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病院薬剤師が語る歴史人物数珠つなぎ    「道長と藤原摂関家」編⓫藤原頼通

もし薬学の道を選ばなかったら日本史の先生になりたかった私、病院薬剤師だまさんによる、ちょっとマイナーな歴史上の人物を紹介するブログです。

本シリーズでは、摂関政治で頂点を極めた藤原道長を起点に、その祖先から子孫に至る流れをたどっていきます。

道長の「尊属」を遡るのは不比等で打ち止め(ええっ、鎌足は?)。

今回は道長の「卑属」を取り上げます。


摂関家を衰退させたサラブレッド

頼通は藤原道長の長男です(992-1074年)。

父・道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇、後冷泉天皇の治世で関白を50年の長きにわたって務め、藤原氏の全盛時代を築きました。

その栄華の象徴が頼通が造営した平等院鳳凰堂です。

まさにサラブレッド。

大河ドラマ「光る君へ」では、偉大な父・道長に尊敬と反発の複雑な思いを抱き続ける頼通役を渡邊圭祐さんが演じられています。


一方で、頼通は度重なる不運や災難にも見舞われました。

・一度も外戚になれなかった(天皇に嫁がせた娘が男子に恵まれなかった)
・地方で戦乱が相次いだ(刀伊の入寇・平忠常の乱・前九年の役など)
・頼通とは疎遠な後三条天皇が即位した etc

頼通の引退後、摂関家の権勢は衰退へと向かい、かわって院政と武士が台頭する時代へと移ることになるのでした。

「下の子が勝つ」というジンクス(!?)を無視して長男を跡継ぎにした道長の選択は、果たして正しかったのでしょうか?


「男は妻がらなり」が仇に

頼通は具平親王(村上天皇の第七皇子)の娘・隆姫女王を娶ります。

高貴で美女で文才もあった隆姫と頼通の縁談を、道長は「男は妻がらなり」(男性こそ妻の家柄が重要だ)と言って喜びました。

「私の妻は隆姫だけです」

しかし子宝には恵まれることはなく、隆姫を悲しませぬよう側室を持つことにも消極的だった頼通に非情な運命が待っていました。

時の帝・後朱雀天皇に頼通やその弟たち(教通・頼宗)はこぞって娘を入内させましたが、ついに皇子は産まれなかったのです。

当時皇太子には、後冷泉の異母弟で藤原氏とは縁の薄い尊仁親王が立てられていました(一応道長の曾孫でした)。

長年頼通に冷遇されてきた尊仁親王が後三条天皇として即位した時点で、藤原摂関家の命運は尽きたのです。

歴史に「たられば」はないと言いますが、もし頼通が側室を娶っていたら、もし尊仁親王にも厚遇していたら、歴史は変わっていたかもしれません。


六条御息所の再来?

以前師輔編で少し触れた道長の側室・源明子(高松殿)の話です。

先日放映された「光の君へ」(第41回「揺らぎ」)では・・・

「(顕信は)あなたが殺したのよ!!!」

正妻・倫子の子女(頼通・教通・彰子など)が目覚ましい出世をする一方で、明子の子女(頼宗・顕信・能信など)は恵まれていませんでした。

そんな中、絶望した顕信が突然出家したことで、この地獄絵図に至ります。

母の怨念は能信に乗り移り、ことごとく頼通と敵対したと伝わっています。

重態に陥った後朱雀天皇に、尊仁親王を親仁親王(のち後冷泉天皇)の皇太弟にするよう懇願し実現させたのは、ほかならぬ能信でした。

明子の怨念が摂関家の栄華に終止符を打った瞬間でした。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

病院薬剤師が語る歴史人物数珠つなぎは、いったんお休みをいただきます。

次のシリーズは「源氏かな?」と思っていますが、まだわかりません。

お楽しみに。


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