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病院薬剤師が語る歴史人物数珠つなぎ    「道長と藤原摂関家」編❽藤原真楯

もし薬学の道を選ばなかったら日本史の先生になりたかった私、病院薬剤師だまさんによる、ちょっとマイナーな歴史上の人物を紹介するブログです。

本シリーズでは、摂関政治で頂点を極めた藤原道長を起点に、その祖先から子孫に至る流れをたどっていきます。

今回は、激動の奈良時代末期を兄弟で乗り切った藤原真楯です。


永手と真楯

藤原真楯(初名:八束)は藤原房前の三男です(715-766年)。

官位は正三位・大納言が最高。没後は太政大臣を贈られました。

真楯には1歳年上の兄・永手(別名:長岡大臣)がいました。

政争の具
真楯は聖武天皇にその才能を認められ、寵遇を得て1歳年上の兄・永手に先んじて公卿に列することとなります。ところが、時の権力者で南家出身の藤原仲麻呂は、反藤原氏勢力の橘諸兄派でもある真楯の才能を警戒し、永手の方を重用するようになります。

仲麻呂からの離反と道鏡との協調
しかし、淳仁天皇の擁立や紫微中台を基盤とした権力強化を図る姿勢に疑問を抱いた永手は、次第に仲麻呂から離反していきました。恵美押勝の乱(764年)で仲麻呂が敗死すると、永手・真楯兄弟は道鏡に対して協調姿勢で臨みました。

称徳天皇の皇嗣問題
766年に真楯が没した後も、永手は太政官の首班として活躍しました。称徳天皇の皇太子が定まらない中、宇佐八幡宮神託事件を始め、皇位を巡る事件が次々と起こりましたが、最終的には天武系の井上内親王を妃とする、天智系の白壁王(後の光仁天皇)の擁立で決着しました。

融和と発展
奈良時代では藤原氏内での権力闘争は平安時代ほどは激しくなく、むしろ他家との融和と発展が図られていました。理由は四家の祖(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が病没した直後であり、藤原氏以外の氏族の勢力も強大だったため、内輪揉めなどしている状況ではなかったからです。

世継ぎの差
弟・真楯より長命で正一位・左大臣にまで上り詰めた永手でしたが、息子は二人だけでした。永手の没後、長男の家依は従三位・参議にまでしか昇進できず、次男の雄依は藤原種継暗殺事件に連座して政界から追放されました。一方、真楯は四人の男子に恵まれ、特に次男の内麻呂は出世を重ね、父の官位を超えて従二位・右大臣にまで昇進しました。


阿倍内親王の波乱の生涯

この時代を把握するのにうってつけな作品(全5巻)がこれです。

阿倍内親王(後の孝謙・称徳天皇)の波乱の生涯を描いた物語です。

史上唯一の女性皇太子

気弱な父・聖武天皇と偉大な母・光明皇后の間には世継ぎとなる男子が育たなかったため、娘の阿倍が史上唯一の女性皇太子となりました。

仲麻呂への寵愛と決別

天皇に即位したばかりの阿倍は政治の主導権を藤原仲麻呂に委ねます。

仲麻呂は自らの甥である大炊王を即位(淳仁天皇)させることに成功し、自らも皇族以外で初めて太政大臣となり権勢を極めます。

ところが実る筈もない結婚をチラつかせる仲麻呂の嘘に気づいた阿倍は、やがて仲麻呂から距離を取り始め、僧・道鏡を重用するようになりました。

危機感を持った仲麻呂は挙兵したものの敗死します(恵美押勝の乱)。
※その結果、淳仁天皇は廃位、孝謙上皇は重祚して称徳天皇に。

道鏡への譲位は頓挫

その後、道鏡は太政大臣禅師そして法王にまで上り詰めます。

更には神託で皇位に就く可能性まで生じましたが、それが虚偽であることがわかる(宇佐八幡宮神託事件)と道鏡は失脚し間もなく没します。

称徳天皇の崩御をもって天武系の血筋は絶え、替わって天智系の白壁王が光仁天皇に即位することとなるのです。

ノーモア仲麻呂・ノーモア道鏡
阿倍の治世に仲麻呂・道鏡という朝廷を脅かす怪物が二人も現れてしまいました。この作品を読んで、皇嗣が定まらないとここまで政治が乱れてしまうことがわかりましたし、この時の教訓が平安時代の摂関政治(≒皇嗣のコントロール)へと繋がったのだと納得しました。


運命に翻弄された井上内親王の生涯

一方、阿倍内親王の異母姉・井上内親王は聖武天皇の第1皇女でしたが、幼くして5歳で伊勢神宮の斎王となったため、阿倍のように皇位継承者となることはありませんでした。

744年、弟の安積親王が薨去したことにより井上の運命が急変します。

斎王の任を解かれた井上は、白壁王(後の光仁天皇)の妃となり、高齢にもかかわらず酒人内親王(後の桓武天皇の妃)と他戸親王を出産します。

光仁天皇が即位した772年、井上は皇后、他戸親王は皇太子となります。

しかしその2年後、井上は光仁天皇を呪詛したとして皇后を、他戸親王は皇太子を廃され、幽閉を経て775年に親子は同日に薨去します。

ほんの束の間陽の目を見た井上の生涯は、妹の阿倍以上に運命に翻弄されたものとなりました。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

さて次回はいよいよ藤原北家の祖・藤原房前です。

お楽しみに。

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