なぜ里親という選択をしたか
2週間に3人の子どもが虐待により命を落としているという日本の現状
子供の虐待を報道するニュースが毎日のように耳に入ってくる。令和3年に発表された厚生省の虐待防止対策推進室の資料データによると、2週間に3人の子供が虐待死という。
2週間に3人の子供が虐待により命を落としているなんて。男女ともに平均寿命が80歳を超える日本で、未知の可能性を持つ子供達の未来がこんな形で断たれている。
同データによると、令和2年度の児童虐待対応件数は1日560件にも上っている。相談・報告に至っていないケースは一体どれぐらいあるんだろうか。
社会貢献への義務感
グローバルなキャリアを積み上げ、社会人して経済的にも確立し、ようやく安定してきた。そろそろ本格的に社会へ還元したい。というか、社会的にある程度確立した人たちが何らかの形で社会へ還元しなければ、機会の均等という格差解消は達成できないのではないかと強く思っている。
行政の力も必要だが、人の意識が変わらないと何も変わらない。富裕層が多く住むエリアに住んでいるが、海外ブランドの服を着た犬をバギーにいれて散歩する人々がたくさんいる。こういった光景を見るたびに、子供の虐待・社会的養護の必要性を考えた時のギャップに疑問が湧いてくる。社会的に成功し、お金をどんどん稼ぐというのは悪いことでは全くない。海外のフィランソロピーの事例に見られるようにいわゆる富裕層が社会貢献を義務と捉え、行動することにより、どれだけ社会が変わるだろう。
社会的養護としての里親制度
社会的養護は「子どもの最善の利益のために」と「社会全体で子どもを育む」を理念とする。(参照:厚生省HP)子供が虐待される様々な要因の一つである貧困家庭の問題については、私が勤務する会社から法人として貢献を始めた。個人として何ができるのか、と長年共に過ごしてきたパートナーと考えた末に「里親制度」を通して関わることにした。たった一人でも、どの子どもの将来を可能性に満ちたものにしてあげられないか、そういう気持ちに押され、里親認定の手続きを開始した。
また続いている里親認定の手続きの中での出会いや学び、そして同時に直面した偏見や制度のギャップなどについて、これから発信していきたい。