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縁の下

誰かの役に立てたこと、、、
そんなの、あったかなあと思ってしまったけれど。

一つだけ。

それはもう、ありきたりだけれど、子供に対して、ということにつきる。

母は偉大だというけれど、
最近まで自分その自覚はなかった。

亡くなった母に対しては思うのだけれど、
自分にその偉大さなんて感じることは皆無。

この夏も、私は毎年恒例の、娘のピアノコンクールの練習や本番の付き添いにと追われていた。
レッスンの送り迎え、書記係、練習計画の予定を組んで、遠征の切符の手配に、ドレスにアイロンかけて、、と、それが連日となると、訳がわからなくなってくる。

早く終わらないかなあと思いながら、
本番に出かけると、
同じような、ピアノ母に遭遇するわけです。

子供の髪を結い直したり、楽譜を舞台袖まで持ってきて、演奏の確認。
緊張しまくった顔の子供を励ましたり、
うちみたいに欠伸なんかしている子もいたり、、、。

お母様方、本当にお使れ様です。
どのおうちも、私からは子供よりも母の方が本気だし、必死に見えてしまう。
またそれが、よく賞を獲っているお子さんのお母様なら、尚更。

私も、側から見ればそんな母なのでしょうか。

偉大って、ものすごく立派な言葉に聞こえてしまうのだけれど、
この必死さ自体が、もう偉大なのじゃないかと思うと、
なんだか、クスッとなってしまう。

縁の下で、必死になって子供を支えているのだ。
子供たちよ、頑張りたまえ。
そして、周りの全ての母に、
私は、まあまあ、とか言いながら、お茶を振る舞いたい気持ちになってしまう。
きっと、ピアノ界だけじゃなくて、
野球ママだとか、お受験ママだとか、子沢山ママだとか。
どんな母親も、子供のことに関しては、みんな必死なはずだから。

そんな夏も、少しずつ秋に近づいていく。
きっと今年の夏も、
いい思い出となっていくのだろうと思う。

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