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お兄ちゃんがあっけなく死んじゃった話
私には6歳上の兄がいた
2歳下の妹と
3人兄妹
兄は私が6年生の時
上京したので
あまり思い出がなかった。
今から5年前
兄からスマホに変えたよって
メッセージが届いた。
今までガラケーだったんだと驚いた。
兄は東京で一人で編集の仕事をしていたので
とっくにスマホになってると思っていたからだ。
LINEしたいから教えてくれって言うので
こうやってするんだよってメッセージで教えてあげた。
その日のうちに妹とグループLINEを作って
夜遅くまで久しぶりの兄妹の会話を楽しんだ。
母と兄は昔から折り合いが悪かったので
兄妹で母のこういうところは嫌だ。と盛り上がったりした。
それからちょくちょく
兄からLINEが届いた
今手掛けてる本の話や
昔の仕事の話
兄妹の思い出話しは尽きなかった。
そんなある日
兄の親友から突然電話があり取ってみると
慌てるような声で
あいつが大変な病気になってしまったと伝えてきた。
その瞬間
私の人生は反転した。
すぐに兄に電話して
私がお兄ちゃんを支えるから
私が足となって手になるから
と叫んでいた。
兄は自分の病気のことを私たちに言い出せなかったと泣いた。
何言ってるん!どんなお兄ちゃんでもお兄ちゃんには変わらないのに
って怒ると
いやそんなことはない
こんな体になって君たちにこの先迷惑をかけると思うと
死んでしまいたい。でも死ぬ勇気もないのが情けないとまた泣いた
クールで皮肉やで猫好きでやさしい兄
そんな兄が電話越しで泣いている
なんとか兄にこの人生でもう一度心から笑ってほしい。
その為には私から母と妹に兄の病気の事を伝えて
家族で兄のサポートしてをして
今までの時間を取り戻そうと思った。
兄は進行形の小脳の病気だった
ゆくゆくは車椅子になり
食べ物は自力で食べることもできず
そして。。。。
ネットで検索すると残酷なことばかり
東京から一刻も早く帰ろうと
毎晩電話で説得するけど
まだ大丈夫。の一点張り。
ある時私の高校時代の親友から
病気の人はとことん孤独になる
あなたのお兄ちゃんはちゃんと自分の人生の落とし所を決めれる人だよ。
だから家族ができることは見守ること。って言われた時
兄の人生なのだから見守ろうと思った。
コロナの渦中
兄に会いに行った
家には来てほしくない。
掃除ができてないからと
水臭いこと言うので
私が掃除するよと何度も言うけど
頑固な兄は取り合わず
近くのドトールであった。
兄と最後に会ったのは確か3年前
ドキドキしながらドトールで待ってると
みる陰もなく痩せ細り
髪は伸び放題に伸びた兄が
ふらつく足で必死な表情で入ってきた。
何を話したか忘れたけど
二人で手を取り合いながら
喧騒のドトールで泣いた。
ヘルパーさんに毎日入ってもらったりするのは
まだだいぶ先の事になる。
兄はギリギリまで
一人で生活した
妹と定期的に関西から兄の様子を見に行き
部屋の掃除をしたり
公的機関の書類に目を通してあげて
税金や年金を兄の代わりに払ったりしてあげた。
掃除は妹が
交渉ごとは私が担当した。
2泊で行くこともあったが
ほとんど1泊だった。
私たちが来たら
アパートの前にある
焼き肉屋さんでご飯をご馳走してもらって
3人でホッピーを沢山飲んで
たくさん笑ったり泣いたりした
今思えば
ううん
あの時から
あとでこれは楽しい思い出になるって妹と話し合った。
それからしばらくして
兄が一人で買い物中転倒してから
ようやく兄もヘルパーさんを入れることを承諾してくれたんだよな。。。
それから3年後の2月の私の誕生日に
実家に戻ることを決心してくれた
もうその頃には立つこともなんとか
紙おむつになっていた
本当にギリギリまで頑張って
実家に戻ってきた。
母と兄は
兄が病気になってからも
全く会っていなかったけど
兄を最初に見た瞬間驚く事もなく受け入れた。
兄の世話がまたできる事を喜び
事実 本当に愛情溢れる世話をしてあげていた。
たまには私も一緒に晩酌の相手になった
そして決まって私の方が先に酔い潰れていた。
母と兄ははたまに喧嘩もしてたようだけど
私は兄の前では兄の味方になる事を選択した。
兄の病気はどんどん進行しているようだった
話すこともおぼつかなくなり
しんどそうな表情が増えた
私は兄の喜びになれているのだろうか?
そんな事を考え出すと
実家から足が遠のき
週に1回シャンプーしてあげることしかできなくなった
ある時久しぶりに
兄と飲んだ
私は正直に今の自分の気持ちを伝えた。
私はお兄ちゃんの役に立っている?
ああ立ってるよ
次第に泣き出す私に
十分立っているよと
また言ってくれた。
2月に帰ってきた兄
春が来て
夏が来て
秋がきて
気がつくと12月になっていた
妹が珍しく
家族で忘年会しょうと提案してくれた
その日は母がおせちの準備もあったので
兄のシャンプーと食事を姉妹二人でやり
兄の晩酌の準備をして
兄にお酒を注いであげながら
お兄ちゃん今年は本当にいろんなことがあったね
2月に実家に戻ってきてねぇ。。。
兄の顔を見ると
何か言いたそうな顔をしたけど
話すのがもどかしいのかうなづくだけだった
また今度
焼きそばを買ってきてくれ
銘柄ななんでもいい
というので
うんまた明日来るねっと言って
お兄ちゃんが
ああいつでもいいって言った。
これが最後の会話になった
お兄ちゃんは
残された私たちが後悔しないよう
3人が揃ってる時を天国にいく日と決めていたのかも知れない
お葬式が終わってから
私は1週間寝込んだ
ようやく熱も下がった日
タイムウェーバーでお兄ちゃんからのメッセージをもらった。
ありがとう
奇跡は既に起こっているのだと理解できました。
私が受け取った物
起こった事は
原因と結果の法則に当てはめても全て私に相応しい物でした。
私は過去のすべてのエネルギーから解放されました。
すべての存在の源に気づき繋がることを許してくれてありがとうございます。
不自由な身体を脱いで
お兄ちゃんはようやく全てから自由になったんだね。
私たちこそ
ありがとうだよ。。。
いつでも
私たちが東京に行って地元に帰る時
戻ったら連絡してくれと何度も言ったお兄ちゃん
お兄ちゃんが49日の階段を登って
あっちに戻ったら連絡してね。
ああ。と聞こえた気がした。
おしまい