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ロマンチシズム的2024②


守る、とは一体何なのだろうかと最近よく考える。
出産の経験はないが、生まれたばかりの赤子だけでなく義務教育を終えるまで、ひいては成人するまでの大人の保護下に置かれるべき子供たちは、周囲の人間が体を張ってでも守るべき対象だということはわかる。
また、人間は大切な人に対する庇護欲を持ち合わせているものだと思っているし、私だって何度もこの人のことを守りたいと思ったことがある。

しかし、「守りたい」という言葉の中に、時に「守ってあげる」と言う傲慢な感情も見え隠れするのが人間というものだ。「私はあなたを守りたい」と言われるのと「私があなたを守ってあげるね」と言われるのでは、受け取り方にも雲泥の差があるだろう。もちろん、後者の方が心に沁みる人もいるかもしれないが、私のような捻くれ者は、「守ってあげる・・・?現時点で毎日働いて納税して(健康面を除いて)特に不自由なく生きているのに、ぽっと出のあなたにどこをどう守ってもらわなきゃならないんだ?」と疑問符を浮かべてしまう。これには日々募らせる異性への嫌悪感も影響している可能性もあるが、たとえ発信者が同性だとしても、まだ私の人生年表に登場して日が浅い人物に言われたところで素直に受け取ることはできないだろう。
 
まぁ、「ひとりで生きられそう」ってそれってねぇ、褒めているの?を地で行く人間なので、ここまでは杞憂なのだけれど。
 


ところで、今年出会ったドラマの中で、どうしても感想やそれに付随する思いを書き残しておきたいものがいくつかあるが、その中でも別格の作品がある。
いわゆる古き良き型にハマっていない家族の形・恋人の形・母の形。それらを全て回収した上で、「家族以外の誰かにも頼っていいんだよ」「あなたを大切に思う人はここにもいるよ」というメッセージを発信し続けてくれた、そして私の中の「守ってあげたい」の概念を変えてくれた作品だ。
 
「西園寺さんは家事をしない」、これまでの火22時のお仕事恋愛ドラマとは一線を画すこの作品は、私にとって宝物になった。
 


 
2.「あの頃、僕はあなたに救ってもらうことしか出来なかった。でも今は、あなたを救うことが出来る。守ってあげられる」(横井和人/ドラマ「西園寺さんは家事をしない」 (2024))
 
このセリフをのこした横井さん、通称カズトヨコイは、主人公である西園寺さんに想いを寄せる人物のひとりだ。職業は何とお料理系YouTuber。この設定も令和っぽい。
西園寺さんの友人役である塚本高史が火22時お得意の当て馬要員だと信じてやまなかった私は、話が進むごとに「え?!!ツダケンが?!!火22時に当て馬やる時代とかあるの?!!」と困惑したことを鮮明に覚えている。しかしこれがまたこの上ないハマり役で、もし私が声優の世界線があれば西園寺さんを見た日からツダケンとアフレコが被っても目を見れなかっただろうな・・・という杞憂を寝ても醒めても繰り返していた。
 
ここで冒頭の「守りたい」「守ってあげたい」論争に戻る。横井さんは西園寺さんにはっきりと「守ってあげられる」と言ってのけた。普段の私なら眉を顰めるに違いないが、これを不快に感じなかったのは、西園寺さんと横井さんの間柄、関係性が大きく影響している。

横井さんは元々自分に自信のない気弱な会社員だった。細々と暮らし、趣味の料理の一環で毎日手作り弁当を持参する、そんな人。ここに横井さんの堅実さとか控えめさがよく表れていると思う。
ある日そんな横井さんのお弁当を見た西園寺さんが一言、「こんなに素敵なお弁当を毎日持ってきているなんてすごい!レシピを公開したらきっと誰かの助けになります!」と。この言葉に、「見てくれている人はいるんだな」と心を揺さぶられた横井さんは、脱サラ後お料理系YouTuberに転身を遂げ、しかも大成功すると言うわけだ。
加えて、その告白を聞いた西園寺さんの第一声は「いや、だって本当にすごかったんですもん!」とくるのだから、本当に憎い人だ。当時の何気ない一言に付随する映像を記憶してくれている、そしてもう一度褒めてくれる。その言葉を受けた横井さんの内から溢れ出すような笑顔には、喜びだけでなく、西園寺さんが授けてくれた、そして人生を着実に歩んできたからこそ手に入れた自信が滲んでいた。

自分が心に留めている宝物のような思い出を、大切な人も覚えてくれていたという経験は誰しも持っているかもしれないが、その度に自分も大切にされているように感じるし、その経験が自信へと繋がる。
横井さんの涙混じりの笑顔に困惑する西園寺さんは、きっと自分の過去の言動も、現在まで遺る記憶も、当たり前のことだと認識しているのだろう。しかし、周囲の人を大切にしてきた西園寺さんが積み重ねてきた何かは、確実に誰かを救っている。
 
そして、この言葉につながる。
「あの頃、僕はあなたに救ってもらうことしか出来なかった。でも今は、あなたを救うことが出来る。守ってあげられる」
西園寺さんからもらった自信に救われた横井さんの胸の内は、「救いたい」から「救うことができる」、そして「守りたい」から「守ってあげられる」に形を変えた。それだけ横井さんの得た自信というものが、彼の内面を大きく塗り替えるほどに特別な存在となったということだろう。
「あなたを救いたい。守りたい」では、ただの横井さんの希望ベースの感想だ。「あなたを救うことが出来る。守ってあげられる」の力強さは、実際に西園寺さんには出会っていない私の胸の深いところにも刻まれた。
 
話は大きく変わるが、私は次の一月でKis-My-Ft2宮田くんの応援を始めてから3年を迎える。この3年間、応援のペースに波がなかったといえば嘘になるが、心の底でずっと「私にはみやたくんがいるから大丈夫だ」と思いながら生きてきた。そのくらい、彼はいつも私たちファンに惜しみない愛をくれる。
応援し始めて最初の2年は、とにかくみやたくんだけが頼りだった。ただただ一方的な恋をぶつけるばかりで、義務的に活動に目を通し、会場でみやたくんに見つけてもらったことを自分の自信に替える。1オタクのエゴで活動を身守るような日々を過ごしていた。
 
そんな中、今年のツアーオーラスである名古屋公演を終えた帰りの新幹線で、漠然とお腹も胸もいっぱいだなぁと感じた。去年までは義務的に1秒も見逃したくないと双眼鏡を構えていたのに、今年はそうではなかった。宮田くんが幸せそうにしているだけで何だか心が満たされ、来年からは命をかけて毎公演参加しなくてもいいかもな、という心のゆとりさえできた。こんなこと昨年までの私に伝えても、とても信じてはくれないだろう。

この心境の変化には、今年開かれた宮田くんの著書「境界のメロディー」の発売記念お渡し会が関係している。残念ながら私はどうしても仕事で参加できず、友人に代理で参加してもらったのだが、その時にかけてくれた言葉が私の心をふわりと軽くしてくれた。というか、これまでに無いほどの自信をくれた。
人生を通して寄り添ってくれる、そんな言葉を贈ってくれたのだ。
 
「あの頃、私はみやたくんに救ってもらうことしか出来なかった。でも今は、あなたを救うことが出来る。守ってあげられる」
 
横井さんに自分を重ねられたのは、みやたくんがくれた愛のおかげだ。みやたくんがみやたくんのままでアイドルを続けてくれることが、私の自信になる。その自信が、自分の足で自分の立ちたい場所に向かう理由になる。
 
君から大切なものを受け取ると、君から大切にされていると思えるんだ。それだけで、世界から大切にされているように思えるよ。みやたくんに出会ってからずっと、私の中のランバートがそう叫んでいるが、今年はより一層この言葉が沁みたようにも思える。
 
そんな今年の私とシンクロしてくれた横井さんが、未来永劫幸せである事を願って。
まぁ、私が願わずとも彼は歩みを止めることは無いだろうし、みやたくんから受け取った愛を抱き締めて私も進み続けよう。
 
来年も再来年もその先もずっと。
 

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