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病院薬剤師が語る歴史人物数珠つなぎ~「道長と藤原摂関家」編~❷藤原師輔

もし薬学の道を選ばなかったら日本史の先生になりたかった私、病院薬剤師だまさんによる、ちょっとマイナーな歴史上の人物を紹介するブログです。

本シリーズでは、摂関政治で頂点を極めた藤原道長を起点に、その祖先から子孫に至る流れをたどっていきます。


没後に開花した強運

師輔は後述する藤原忠平の次男です(909-960年)。

兄・実頼より位が低く、早逝したため政治的には振るいませんでしたが、それを補っても余りある強運を持ち合わせていました。

師輔の没後、長女・安子の皇子がそれぞれ冷泉天皇・円融天皇として即位したからです。

これにより、師輔の家系(九条流)、つまり兼家をはじめとするその息子たちは天皇の外戚として権力を握ることができたのです。

一方、実頼の娘・述子は皇子を生む事なく死去し、実頼は外戚とはなりませんでした(一応、師輔の死後、代理として関白・摂政を務めています)。

師輔の時代にも政変はありました。

安和の変です。

左大臣源高明の権力伸張を恐れた実頼(師輔の兄)と師伊(師輔の弟)が結託し、高明を大宰府に左遷させたのでした。

高明はその後罪を赦され帰京しますが、結局政界復帰は叶いませんでした。

この際、高明の謀反を師伊に密告した源満仲は摂関家との結びつきを強め、清和源氏の基盤を築いていったのでした。


源高明との関係性

師輔を語るうえで避けては通れないのが、有職故実(九条流)の開祖となった点です。

有職故実とは
古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのこと。また、それらを研究すること。

Wikipediaより

師輔は、同じく故実に通じた源高明と親交があり、三女と五女を高明に嫁がせていることから、「無二の親友」と呼んでもいいかもしれません。

才人であった高明は、その後師輔の後押しを受けて栄進していきます。

・・・が、高明のサクセスストーリーは、師輔の没後、師輔の弟・師伊によって打ち砕かれます。


私が大学受験時に愛用したまんが参考書「まんが要点日本史」では、その師伊が登場しています。

高明の才に脅威を感じた師伊は、高明の追い落としを画策します。

高明「ウッス!!モロちゃん、あいもかわらずサえないツラだな」
師伊「皇族崩れがエラソーに…。だいたいこいつが左大臣ってのが間違いの元よ。兄の関白・実頼とはかって…」
冷泉天皇「辞令、源高明に大宰府勤務を命じ、師伊を左大臣に任命する」
高明「エッ!?」
師伊「バカめ」
安和の変 969年


「光る君へ」では、高明の末娘で道長の妻となった明子(高松殿)が父・高明が無実の罪で失脚させられた恨み節を言うシーンや兼家に呪詛を行うシーンが度々描写されました(瀧内公美さんが難しい役をこなされました)。

個人的には「もう昔の話なのにしつこ過ぎるのでは?」と感じましたが、調べてみると次第に「そうでもない」と思えてきました。

なぜなら、高明に罪を着せた師伊は高明の失脚後左大臣に昇任するも一年もたたずに没しため、世間では「高明の怨念」によるものと噂されました。

※「菅原道真vs藤原時平」(901年)のデジャブのようなお話ですね。

また、明子の息子・能信は道長の嫡男・頼通と敵対し、それがやがて摂関政治の凋落の引き金になっていくのですから、因縁の恐ろしさを感じます。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

さて次回は長きに渡り政界に君臨した藤原忠平です。

お楽しみに。

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