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【Driver Explanation】 2025年はザウバーに移籍するニコ・ヒュルケンベルグ!来年こそは表彰台獲得なるか?

今回は2025年シーズンからニコ・ヒュルケンベルグについてを紹介していきたいと思います。

ヒュルケンベルグは1987年8月19日に西ドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州クレーヴェ郡エメリッヒ・アム・ライン出身のレーシングドライバーである。

10歳からカートを始め、2002年からはドイツジュニアカート選手権に出場し、2003年にはチャンピオンを獲得した。
チャンピオンを獲得した後も2004年まで同選手権に参戦した。

2005年からはシングルシーターレースにステップアップをし、ドイツ・フォーミュラ・BMWに参戦し、シリーズチャンピオンをしたがこのチャンピオンはシーズン終了後に決まったものだった。

2006年からはドイツ・F3に参戦し、参戦1年目はシーズン1勝のシリーズ5位でシーズンを終えた。

2007年からはユーロ・F3に参戦し、シリーズランキング3位でシーズンを終え、また同年にはマスターズ・F3では優勝を果たした。
翌年の2008年もユーロ・F3に継続参戦をし、チャンピオンを獲得した。

またこの間には2006-2007 A1グランプリにもドイツチームからクリスチャン・ベトリスと共に参戦し、ヒュルケンベルグは20レース中9勝を挙げ、ドイツチームに優勝をもたらした。

そしてこの頃からヒュルケンベルグはミハエル・シューマッハなどのマネージャーである、ウィリー・ウェーバーによるマネジメントを受けるようになった。

2009年はGP2に参戦する予定だったものの急遽、アジアシリーズに途中参戦を果たし、4レース中2回目のポールポジション、そして1勝を獲得した。

GP2では最終戦を残してチャンピオンを獲得するなど圧倒的なシーズンとなり、シーズン最終戦前でのチャンピオン決定はGP2史上初の出来事だった。

F1関連に関してはマネージャーのウィリー・ウェーバーがテスト走行を行うべく、ルノーF1のフラビオ・ブリアトーレに接触を図るも、2007年12月4日にウィリアムズからヘレステストの機会を貰い、2007年12月13日にはウィリアムズのテストドライバー就任が発表された。

これ以降の2008年、2009年には他の選手権と並行してウィリアムズのテストドライバーの職務も務めた。

そして2010年からはウィリアムズのレギュラードライバーに昇格を果たし、チームメイトはルーベンス・バリチェロだった。
シーズンとしては第18戦ブラジルGPでは雨が降る中でポールポジションを獲得するなど、チームにとっても5年ぶりの出来事だった。
しかし8月頃からは2010年限りでのチームから放出される報道が見られ、11月15日にパストロール・マルドナドのウィリアムズ加入が発表される形で離脱が発表された。
この背景にはウィリアムズが当時財政難に陥っており、多くの持ち込み資金を用意したパストロール・マルドナドがシートを得た。

2010年シーズンはポールポジション1回の合計22ポイントを獲得し、シーズン14位でF1ドライバー1年目のシーズンを終えた。

2011年はフォース・インディアのリザーブドライバーに就任し、シーズンの多くのグランプリでFP1のセッションに出走した。

そしてこの年以降からはウィリー・ウェーバーのマネジメント契約を終了し、自身でマネジメントを行なった。

2012年からは昨季までフォース・インディアのレギュラードライバーだったエイドリアン・スティルが離脱したことにより、レギュラードライバーへと昇格した。

2012年はシーズンを通して63ポイントを獲得し、シーズンを11位で終え、チームメイトのディ・レスタを上回る結果を残した。

2013年はフェラーリなどの移籍の噂が流れる中で結果的にはザウバーへと加入した。
チームは昨季は表彰台を4回獲得するなどの活躍を見せていたものの、2013年は財政難に直面しており、思う様なシーズンにはならなかった。
結果としてシーズン51ポイントを獲得する、ランキング10位でシーズンを終えた。

2014年はフェラーリがフェリペ・マッサの後任としてのドライバー候補には挙がっていたものの、結果的にはキミ・ライコネンがそのシートは手にし、ヒュルケンベルグ自身は2012年に在籍していたフォース・インディアへと戻る形となった。
2014年は開幕戦から10戦連続の入賞を果たすなど調子が良かったものの、後半戦はその勢いが徐々に落ち込み、シーズンを通して96ポイントを獲得しランキングは9位でシーズンを終えた。

2015年は引き続きフォース・インディアから参戦し、序盤戦こそは資金難により苦戦を強いられてたが、最終的にはチームメイトのセルジオ・ペレスは表彰台を獲得するなどマシンは向上した。
2015年はシーズン通算58ポイントを獲得し、ランキングは10位でシーズンを終えた。

また2015年にはF1シーズンの合間にWECにもポルシェチームより参戦し、第2戦スパ6時間耐久レース、第3戦ル・マン24時間耐久レースに参戦し、現役F1ドライバーとしてル・マン24時間耐久レースを制した。

2016年は引き続きフォース・インディアに残留し、モナコやオーストリアの予選では躍動する決勝ではなかなか厳しい戦いへとなった。
シーズンを通してチームメイトのセルジオ・ペレスは表彰台を2度獲得したのに対し、ヒュルケンベルグは最高順位4位、72ポイント、ランキング9位でシーズンを終えた。

2017年からはフォース・インディアからルノーへと移籍を果たした。
2017年はチームメイトのジョリオン・パーマーに対して予選では全勝を果たし、またアメリカGPからはカルロス・サインツJrにチームメイトが変わった。
マシンに関しては序盤戦は調子が良かったものの、後半には失速が見え、シーズン通算43ポイント、ランキング10位で1年目のルノーでのシーズンを終えた。

2018年は引き続きルノーから参戦し、チームメイトは昨季途中から務めたカルロス・サインツとなった。
ルノーは上位勢のメルセデス、フェラーリ、レッドブルこそなかなか切り崩せないものの、中団勢としてはトップの走りを見せ、ヒュルケンベルグ自身も60ポイント、ランキング7位と自己ベストのドライバーズランキングの順位でシーズンを終えた。

2019年は引き続きルノーに残留するも、新たにレッドブルから加入チームメイトのダニエル・リカルド相手に前半12戦では予選全敗となり、ポイントでは大差はないもののリカルドの前でフィニッシュすることは無かった。
そんな中、ルノーは第13戦ベルギーGP前に2013年からエステバン・オコンと2年契約を結んだことを発表した。

ヒュルケンベルグはチームメイトに苦戦を強いられ、シーズン通算43ポイント、ランキング14位でルノーラストシーズンを終えた。

2020年はレギュラードライバーとしてのシートは失ったものの、F1復帰は諦めずに1年間の休養という形をとっていた。
しかし世の中は新型コロナウィルスの流行により、F1のドライバー市場などの多くの面で影響を及ぼした。

しかし第4戦イギリスGP前のウィルス検査でレーシング・ポイントのセルジオ・ペレスが陽性反応となり、代役としてイギリスGPと70周年記念GPに出場した。
イギリスGPではマシントラブルで決勝レースに出走出来ずにDNS、しかし70周年記念GPでは7位入賞を果たした。

そしてこの2回限りの2020年のF1での走行に思われたが、ニュルブルクリンクで開催された第11戦アイフェルGPでは同じくレーシング・ポイントのランス・ストロールが体調不良により、土曜日から欠場。
母国での急遽の参戦となったものの、堅実な走りを見せて8位入賞を果たした。

2021年は2020年の代役での走りを評価され、レッドブル加入の噂があったものの、そのシートを手にしたのはセルジオ・ペレスであった。

結果として2021年はアストンマーティンのリザーブドライバーを務めた一年となった。

2022年は前年に引き続きアストンマーティンのリザーブドライバーを務めた。
しかし、レギュラードライバーのセバスチャン・ベッテルが新型コロナウィルスに開幕戦前に感染が判明し、開幕戦のバーレーンGP、及び第2戦のサウジアラビアGPに出場した。
結果としては入賞には至らなかったものの、チームメイトのランス・ストロールを上回る走りを見せた。

2023年はハースからミック・シューマッハの後任としてF1復帰を果たし、チームメイトはケビン・マグヌッセンとなった。
ヒュルケンベルグにとっては4年ぶりのレギュラードライバーとしてのシートにはなったものの、劣らない走りで予選では速さを見せた。
しかし決勝ではレースペースが悪く、入賞は決勝とスプリントの一度ずつのみとなり、9ポイントを獲得しランキングでは16位となった。

2024年は前年に引き続きハースから参戦し、チームメイトは変わらずケビン・マグヌッセンとなった。
2024年のハースのマシンは非常に好調で、41ポイントを獲得し、ドライバーズランキングでは11位となり、チームとしては終盤に激しいコンストラクターズ争いの末7位となった。

また2024年の4月28日には同年限りでのハース離脱、及び2025年からザウバーへの移籍が発表された。

2025年からはザウバー、そして2026年からはチームがアウディと変わる中でヒュルケンベルグの今後の走りにも注目である。

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