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今さら『ゴリオ爺さん』?
四十路で『ゴリオ爺さん』
バルザックの『ゴリオ爺さん』をちびちび読んでいる。
四十路に入って今さら『ゴリオ爺さん』?
いやいや、中年に入ったから『ゴリオ爺さん』なのだ。
とかく中年は「若い頃に見た(読んだ)」の一言で済ませることが多いが、年を経ると視座が変わって同じ作品でも違った発見を得られる。
お金とは何かを考える
『ゴリオ爺さん』は悪党ヴォートラン対ラスティニャックの闘いが1つの見どころ。人生の先輩であるヴォートランが、パリに出てきて間もないラスティニャックにまずこんな牽制をする(集英社文庫ヘリテージシリーズだと120ページ。光文社古典新訳文庫だと150ページ)。
「坊や、人形芝居に騙されたくなかったら、一度は芝居小屋の中に入ってみないとな。カーテンの穴から覗いて満足しているようじゃ駄目だ」
(Mon petit, quand on ne veut pas être dupe des marionnettes, il faut entrer tout à fait dans la baraque, et ne pas se contenter de regarder par les trous de la tapisserie.)
それから第2章「社交界デビュー」に入って、トマ・ピケティでおなじみの「ヴォートランのお説教」になる。一言でいえば「金持ちになりたきゃ勉強して弁護士になっても無駄。金持ちの女と結婚しろ」ということだ(詳しくはこちらのサイトに簡潔にまとめられてあった)。
悪党の長広舌そのものが聴いていて面白いところだが、ピケティに倣ってお金とは何かを考えさせられるいい箇所だ。これも欲望の市場主義が暴走する今だから新たな面白みを見いだせたと言っていい。
メディアの発達で便利な世の中になった
『ゴリオ爺さん』ほどの名作になるとYouTubeにオーディオブックが全編上がっていた(ただしフランス語)。原語を聴きながら訳書を読むと字幕で洋画を見ているのと同じ感じになるのでお勧めしたい。
(3:38:24から。光文社新訳古典文庫だと184ページ末、集英社文庫だと146ページ~)
若い頃、20年ほど前だと『ゴリオ爺さん』のフランス語朗読を聴くには紀伊國屋書店新宿南店の洋書コーナーとかに行ってCDかカセットテープを数千円で買わなければならなかった。
でも今は「ヴォートランのお説教の部分を聴きたい」と思いついたらネットで検索すれば無料ですぐに聴ける。これも「今さら」というか「今だから」の恩恵だろう。
世の中、便利になったものだ。便利すぎてそのありがたみがなくなって集中できず聴き流すだけでなってしまっている節もあるが、それはまた別の話。