見出し画像

なぜフィルムは「エモい」のか

こんにちは。表題通り、フィルム写真での「エモい」についての考察を述べていくだけです。以下目次です。


そもそも「エモい」とはなんなのか

初めに、エモいの「エモ」は英語の「emotional」が語源となっているのは、みなさん知っての通りだと思います。また、「エモい」に似通った言葉として、「ヤバい」「エグい」などの、定まった意味がなく、状況に応じて持つ意味が変わる言葉が挙げられます。そこで、ここでは「エモい」を、

「何かうまく言語化出来ない感情を伝える言葉」

として定義することにします。夕日を見てエモいということもあれば、昔のアルバムを見てエモいということもあるでしょう。また、エモいというのは、
「ヤバい」などとは異なり、基本的に良い意味でのみ使われることが多いように思えます。では、そのエモいを写真に当てはめたらどうなるのか、ここから考察に入ります。

フィルム写真におけるエモいとは

さて、ここからは、フィルム写真(写ルンです)の写真を使い、「エモい」を考察していきます。

横浜
横浜
東神奈川
二子玉川
多摩川
多摩川

これらは全て2024年に撮影しました。デジタル写真との違いとして挙げられるのは、
・ざらざらしている
・適正露出になるとは限らない
・全てを写す訳ではない

デジタルの写真(Nikon Zfc)

本当は他にもたくさんあると思いますが、自分はフィルムにもデジタルにも詳しくないので、今回は割愛します。さて、ここからはフィルムが「エモい」理由を挙げて、それを解説していくのですが、それは2つあります。

理由①「写りすぎない」

フィルム写真は、全てを写しきるわけではありません。今回はそれこそ「写ルンです」を用いているからというのも挙げられますが、写真には粒子が乗り、露出もぶれます。ですが、仮に「エモい」を懐かしさから引き起こされる感情だとした場合は、フィルム写真はそれに合致する事になります。その理由は、記憶は時間と共に薄れていくからです。当たり前のことですね。時間が経てば経つほど、記憶は不鮮明になります。そして、仮にその記憶を写真で振り返ろうとした場合、デジタルの写真は、センサーが捉えた全てを鮮明に写すが故に、記録用のニュース写真を閲覧しているかのような気分になるのではないかと考えました。例えが正確かはさておき。

iPhone7 まさしく「記録」

一方で、フィルム写真の場合は、不鮮明な記憶と丁度よく合わさり、ただ過去を振り返るという作業に、古びたアルバムを捲るような懐かしさを加えてくれるのではないでしょうか。何を言ってるのかわからなくなりましたが、理由②です。

理由②「シャッターチャンスに限りがある」


みなさんご存知の通り、フィルムには枚数があります(27枚、36枚など)。充電を繰り返せば無限に撮影可能なデジタルカメラとは違い、一枚一枚を大切な場面で撮る必要に迫られます。この制限性が、撮影者にカメラを使う場面を重要な場面(集合写真、旅先での写真など)に集中させ、より懐かしさや、いつもは感じない感情、それこそ非日常への高揚や、喜びなどを感じやすい写真を撮らせているのではないでしょうか。

それこそ、上の3枚の写真は、クラスで打ち上げに行った時の写真と、付き合っている人とのデートの際に撮った写真です。その様な普段とは違う非日常の場面において、人々は懐かしさを覚えると、私は考えています。先述したフィルムカメラの制限性が、非日常とうまく組み合わさるのではないでしょうか。

結論

フィルムにおける「エモさ」とは、その写りの不鮮明さと、シャッターチャンスが制限されているからこその、写真を撮る機会が厳選されることにあるのではないのかと結論付けます。もっとも、この文章を書いているのは真夜中であり、尚且つ僕はプロの写真家でもなんでもないので、全て見当はずれ、もしくはお門違いなのかもしれません。

あとがき :デジタルについて

ここまでフィルムとデジダルを天秤にかけるような書き方をしてきましたが、もちろんデジタルが
「エモい」に該当しないわけではありません。ただ、そこにデジタル特有のものはなく、ただ「エモい」に該当しにくいのだと考えます。

鈍行列車にて
佐倉駅
富士山

これらの写真は全てなんの変哲もないような写真ですが、僕にとってはそれぞれ、家までの帰り道の写真、部活の合宿の日の朝に早起きして撮った富士山の写真です。これらはどれも、僕にとって「エモい」です。それはなぜなら、僕に懐かしさを感じさせるからであって、それはフィルムと同じ理由です。デジタル写真というのは、良い意味でもそうでない意味でも、全てを写します。なので、そこからの言語化が容易です。一方、フィルムは全てを写せるわけではないので、そこからの言語化もぼやけたものとなり、結果的に「エモい」という感情に落ち着くのではないのかと思いました。デジタルで「エモさ」を演出したいのなら、そこに何かしらのストーリーや、それこそ文字通りに、「時間」が必要なのかもしれません。

次回予告

次回ですが、最近写真を撮るモチベーションが起きず、Minecraftに熱中しているので、Minecraftで旅行に出た話を書きます。いや、嘘です。写真か、Minecraftです。noteって難しい。
ここまで読んでくださりありがとうございました。感想等お待ちしています。

意味もなく夏。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?