人生の扉#01 私の新入社員時代―なんとも生意気な新入社員―
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【連載「人生の扉」について】
FOSC会長の小山さんに、どのような会社人生を歩んできたか、そしてそれを支えてきたものは何かを「人生の扉」というシリーズで語っていただきました。
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ソニーに入社した私は希望する部門(資材部、工作部)ではなく、本社の庶務部庶務課保全係に配属先され、地下階の中央監視室が勤務する場所となりました。
前年の入社試験で周りにいた4人は一緒に入社し、事業所は別だが配属組織が全員、施設関係。どうも入社試験のときの受験番号で順番に配属先を決めていたようです。
入社当時は施設の保全という仕事にあまり興味を持てなかったのですが、正義感は人一倍強く、モラル、ルールに厳しく、先輩たちがだらしないと容赦なく言葉をかけたものです。例えば、デスクの上で昼休みに横になって寝ているとか、そんなことが嫌でいやで仕方なかった時代でした。
施設保全という仕事柄、泊まり勤務のある第5勤務でしたが、日勤では原則として定時勤務を貫き、一日の仕事はその日のうちに集中して終わらせ、定時に退社できるように努力していました。
会社の定時間以外はすべて自分の時間であって、スキー、テニス、野球、水泳、素潜り、音楽鑑賞、読書、ダンス等々、何にでもトライ(会社の倶楽部活動を含む)しました。
26歳谷川岳マチガ沢春スキー写真
26歳になった私は、スキーに有給休暇のほとんどを使い切るくらいのめり込み、上司からスキーの準指導員検定に落ちたら、スキーのやりやすい厚生課で仕事をしても良いぞ、仕事とスキーとどちらか選べと言われ、危うく厚生課へ異動になるところでした(当時、会社は厚生課が窓口で1シーズンに2回~3回スキーバスツアーを企画)。必死になって菅平で行われた準指導員検定に合格し、施設・建設の仕事を継続できることになりました。
26歳準指導員検定ゲレシュプ
職場には優秀な上司や先輩方が多く、すぐそばにお手本が沢山あったのが後の成長に大きな影響を与えてくれたのです。
続く
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