う人たちは他の音MAD作者や見る専にこれを指摘された場合「音MADは自由、あなたの干渉は要らん」と答えるのが普通です。

この言葉そのものは間違いないです。むしろ私の記事たちのテーマである多様性のためにはこれを否定する方でこそ悪い人だと言えるはずです。どころでも全然現実は、そうでなくて、音MADは自由だと怒る人たちがむしろ千篇一律的な作品を出す場合が多くなっています。これは、いわゆる内輪ネタ使いとか、赤ぞね界隈などで良く見える傾向です。これはどういうことでしょうか。

回答は簡単です。この人たちは実は自由に音MADを作っててると言いにくいですむしろ他作者の反応に死にかけて作品を作っています。例の一つだった赤ぞね界隈の場合、山田航平さんの過去の記事(https://note.com/yamada_walk/n/n8f46c8c41e29)にも説明されているはずです。つまり、こういう作者さんたちは実に自己満足のための作品を能動的に作るよりも、界隈からの認定欲求を求めて手動的に作品を作っていると言うことです。

こう言う人たちには、意図的に界隈から離れることをオススメします。もちろん全ての連絡を切るまでは必要ないです。ただあなたに必要なことは「周りの好みを知らない状態の無知のヴェールに戻ってみる」ことです。一般見る専も古参作者も同期の作者もつべもニコニコも、「誰がどんな音MADを褒めてどんなものを貶すのか全く知らない状態なら私はどんな音MADを作りたいのか?」が始まりだと思います。それを作り始まると自分自身は界隈の認定が減っても十分幸せに作れるし、そんな作品を求めた見る専には新しい供給ができるし、界隈の音MADの多様性もどんどん増えると思います。

①と②はかなり巨視的な話を書いてたけど今度はかなり個人中心の微視的話になりました。自分の専攻は団体の行動に集中しているので③の話は私もそこまで確信してはいません。ただし、実現できない理想論でもないと思うので、自分の作風に悩みのある人は試してみる価値はあるんじゃないかな。と勝手に思ってます。

以上、四角でした。

おしり

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