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ロマンチシズム的2024①

ロマンチストだよね、と言われることがある。自分でもそう思う。リアルな日常を描いた作品よりファンタジー要素のある恋愛作品が好きだし、現代より過去や未来を描いた作品の方が好きだ。自分の生きる世界では到底経験できない事象に胸が躍るのは、空想家のサガだと思っている。
作品に触れる際は、登場人物に自分を投影して、涙を流し、腹を立てる。胸を打つようなセリフに触れた日は、四六時中その言葉を抱きしめて余韻に浸る。良く言えば感受性が高く、悪く言えばお花畑な脳みそだ。
 
そんなロマンチストな空想家は、2年前からシナリオを書き始めた。きっかけはドラマ「silent」だ。前年のヤングシナリオ大賞を受賞した脚本家の連続ドラマデビュー作品が社会現象を巻き起こしたことで、脚本を書いてみたいと筆を取った人は、私以外にも5万といるはずだ。
しかし、勢いで始めた執筆により己の凡庸さを否応なく認識させられている。私の想うロマンチックは結局何かのn番煎じでしか無いのだと、書けば書くほど痛いくらいに感じる。2年前からシナリオを7本ほど書いたが、読み返してみると、どこかで聞いたような設定とセリフばかりだ。
ただ、空想をアウトプットする作業は2年経った今も楽しめている。出来の善し悪しは置いておいて、案外向いているのかもと暗示をかけながら今日まで続けてきた。これからも細く永く続けられたら、とも思っている。
 
ネガティブなことも書いたが、シナリオを書き始めて良かったなと思うこともある。それは、震えるほどに愛おしいセリフや歌詞に出会った時、以前より自分の軸に深く刻まれるようになったこと。ただの言葉が深く刻まれることで、自分が何を考え、物事をどういうふうに捉えているのかの言語化が以前よりずっと楽になった。これは、自己他己分析とその言語化が得意な友人の影響を受けている気もするけれど。
 
気づけば今年も終わりに近づいている。
ということで、そんな私が2024年に出会い心を震わせたセリフや歌詞を、思い起こせたものから綴っていこうと思う。
 
 

 

 
1. 「あたしはあなたにはなれない なれない ずっと遠くから見てる 見てるだけで」(aiko/相思相愛 (2024))

今年の春、数年ぶりに名探偵コナンを映画館で見た。言うまでもなく誰もが一度は触れたことのある作品であり、毎年映画館でコナンを見るのが恒例イベントになっている人も多いだろう。作品の歴史の長さに尻込みし、これまでコナンに触れないまま成長した天邪鬼がなぜ映画館に出向いたのか、これには訳がある。(余談だが、学生時代安室の女に「ゼロの執行人」のムビチケをもらって見に行ったことはある。予備知識がなかったせいであまり記憶に残っていない・・・)
 



まだ肌寒い2月、品川駅のホームで初めて映画の予告を見た。100万ドルの名に相応しい函館の夜景に彩りを加えるaikoの歌声は、いつも通り恋をしている。しかし、タイトルと裏腹に物悲しさを帯びる歌詞に、これは一体どういうことだと頭を抱えた。aiko はかねてから「幸せな時ほど失恋の曲が浮かぶ」「この幸せにはいつか終わりが来るのではないかと思うから」と語っているが、そんな彼女の性格の通り、相思相愛という言葉にはとても結びつかない歌詞を、公開日まで繰り返し繰り返し反芻した。まだ何も分からない映画に思いを馳せながら。
 
4月12日(金)「劇場版名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)」は封を切られた。公開当日に足を運んだフォロワーに、「aiko聴きたいが故にコナン見に行く人の身を案じている」と言われ戦慄。念のため、世間のオタクがまとめた予習リストを急いでさらった勤勉さは、長所であり短所でもある。
しかし、そんな不安も杞憂に終わった。始まってみると約2時間あっという間で、「aikoは神!!」と「おいコナンの男超ロマンチストじゃん!!」を交互に叫びながら劇場を後にした。
私、ロマンチスト、コナン、激刺さり。
やに下がる頬を必死に引っ張り上げながら、イヤホンを装着。配信開始したばかりの相思相愛を再生する。



―――そこで気がつく。やっぱり相思相愛、映画の内容と合ってなくないか?!?!
 




かなり前に劇場公開を終えているので敢えて内容に触れるが、今作のストーリーの軸にあるのは「登場人物それぞれの恋模様」、とりわけ「平次と和葉の恋模様」に焦点が当てられている。幼い頃から想い合っているのに、本心を伝えられない。言わずともお互いがお互いを一番に大切に想っており、あとは「好き」を伝えるだけの国民的ケンカップルこと平和。コナンミリしらでもこれはわかる。
作中、平次が和葉への積年の想いを打ち明けるシーンがある。劇場へ足繁く通ったお陰で諳んじることができるので、ここに綴ってみる。
 


人にはな大概動機っちゅうもんがある
人がその人を殺す動機
人がその夢を目指そうと思った動機
ほんで、人がその人を好きになった動機や
俺は探偵やのにその理由が説明出来へんねん
かっこ悪いけどそのくらい好きでたまらんのや
和葉、お前のことが

 


最後のセリフを終えてすぐ、和葉のアップと共に、相思相愛が流れ出す。
「あたしはあなたにはなれない なれない ずっと遠くから見てる 見てるだけで」
矛盾している。どう考えても、平次と和葉の物理的な距離・心の距離は現在最も近いはずだ。何なら今、二人の心は重なったまである。(※映画内の告白は結局不発に終わっている)
それなのに、ずっと遠くから見てるだけ?一番近くでお互いを想い合う二人が、遠くから?見てるだけ?まるで片想いのような歌詞だ。相思相愛のはずがない。
 
ヤキモキした心を抱えて数日、劇場へ足を運んでは相思相愛の抱える矛盾に首を傾げる日々だった。
 
そして、やっと答えに辿り着く。
 
リリース行脚を行うaikoはとあるラジオ番組で相思相愛を語った。若干異なる部分もあるかもしれないが、ニュアンスとしてはこうだ。


 
「互いが相思相愛と思っていても、所詮違う人間なのだから、想いがぴたりと重なり合うことはない。そのずれから生じるせつなさや寂しさを曲にした」
 


完敗だと思った。現に平次と和葉はもう何十年もすれ違っている。互いのピンチには自分の身を投げ打ってでも相手に生きてほしいと願う。自分も相手もそんな大きな愛を抱えていることに、きっとお互い気づいている。しかし、それを持ってしてもすれ違っている二人は、一番近くて一番遠い、そんな存在なのだろう。きっと、まだぴたりと重なり合えていないから、告白も不発に終わったのだ。ここで平次に告白成功させるのはまだ早いよねという作者や製作陣の考えすら、この歌詞は包括しているのではないかと思う。

相思相愛なのは大前提。そんな二人がそれぞれに抱える不安や寂しさを切り取った歌詞に、難癖をつけていた自分が恥ずかしい。私がaikoだったらきっと「Power of Love」系のあたしたち二人なら無敵だよねー⭐︎的ハッピーソングを作っていただろう。
凡庸さはこういうところに滲み出る。
 
 
 
 

今年はaiko のおかげで、相思相愛にも、そしてコナンにも出会えた。いつの時代の私にも寄り添ってくれる、新たな出会いを与えてくれる、背中を押してくれるaiko。彼女には、今までもこれからも、私のミューズであってほしいと願う。

こんな恋をした今を、aikoの歌と生きている。

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