イングマール_ベルイマン監督_第七の封印__57年_

<悪魔の告白~我々がいかにしてニンゲンを操ってきたか、そのノウハウを公開します~>

画像:イングマール・ベルイマン監督『第七の封印』(57年)より、有名な「悪魔とのチェス」シーンを引用。


悪魔が2匹で会話する。

ーよう800万年ぶりじゃのー

おう、北半球と南半球でざっくり2分割、お互いがんばって誕生間もないニンゲンどもを窮地に陥れてきたな。

ーとにかく誕生しちまったものは、滅亡のタネを仕込んでおかないと、俺らの仕事がなくなるもんな。

そう、いままでのこの惑星で生誕してきた動植物の中で、この哺乳類は、かなり勝手が違う存在だったからな。

でも今のところうまく推移してるよ。なにしろ人間ときたら自滅する能力ばっかり発達しただけでなく、地球もぶっ壊す勢いになったからな。

ー自分をとじこめるものをうまく作ってきたよね、ニンゲンの外部に。

そう、まず言葉を与えたんだけど、そん時考えたんだよ、ニンゲン同士がお互い意思疎通しあう利点と引き換えに、破滅させるような要素も仕込んでおいたんだ。

ーなに?

それはね、まずいくつかの言語の種類を与えたんだ。異なる言語によってあらかじめ分断をしくんでおいた。

それと、これが決定的なんだけど、言葉に「意味」を持たせたのさ。これはうまくいったよ、ニンゲンどもみんな、言葉の記号性じゃなく、意味の方にとらわれていってくれた。意味なんて、言葉を発した途端に客体化されて両義性を帯びるものの、片割れの現象に過ぎない。そんなの、自分を疎外してくだけなのにさ。

ー意味が?

そう。例えば人生って言葉があるだろう?人生なんてニンゲン種の自然現象なんだから、生きて喰ってクソする程度に捉えてればいいのにそうじゃなくてそこに豊かで美しくて内実のある生きがいとか、自我の存在とか、ニンゲンはいろいろ意味を与えたがるじゃん。

それが自縛の始まりなのよ。勝手にハマってくれて迷走してくれるんだわ。こねくり回したって何もないっつーの。

他にも「愛」「自由」「責任」「自意識」「宇宙」「永遠」「時間」「年齢」…いかにも「意味」ありげだけど、こんなのぜんぶ空っぽの概念、本質はゼロさ。

ーほう、そんなもんか。

そうさ。そんなワードの意味追求なんかより、瞬間瞬間で、デジタルにカットして、しっかり自分を見限って、脱皮していく、そんな実務行為としての動作なり思考なりが、本当の意味の「人生」その他に結実していくのにさ。

自分をある角度から見限らないで、自らを後生大事にかくまってると、本物の自分にすら到達できないわな。

ここら辺がボコーッと抜けてるのが地上にはいつくばって右往左往してて、ちゃんちゃらおかしいぜ。

「意味」の話に戻るけど、それがあったおかげで、ニンゲンの歴史上次の段階として宗教とか身分とか、差別とか富の蓄積とか数字とか、目くらましを生みやすくなったよね。要するに区別の概念。ニンゲンなんてたんなるクソぶくろ器官なのにさ。

あとは視覚だよね。見ることの能力はニンゲンに与えたけど、「見えること」には訓練が必要だって条件をつけておいたからね。このことで、まともに物事が見えてないニンゲンがいっぱい出たよね。

だから、フツーのニンゲンは、事物に対し外観で判断するとか注視するとか観察することしかできなくなったって寸法さ。その近視眼的態度こそが降りエスカレーターにいながら上昇しようと足踏みする感覚であってさ。

本人は努力なくして成果なし、とか思いながら懸命に上がってるつもりなんだけど、傍から見ると同じ場所で踏み台昇降してるだけの、こっけいな変人なのよ。

目に見えないものを感受できる能力が、本当に「見える」ってことなのに。そこんとこ気づかないのがまるっきりおかしいわね。

でもね、ただ1点、ニンゲンどもに俺らへの反逆の余地があるとすれば、あいまいなもの、ヒマ、倦怠といったネガティヴなもの、さっき言った「意味」の無いものを鋳物として、新しいものの母体になりうるって気づきだね。

これだけは俺らにない性能だわ。生命は海から生まれたっていうことに宿る本当の永遠、種の滅亡なんてホントは無くて、あるのはエトスの継承だけなんだってとこに気づかれたら…おれらの負けだ。

ーうむ、わしもそう思う。本当に負けちまったら、本当の悪魔って俺らじゃなく・・・もしかして・・・ってことにも・・・

(続くかも)


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