ベイビーステップ
11月に入り、気持ちの浮き沈みが激しさを増している気がする。春の日差しの中では意に介さないような些細なことで涙を溢してから、秋が大嫌いになった。
10月の頭に体調を崩して一ヶ月が経過した。始まりは些細なことで、なんでもない朝、自宅マンションのエレベーターに一歩足を踏み入れた途端に眩暈がした。自動ドアが閉まると同時に呼吸が荒くなり、涙が溢れ動くことが出来なくなった。次にドアが開いた瞬間「助かった」と心の底から安堵してエレベーターから這いずり出たあの日をいまだに鮮明に思い出す。
あの日から、一人ではエレベーターに乗れなくなってしまった。詳細は伏せるが電車の中でも一度過呼吸を起こしてしまい、その日から電車に乗ることが怖い。ユニクロの高くて狭い商品棚に囲まれながら売り場通路を歩くことも怖いし、車の後部座席も怖い。歯医者で手の震えがとまらなくなって矯正治療は中断しているし、二十歳から続けているマツエクも暫くお休みする事にした。10月頭から現場にも行ってないけれど(正確にはいくつか諦めた)、正直人ごみに飛び込むのが怖い。これからツアーが始まるというのに・・・。
前述の内容で分かる通り、私は10月から「パニック症」を患っている。何の因果か、たまたまNHKドラマ「Shrink」を見てすぐの発症だったので、最初の発作でこれはパニック症かもなと自分で気がつくことができた。
「Shrink」は、精神科(心療内科)を舞台にした作品だ。ごく普通の日常を送っていた人がささいなきっかけで病気を発症し、精神科医弱井の務めるひだまりクリニックを訪れる。病気との向き合い方や、周囲の人との関わりかたを考えながら、一歩ずつ進んでいく物語に放送当時胸を打たれた。まさか自分が発症する事になるなんて思いもしなかったけれど。
今はただ、漠然とした不安だけがある。11月から在宅勤務は終了で全社員出社の通達が出たにも関わらず、まだ一度も出社できていない。基本パニックが出るようなところにいかない限りは元気なので、仮病と思われていたらという不安もあるし、このままどんどん社会から隔離されそうで怖い。何より、病気を打ち明けている家族や友人に、少なからず気を遣わせている現実が辛い。抗不安薬の副作用で手に力が入らず、お気に入りのお皿を割ってしまった時から、全てを悪い方向に考えてしまう癖がついた。
「ベイビーステップですよ」。作中で弱井が言っていた。今日は外に出ることができた。今日は駅まで行くことができた。今日はホームまで行くことができた。今日は一駅だけ電車に乗れた。ベイビーステップでできないをできるに変えていく。今は、そんな小さな積み重ねが花開く日を待っている。
元より周囲の人に頼ることが苦手だけど、私より辛い人はいるし、と自分の心を押し殺すのは辞めたい。人には人の地獄があるし、人には人の幸せがある。
10月、何も聞けないし何も見れなかった私を救ってくれたのはTBSラジオ「空気階段の踊り場」だった。一見借金だらけで自堕落な生活を送っているだけのように見える鈴木もぐらが、意外と地に足がついていて、発する言葉に温度があるところが気に入っている。そんな自堕落なもぐらを誰よりも愛し、心配し、ケツと背中を叩き合っている相方の水川かたまりも好きだ。かれこれ何年もいろんな番組を聴き続けているけど、今の自分が取り込んで大丈夫だと思えるのは、踊り場だけ。
そんな踊り場には、「孤独なおじさん、いざゆかん」というコーナーがある。このコーナーでは、おじさんの生活で起きたなんでもない話をふつおたとして紹介している。すれ違い様に中学生カップルから大声で挨拶をされ揶揄われたおじさん。家庭裁判所での離婚調停帰りにメールをしたためるおじさん。初恋の人が夢に出てきたおじさん。そのふつおたすべてに味がするのは、孤独なおじさんが積み上げてきた人生があるからこそなのだろう。甘かったりしょっぱかったり、その味をひとつずつ確かめながら、笑いに昇華するこのコーナーが大好きだ。
もぐらとかたまりは「このコーナーが孤独なおじさんの受け皿になっている」と言うけれど、人生に躓いている私の受け皿にもなっている。もちろん、私だけではない。今を生きる誰かの受け皿に、きっとなっている。
いつか、きっといつか、今の私を笑いに昇華出来る日が来ると信じずにはいられない。
年始に生まれ、最近掴まり立ちを習得した姪っ子に語りかける。
「ベイビーステップだよね」
声にならない声を上げながら、拳を突き上げた無垢な笑顔に、毎日救われている。
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