変化は怖い。でも変わりたい。
昔から「変化」というものが好きではない。
例えば、好きなアーティストはここ10年以上変わっていないし、異動の度に体調を崩すのが鉄板。好きなアイドルグループから脱退者が出ると、親の仇かと思うほどの憎しみを抱えてしまうし、中学を卒業してから髪型もずうっと同じだ。
正確には同じだった、だけど。
そんな私にも、今年大きな変化が訪れた。
春先に人事異動と職務内容の大幅な変更があり、今日に至るまで忙しない日々が続いている。まさかである。3月までは超がつくほどのホワイト勤務をしており、残業時間は月平均5時間程、週に一度の出社を除き在宅勤務と優雅な日々を送っていた。その日々が短期間でこんなにも簡単に変わってしまうのかと驚きもした。もちろん驚いているだけでは変化に順応できるわけもなく、反動で一気にメンタルの調子が狂ってしまったのは言うまでもない。
大嫌いな「変化」が毎日波のように押し寄せて、息をするのも必死なまま今日まで生きてきた。社会人になって数年経つにも関わらず、働くとはこういうことなのだという洗礼を受けたような気分だ。理不尽な難癖をつける人がいる訳でも、周りが見て見ぬ振りをしている訳でもない。ただ与えられた仕事に向き合っているだけなのに、自分のキャパシティを大きく超える仕事と向き合うことがこんなにも大変なことだなんて思いもしなかった。
そんな日々を、やるしかないと歯を食いしばって生きている。今の仕事が嫌いな訳でもなし、今自分の身に起きている変化は受け入れるしかない類のものだと思ったから。
ごく最近、自分の「変化」に対する向き合い方が変わったなぁとしみじみすることがあった。あんなに嫌っていたはずの「変化」と正面からぶつかっているなんてまるで奇跡だ。
ここ数ヶ月で性格が変わった気がして何度か16personalities診断をしたが、全てにおいて診断結果が違った。(ISFP→ISFJ→ESFJ→ESFP)それはきっと、自分が「変化」の最中にいるからだろう。
ちなみに自認はISFJ−T。
思い起こすと、変わりゆく自分に寄り添ってくれたものが二つある。その二つのおかげでここまでやってこれたと言っても過言ではなく、出会えたことに心から感謝している。
それらをここに記録しよう。前置きが長くなったが、筆を取った理由はそれに尽きる。
桜庭遥花ちゃん。匂うように美しいその名前とは裏腹、「ぱるたん」というとびきりかわいい愛称で親しまれている彼女は、昨年彗星のように私の世界に現れた。
PRODUCE 101 JAPAN SEASON3に歌ダンスともに未経験で出演を果たした彼女は、持ち前の吸収力と目を引くほどの愛らしさで、瞬く間にスター街道を駆け上りつつある。
https://produce101.jp/profile/detail/?id=047_sakurabaharuka
話は変わるが、私は九州の片田舎の生まれだ。一般的に想像される「九州っぽい」洗礼はそれなりに受けてきたつもりだし、その「九州っぽさ」には早くから違和感を抱いていた。私が女の子らしさを封印したのも、その「九州っぽい」外野の言葉がトリガーとなっている。幼少期から自分は「かわいい」を纏っていい側の人間ではないと暗示をかけて生きてきた。その呪いが、自分に十数年髪を伸ばすという選択をさせなかった。
そんな私に転機が訪れた。101人から35人に絞られ臨んだコンセプトバトルで、桜庭遥花ちゃんはAtoZという曲に選出された。
https://youtu.be/ZMNA89LLT24
黒髪ボブを靡かせながら、彼女の色白がよく映えるラベンダー色のカーディガンの下で揺れるプリーツスカート。そのどれもが私が憧れた「かわいい」を体現しており、その日からぱるたんに触れない日はないと言っても過言ではないほどに、彼女の存在が常に私の中にある。
そして、そんな日々を歩むうちに、「私も「かわいい」になりたい」という気持ちが芽生えた。封印していたはずの女の子らしさが胸のうちに溢れ出して、止められなくなった。
その日からもう1年近く髪を伸ばしている。外野の声にかけられた呪いを解いてくれたのは、他でもないぱるたんだ。変化を許容できるようになったのも、ぱるたんのお陰。
先日、生まれて初めてリボンを買った。そのリボンで結った髪が風に靡くたびに、ぱるたんの顔が浮かぶ。
きっかけをくれたぱるたんは今日も世界中にかわいいを発信している。肩まで伸びたこの髪が胸に届く頃、ぱるたんに私の想いを届けたい。そんな日が来るのが今からとても楽しみだ。
そしてもう一つ。
「満ちてゆく」という曲がある。
歌手の藤井風が今年3月にリリースしたとある映画の主題歌であり、どこかノスタルジーな気持ちを想起させるラブソングだ。
今年の4月、普段聴かないFMをたまたま実家の車で耳にした際、「藤井風さん初のラブソング」という謳い文句と共にピアノの優しい音色が流れ出した。もちろん映画を見ている訳でもなく、藤井風の曲を全てさらっている訳でもない私は初めて聴く訳だが、なんだか妙に心に沁みてその場で曲をライブラリに追加する。
私は歌詞で曲を聴くタイプだ。aikoの綴るあまい恋心はいつの時代も教科書にしているし、サザンが語りかけるせつなさはいつだって心をきゅんとさせる。藤井風の曲も今まで聴いて来なかった訳ではないが、とりわけ歌詞に自分を投影しがちな私はいまいちハマりきれない部分があったというのが正直なところだ。なぜこんなにも胸に刻み込まれたのか、自分でも分からない。
「満ちてゆく」の歌詞を読んでみる。
変わりゆくものは仕方がないねと
手を放す 軽くなる 満ちてゆく
変わりゆくもの、とは一体何なのだろうか。
住んでいる街、家族の人数、考え方。変化を嫌っているくせに、ここ10年で思いつくだけでもさまざまなものが変化した。自分が望んで変化したものもあれば、否応なく変化せざるを得なかったこともある。
そのどれもが紛うことなき現実であり、今の私を作る要素であることは理解しているし、変化の数だけ自分という人間がブラッシュアップされていくという誰かの言葉にも納得できる。
私が変化を恐れるのは、いつだって周りとの関係性が一番大きく影響している。
相手の変化=私は置いて行かれてしまうのでは
自分の変化=相手にもう必要とされないのでは
そんな身勝手な感情にいつからかがんじがらめにされていた。
結論、この歌は聴き手にこう語りかけているのではないかと思っている。
現実を「仕方がない」とあるがまま受け入れることで、背負い込んだ荷物が軽くなり、やがて満たされる。
私は、いつだって今の私の一番の理解者でいたい。恐れず変化の方角へ向かう自分を肯定したい。ぱるたんがきっかけをくれたこの感情が、「満ちてゆく」によって背中を押されたような気がした。
余談だが、近年の私の出会いのほとんどはラジオにある。今回も例に漏れず。
人生のプレイリストに、「満ちてゆく」を追加する。
最後に。
私には、夢がある。生きているうちにこの夢だけは叶えたいと思っている。
そして、その夢を叶えるには当然「変化」が必要になる。
なりたい自分のために、何もないけれど全て差し出すよ。
手を放し、軽くなり、満たされるその日まで。