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『四つの約束』第1章 飼い慣らしと地球の夢 vol.2


第一章は、「四つの約束」を実践する前の
大前提の部分です。

前回までのまとめ

1. 私たちが小さい頃に
 社会や大人たちから教え込まれた
 社会通念や規則、常識などを
 「地球の夢」と呼ぶ。

2.私たちは周囲に見捨てられることを怖れて
 「地球の夢」を信念として
 無条件に受け入れます。
 このことを「飼い慣らし」と呼ぶ。
 
これらのことは、私たちが起きている間も
夢(仮想現実)を見ていることを意味します。

3. この「地球の夢」を通して
 「飼い慣らされる」ことで、
 私たちは本来の自分ではないものに
 なっていく。

では、飼い慣らされた私たちに
何が起きるのでしょうか?

「法の書」

「地球の夢」=「信念」に従えば
褒美(=注目)が与えられ、
従わなければ罰が下る(=見捨てられる)。

このような信念のシステムは、
私たちの心の中に「法の書」として存在し、
それに従えば安心感をもたらしてくれる一方で、
従わなかったときには
私たちに罪悪感と恥の感覚をもたらします。

そして、そのうち私たちは
自分で自分を「飼い慣らす」ようになります。

誰かに言われなくても
「法の書」に基づいて
自分で自分を裁き、
地球の夢に従うようになっていくのです。

たとえ、「法の書」が間違っていたとしても
従った方が安心だから。

「裁判官」と 「犠牲者」


例えば、私の場合。

私は自分のことを「太っている」と思っていて
毎朝、鏡を見るたびに自分のことを
「太っている」とジャッジします。

だから、ご飯を食べるときも
食べすぎかな、残そうかなと悩みます。 
でも、「食べ物を残してはいけない」と
両親から言われて育ったので、
食べ物を残すことに罪悪感があります。

それで、残さず食べるのですが
翌朝、鏡を見て、
「また、太ったかも」とジャッジします。

そして、食べ物を残さず食べて、
太っている自分を
「かわいそうな私、
 食べても太らない人になりたい」
と思うのです。

不思議なことに

私は人から「太ってるね」と言われたことは
ないのに

裁判官のように
「私は太ってる」と自分を裁き、

犠牲者の立場になって
「太っちゃう私、かわいそう」と思っています。

私が本当に太っているのかどうか。
もし太っているとしても、その何がいけないのか。
食べ物を残したら本当にダメなのか。

つまり、私の「法の書」が正しいかどうか、
私はそれを考えたこともありません。

裁判官の正義とは

そして、さらに困ったことは
私がこの信念システムを毎朝毎朝
繰り返し、何度も自分を責めていることです。

著者はこのように述べています。

私たちは間違いを犯すと、自分たちを責め、自分自身を罰する。もし、正義があるなら、それで、十分であり、もう償う必要はない。しかし、私たちは、自分たちの間違いを思い出すたび、自分たちを責め、何度も何度も罰するのである。(中略) これが公平なことだろうか?

四つの約束 9ページより

私という裁判官は、私が「太っている」と
毎朝毎朝、判決を下します。
そして、太っているから食べちゃダメだなどと
罰しようとします。
さらには、残さず食べた自分を責め立てます。

でも、裁判官が正義をふりかざすのであれば
一つの間違いに対して
何度も何度も判決を下していいものでしょうか。

この例では、自分自身に対する裁きですが、
私たちはこれと同じことを
他者に対してすることがあります。

身近な人に対して、
その人がした間違いを思い出しては、
問いただし、何度も感情の毒をぶつける。
そんなことを
繰り返してはいないでしょうか。

これは、私たちが間違っているのではなく、
私たちの「裁判官」が間違っており、
さらには裁判官が持っている
「法の書」が間違っているのです。

私は太っている。
太っていることは悪いこと。
食べ物を残すことはいけないこと。

私のこのような信念は、
冷静に見てみれば、
100%真実ではないとわかるのですが、
私にとっての「地球の夢」であるため
私は無条件に信じ込んでしまい、
何度も何度も、自分に罰を与えているのです。

「信念」の95%は嘘であり
間違っていると著者は述べています。

あなたの「法の書」には
何が書かれているでしょうか?

あなたの「地球の夢」は
いったいなんでしょうか?



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