いつか訪れる最期
2022年が終わる。
今年もプロセカは勢いを保ち続け、書き下ろし曲からヒットを決めてきた。
ボカコレは今年も大盛況で、新人Pが注目されやすい状況が整いつつある。
無色透明祭というPの知名度に頼らない新たな試みも登場した。
上記のとおりボカロ界隈は様々なところで盛り上がりを見せてきた。
一方の私はというと……
停滞している。
これは2年前の私の記事である。
この記事を書いた時は、一度マイナスの感情を吐き出してから今後はもっと頑張るぞという気持ちがあった。
今は何の意志も湧き上がって来ない。風一つもない凪の心持である。
TLを見ていると、ボカコレの完走者は少ないながらもいるし、そこまでは行かないにしても最近の曲のお勧めのツイートや、この時期だと今年の10選を作っている人もいる。
リスナー活動を頑張っているのは、私より若い人が多いように思うが、私と同年代ぐらいの人も、なおその勢いは衰えていない。
私は今年どころか5年以内に投稿された曲で納得のいく10選が作れるかも怪しい。
ここ数年はほとんどプロセカの書き下ろし曲ぐらいしか聴けていない。
リスナー活動を頑張っている人は、熱意や愛、(たまに狂気も)を原動力としている。
私にはそれらがない。今の私の動力源は8年くらい前までに自分が積み上げてくれた貯金という名の惰性である。
私は10年ちょっと前からボカロを聞き始めてきた。
その時の私の周りにはボカロ厨がたくさんいた。
多種多様のフォロワーと交流をしていたし、オタクのリア友でも聴いてる人はちょくちょくいた。
時が進むに連れてそのフォロワー達のアカウントは息をしなくなり、リア友もボカロはおろかオタク話をしなくなった。
当時の私は不思議だった。
確かに当時のボカロはプロジェクト系で流行の態様は大きく変わりつつあったから離れるのも理解できたけども、それでも曲自体は聴いてて楽しいものがあったし、アニメもまだまだ見ていて楽しめていたからだ。
しかし、今の私ならわかる。
これはコンテンツの問題ではない。追う人間側の問題なのだ。
上の記事にも書いたとおり、私はリアルが忙しくなってからボカロの流行を追わなくなった。
そうなったら、それまで燃え盛っていた熱量が一気になくなった。
今思えば、リアルとオタクを両立するのが下手だったのだろうと思う。
それでも私は、オタクである自分を、ボカロ厨であるアイデンティティを守りたくて必死に誤魔化して振舞ってきた。
これがボカロに対する愛なのかは自分でもわからない
今は辛うじてプロセカも続けられているし、2022年投稿曲も数曲なら把握している。
一緒にボカロを聴くフォロワーもたくさんいるから何とか延命治療は続けられている。
しかし、この状態はいつまで続くかはわからない。
こんな暗い自分を見ないで 飛び立っていくのは来年のことかもしれない。
ボカロリスナーアドベントカレンダー2022参加記事です。
obscure.さん毎年ありがとうございます。