実は私、露店商をやってました
西尾さんの企画に再びのってみようと思います。
#実は私xxなんです
◎昭和の小学生を虜にした玩具
昭和の小学生だったある日、大流行したある玩具がありました。
どこが出していたのか、何て名前だったか覚えていませんが、小学生が大好きなアレを家で作れる機械。
綿菓子製造機です!
夏まつりでしかお目にかかれない、子供ならみんな大好きな綿菓子が
なんと、家で作れるのである!
めちゃくちゃほしかったですが、我が家では買ってもらえるはずもなく、CMを見るたびによだれを垂らしていた私です。
そんなある日、朗報が!
当時近所のガキ大将だった私と、毎日つるんで遊んでいた近所のJ子ちゃんの家に、憧れの綿菓子製造機がやってきたのであります!
ドーナツみたいな機械の真ん中に、ザラメを入れるところがあり、ザラメを入れてスイッチを押すと、あのふわふわした雲みたいなものがどこからともなく出てくるのです。
ひとしきり遊んで食べた私とJ子ちゃんは、これを近所の子供に売ろうと考えつきました。
夏祭りでもないのに、こんなおいしいものが食べれるのだ!
絶対、みんなも喜ぶはず! と意気揚々と店舗を構えることにしました。
◎こども露天商爆誕
当時住んでいたところは、下町っぽい場所で、バス通りからは細い道を奥に入ったところで、奥は行き止まりだったので車もほとんど来ず、子供たちはみんな家の前の道路で遊んでいました。
そして私の家は、向かいの家の庭が広く、しかも太っ腹なことに開放されていたので、子供たちのたまり場となっていました。
そんな好立地の我が家の玄関前に、お店を開くことにしました。
段ボールの上に綿菓子製造機を置き、自分たちは座布団を敷いて製造機の前に座り、横にはお金を入れるため、お菓子か何かの空き箱を置いていました。
画用紙に「わたあめ 1本◯円」と書いてスタンバイOK
たぶん1本5円か10円くらいで販売したと思います。
さんざん自分たちで食べた後ですから、割りばしに巻き付けるのもお手の物です。
綿菓子は口コミで広まり、あっという間に子供たちが集まりました。
◎一夜限りの露天商
予想以上の売れ行きに、私たちがほくほくしていると、突然、近所でやかましやで有名なおばさんが怒鳴り込んできました。
「あんたたち、こどもがお金なんかとってんじゃないよ!」
「さっさと片付けな!」
「お金はみんなに返すんだよ!」
当時私は鍵っ子だったので、家には反論してくれる両親もおらず、鬼の形相で怒鳴り込んできたおばさんに立ち向かう勇気はなく、すごすごとお店をたたんだのでした。
「ザラメ代、かかってるんだけど」
と、心の中で悪態をつきながら引き下がったのを覚えいています。
大繁盛間違いなしだった綿菓子屋は、こうして1日限りで閉店となりました。
いまでも思い出すと悔しいな。笑
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
一夜限りの露天商、楽しかったですねぇ☺️
またいつか、みんなが笑顔になるような商売をやってみたいものです。
良い一日になりますように。