被爆三世と「海に眠るダイヤモンド」
故郷への愛を自覚したのは、大学進学と共に県外へ出た18歳の頃だった。
あの頃は梅田に出るだけでホームシックになって、夜中によく泣きながら親に電話をかけていた。今となっては笑い話だが、あんなに望んで家を出たはずなのに、いざ出てみるとこれなのだから18歳なんて所詮18歳ぽっちの子供なのである。
そんな18歳ぽっちから10年が経過した今も、何かと理由をつけてはしょっちゅう実家に帰っている。理由は二つ。
一つ目は在宅勤務が許可されていたから。一人暮らしの不摂生より実家で仕事をしながら健康的な食事をした方が精神衛生的に良くないか?という私のだらしなさが原因だ。
二つ目は単純に故郷が好きだから。異国情緒に溢れる街並みは世界に誇れるものだと自負している。近頃あんなに疎ましく思っていた方言を心地よく感じるのは、私が歳を重ねたからだろうか。
昨年、何の縁か故郷が舞台のドラマが2本も放送された。
そのうちのひとつ、自分の境遇とも重なる、タイトル通り宝石のような輝きを放っていた作品は、今も私の胸の中で燦然と煌めいている。
令和の世を生きる私は、被爆三世だ。
ドラマ「海に眠るダイヤモンド」。
かつて炭鉱の島として栄えた端島、通称軍艦島は、2025年現在ユネスコ世界文化遺産として長崎市近郊の海に浮かんでいる。今や世界遺産となってしまった無人島にも、かつて人々の営みがあり、現在へ脈々と繋がる営みの中で育まれた愛が織り成す壮大なラブストーリーだ。
物語は1958年から始まるため、戦後13年。当時はまだ戦争が遺した傷跡が痛々しく散見されたであろう。
作中に登場する百合子は主要な登場人物の中で唯一の被爆者。1945年8月9日の11時02分に、爆心地に程近い浦上天主堂で被爆している。浦上地区で被爆をして目立った傷もなく生き残っているのはほとんど奇跡に近い。
話は変わるが、長崎県で生まれ育った私は、小学1年生から高校3年生までの12年間、8月9日は登校日という認識のもと暮らしてきた。猛暑の体育館で体育座りをして、被爆者の講話に耳を傾ける。そして11時02分に黙祷を捧げる。このルーティンが私の人生に「当たり前」として存在していた。
被爆者それぞれの人生があり、当時の惨状や社会情勢をそれぞれの語り口で何度も何度も耳にした。当時こそ良く理解していなかったが、大人になった今もっと真剣に被爆体験と向き合うべきだったと後悔している。戦後80年を迎える今年、私が直接お会いした被爆者の方は一体何人健康に生活されているのだろう。
そうやって、幼い頃から蓄積した平和教育が、百合子と自分の祖母を重ねさせたのだろうか。
祖母は、8歳の頃被爆した。これは、祖母の没後初めて聴いた話だ。祖母は常に穏やかな人で、早くで亡くなった祖父に代わり私たち孫に無償の愛を注いでくれた。生まれてこの方祖母の生家は長崎市外と信じ込んでいたので、祖母の没後初めて祖母の名が刻まれた「被爆者健康手帳」を目にした時衝撃を受けた。
母曰く、祖母は母にさえもほとんど被爆体験を語っていないという。今思うと、自分の娘が「被爆二世」というレッテルを貼られることを恐れたのかもしれない。広島・長崎における原爆投下が語り繋ぐべき歴史であることに変わりはないが、自身の体験を「語り継ぐ」のか「蓋をする」のかは当事者が決めることだ。
ここでドラマの内容に話を戻そう。端島出身にも関わらず、長崎弁を話さず、どこか掴みどころのない百合子。一見世間知らずのお嬢様に見える彼女は、浦上天主堂での被爆で姉を亡くし、母も後遺症に苦しんでいた。あの日あの場所で同じように被爆した家族が年々弱っていく姿に、自分の行く末を重ねていたのだろう。そのせいか、彼女は自分を「誰かと結婚し家族になること」「子供を持つこと」ができない存在だとはなから決めつけていた。
被爆した場所から推測できるように、彼女の家庭は敬虔なカトリック。後遺症に苦しみながらも尚主イエスに縋り、亡くなった姉に祈りを捧げる母へ、そして神へ、次第に反発心を膨らませていく。母が祈りを捧げる度に、被爆した身にも関わらず健常に暮らす自分の存在を否定されているような気持ちになったはずだ。
ある台風の夜、避難命令に背き主イエスに祈りを捧げ続ける母に「浦上の上にだってピカは落ちたんだよ!」と言ってのけた百合子。神のご加護に最も包まれているはずの教会のすぐ側で原子爆弾が炸裂したという紛れもない事実は、自身のカトリックとしての信仰心を大きく揺るがしたに違いない。
捨て台詞を吐いて逃げ出した彼女は、島の中の建物にひっそりと身を隠す。何もかも投げ出してしまいたいのに、台風の最中容易に島から出ることも叶わない。そうして、身を潜めたはずの彼女は、あえなく幼馴染の鉄平に見つかってしまうのだった。
幼馴染と肩を並べるだけ。ただそれだけの時間が彼女の心をほぐしたのだろうか。百合子は鉄平にポツリポツリと本音を語り始める。
自分は所詮何者にもなれない、誰からも愛されていないやさぐれた存在だと。あの日亡くなった姉を想い続ける母を浮かべ、「死んだ人間は綺麗なまま想ってもらえる」とも。自身に刻まれた負の遺産に必死で抗い、気丈に振る舞う人間にそこまで言わしめる原爆があまりにも憎い。
祖母が蓋をした記憶は、百合子の抱える想いにも重なる部分があったのだろうか。たった8歳の時の出来事が、祖母の人生を縛り付けることがあったのだろうか。
時は流れ、百合子は30歳に差し掛かる。現代でも「アラサー」などという言葉が飛び交うのだから、彼女の生きた時代はきっともっと所帯を持つことに向き合わざるを得ない年齢だったに違いない。
そして、彼女の身体を徐々に放射能が蝕み始めたのもこの頃。きっと身体の異変を感じる度に、亡き母の姿を浮かべ、若い頃よりも一層身の振り方を固く決めていたはずだ。
彼女には幼馴染が3人いる。大学時代百合子に恋していた鉄平。彼女が被爆するきっかけとなった朝子(この時には既に和解)。そして、彼女の苦しみを理解し、かつて偽装恋愛の相手をしていた賢将。というのも、賢将は元々朝子に恋をしており、「私のことを好きな人となんて、いい加減な気持ちで付き合えないもの」という理由で鉄平の恋心を遠ざけた百合子にとって、形だけの恋愛を経験するには都合のいい相手だったのだ。
もとい、都合のいい相手のはずだった。
その後も端島での生活を続けた四人は、四者四様の思いを抱き始める。とりわけ、大学卒業後の数年、お互いの辛い時期を共に過ごした百合子と賢将は、偽装恋愛をしていたあの頃よりもずっと深い絆で結ばれていた。
時は満ちる。「長崎で買ってきた」、言葉と共に賢将が百合子へ差し出したのはダイヤの指輪。
しかし、とっくに賢将への想いが募り溢れているはずの百合子は「私が今まで賢将に付き合ったお礼なら考えなさいよ、指輪なんて意味が出ちゃうじゃない」と一蹴。察しのいい百合子のことだ、この指輪に意味があることなど指輪を見た瞬間から悟っていたはず。にもかかわらず、原爆が遺した「誰かと結婚し家族になること」「子供を持つ事」への呪いが、彼女の本心から指輪を遠ざけようとする。
百合子の揺れる瞳に映る未来への希望と絶望、そしてその瞳を逃すまいと覗き込む賢将。押し問答の末、先手を打ったのは賢将だった。
「分かってる。百合子がそのこと気にして今まで生きてきたこと」
賢将の独白は続く。
「父さんにも話した」
「え・・・?」
ここで明らかに揺れる瞳が、百合子の背負う十字架をより強く実感させる。しかし、賢将は百合子の手を離さない。
「2人がいいなら、いいんじゃないかって」
「これからも付き合ってよ、俺の人生。俺も、百合子の人生に付き合うから」
真正面から切り込まれたプロポーズは、百合子の心も視聴者の心も大きく揺さぶった。人生をかけて1人で背負っていくと思い込んでいた、そう思い込ませた十字架を2人で背負うと言ってのけた賢将の言葉に、百合子はどれ程救われたのだろうか。一視聴者の私が推し量ることなど不粋な無償の愛がそこにはあった。
そして、ここに来て「私の人生、手強いわよ」と返す百合子のいじらしさに、どれ程の人が共感し涙を流したのか。放送時点は戦後79年。本当の意味で共感できる人は、このドラマを見ることができているのだろうか。届いているのだろうか。
祖母を想う。祖母から母へ、母から私へ連綿と続いて来た命のバトン。あくまで憶測だが、祖母も被爆者として命を繋ぐことを葛藤したのではないのだろうか。
事実、祖母は私たちに被爆体験を伝え遺していない。被爆体験に蓋をしても尚、私たちに命を繋ごうと想ってくれたあの日、祖母は無理をしていなかっただろうか。百合子の背負っていた十字架は、同じように祖母の肩からも下りたのだろうか。
ドラマ鑑賞後、思い立った私は母に祖母と祖父の出会いを尋ねた。話を聞くに、2人は恋愛結婚だったらしい。私の記憶の中では言葉少なで実直だった祖父。きっと祖母が蓋をした「被爆者」としての人生を包み込んで、寄り添い、命を繋ぐに至る無償の愛を与えてくれた、祖母にとっての賢将が祖父なのだろう。
私の幼い頃に他界したため祖父との記憶は乏しいが、祖父の没後、毎朝夕仏壇に手を合わせていた祖母の姿は鮮明に覚えている。亡くなっても尚、毎日祖父を想い続けた祖母。
2人が命を繋いでくれた私は、被爆三世の私は、戦後80年の今を健やかに生きている。
自分勝手な感想かもしれないが、「海に眠るダイヤモンド」を通して自分の存在価値を見出せたような気がした。あの頃誰かが憂慮した未来を、今ここで私が覆している。
そして、今は亡き祖母に、百合子に、あの頃を生き同じ様な葛藤を抱えた人全てに誇れる自分で在りたいと願う。恥じるような生き方をしたくない。だって彼女たちが居なければ、自分は今ここに居ないのだから。
戦後80年を迎える2025年、被爆三世として胸を張って伝えたい。
大好きなおばあちゃんへ、命を繋いでくれてありがとう。おばあちゃんが繋いでくれた命は、おばあちゃんが知らない元号を楽しみながら生きています。どうかこの作品が、そして私の人生が、おばあちゃんの元へ届いていますように。
そうして今日も、想い、誇っていこう。大好きな故郷を。