またもレースディレクターが水を差したフェルスタッペン戴冠劇——日本GP観戦記①
10月7~9日の日本GPを5年ぶりに現地で観戦した。金・土・日と天候がすべて異なり、特に日曜は雨のなかの赤旗中断で2時間以上も待たされる試練の1日だったが、最後にフェルスタッペンの戴冠劇が待っていた。
鈴鹿の週末をテーマ別に複数回に分けて振り返りたい。まずは、ポイントシステムの混乱が水を差したタイトル決定から。
誰もがキツネにつままれたフェルスタッペンの戴冠劇
9日の決勝でフェルスタッペンが2年連続のチャンピオンを決めた。しかし、王座はコース上で確定したものではなく、ポイント配分をめぐる混乱を伴いながら、レース後に決定したものだった。私は「去年に続き、またもレースディレクターの判定が物議をかもす戴冠劇になった」と思った。
スタートの14時過ぎに雨脚が強まり、クラッシュが相次ぐ大混乱で始まったレースは、2時間以上の赤旗中断を挟む異例の展開に。再開後のレースでフェルスタッペンは1位でチェッカーを受けるも、こなした周回は28周と予定の半分強で、獲得ポイントが少なくタイトル決定は次戦以降に持ち越しかと思われた。
しかし、チェッカーから10分ほど経ったころ、トップ3インタビューの終了間際に「フェルスタッペンのタイトル確定」の知らせが飛び込んだ。ドライバー本人もインタビュアーも、場内実況も、誰も状況をつかめぬままのグダグダなタイトル決定だった。
今年改訂されたポイントルールでは、レースが『赤旗打ち切りで再スタートできないまま終了した場合』は、周回数の消化割合に応じて得点を減算することになっている。例えば今回の消化周回数(28周)は予定周回(53周)の「50%以上75%未満」にあたり、得点配分は1位から順番に「19、14、12、10…」となる。この場合はフェルスタッペン優勝でもルクレールが3位以内ならタイトルは決定しない。
しかし、この規定は『赤旗打ち切り』時の記述はあるが、『周回数不足のまま3時間の時間切れでチェッカーを受けた』ケースは考慮漏れとなっていた。F1競技規則の日本語版でも、赤旗打ち切りレースのポイントを定めた6条5項は下記の記述となっている。
6.5 決勝レースが本規則第57条(※筆者注:赤旗を指す)により中断され、再スタートができなかった場合、以下の基準により各選手権タイトルのポイントを付与する。
(※以下、レース消化率に応じた配分ポイント数の記述が続く)
そのため、レースコントロールは「赤旗打ち切りでないなら6条5項に定める条件に該当しない」とみなし、6条4項で定める「25、18、15、12…」の通常通りのポイントを配分した。
レースはフェルスタッペン、ルクレール、ペレスの順番にゴールしたが、ルクレールは最終ラップの最終シケインでのショートカットによるペナルティが明らか。減算ポイント前提ならルクレールが3位に落ちても王座決定は持ち越しだが、優勝25点のフルポイントとなることでフェルスタッペンのタイトル確定にひっくり返った。ペレスがルクレールを攻撃し続けてミスを誘い、3位に蹴落としたことが最高のアシストとなった。
スタンドでも半信半疑のフェルスタッペン戴冠劇
大型ビジョンにタイトル決定のファンファーレの映像が流れたころ、私のいたA2スタンド(ホームストレート1コーナー寄り)では拍手が沸き、ところどころで歓声も上がった(※新型コロナ禍で日本人の観客は声での応援を控えていたため、歓声がまばらなのは不思議ではない)。
しかし、観衆の頭の上には「?」マークが浮かんでいるようで、高揚感という表現は似つかわしくない雰囲気だった。私もしばらく状況を理解できず、11年ぶりに鈴鹿がタイトル決定の舞台になった感慨よりも、この決定がのちに覆る不安が先に立った。
ピエール北川さんが実況し、佐藤琢磨さんが解説を務めた場内放送でも、赤旗中断中にFIAのポイント規定の解説をしていたが、レース後のタイトル決定となった経緯は釈然としないようだった。
タイトル確定がレース後となることで残念なのは、ウィニングランを駆け抜けるフェルスタッペンにタイトル獲得の声援を送ることができなかったことだ。タイトル確定後に声援を送ろうにも、彼のマシンはすでにピットに帰っている。
また、3時間の制限による打ち切りの場合に何周目がファイナルラップとなるのか規定の解釈が割れたようで、各チームは認識違いの可能性を考慮してゴール後の各車を軒並み全力でストレートを駆け抜けさせた。100分の1秒差でゴールしたベッテルとアロンソは、その後の1コーナーでもレースを続けているように感じたぐらいだ。ゴール後も速度を緩めず走り去る各車に、スタンドから盛大に拍手を送る余裕もなかった。
決勝を終えたころは日没も近く、帰宅を優先してウィニングラン中に席を立った観客も多かった。帰宅途中の知らないうちにタイトルが決まっていたという観客も少なくないと思われるのが大変残念だ。
もっとも、これは座席によって受ける印象は大きく異なるだろう。グランドスタンドはタイトル決定を喜ぶドライバーとチームスタッフの姿を間近に見られる最高の体験になったに違いない。フェルスタッペンがスタンド前で手を振ったり、レッドブルのチームスタッフがホームストレート上で「レッドブルファイト」で祝杯を挙げたりしたようだ。
私はグランドスタンドはスタートやピット作業はよく見えるものの、コーナーは見えないのであまりおすすめはしていない。ただ、こういう歴史的な機会を間近で見られるのはうらやましいと感じた。
FIAはまともなレース運営をしてほしい(怒)
ともかく、FIAのレースディレクターはまともなレース運営をしてほしい。
去年のマイケル・マシは裁定に一貫性が欠け、ベルギーのようにセーフティーカー(SC)先導の2周でレースを成立させたことに批判を受けた。その反動か知らないが、今年のレースはあまりに条文ギチギチの杓子定規で、レースというスポーツにとって「適正な運営」がどうあるべきか、思想が伴わないように映る。
トラックリミット違反もそうだし、他車との接触についてもシーズン前半は「理由はどうあれ後ろにいたドライバーが悪い」としてペナルティを与える事例が目についた。
途中打ち切り時のポイントシステムも、消化周回数の割合の区分を「2周以上~25%未満」「25%以上50%未満」「50%以上75%未満」「75%以上」の4段階に区切ってポイント配分を決めているのは異常事態だ。去年のベルギーでSCの先導ラップ2周でレース成立させたことを問題視するとしても、ポイントシステムを細かく区切ることを誰が求めているのだろう?
去年までのハーフポイント方式は「消化周回が予定の4分の3に達しないならフルのレースとはみなさない」ということが主旨だった。今回の鈴鹿も消化周回が50%少々だから、そのレースに優勝25点のポイントを与えるのはおかしいと考えるのが自然だ。制度の本質を考えず、条文解釈ばかりに集中するから、今回のようなグダグダなタイトル決定劇となるのだ。
もし、この条文の問題を運営側がレース中や赤旗中断中に気づいていたのなら、チェッカーでレース終了したらフルポイントになることをいずれかの段階で提示していないとおかしい。運営側がチェッカー後にようやく問題に気づいたとは考えづらく、ルクレール降格決定と同時にファンファーレが流れたことを考えると、それ以前にフルポイントレースになると知っていたと考えるのが自然だ。
観客も視聴者も、ポイント減算を前提としてレースを観戦していた。もし、事前にフルポイントであることがわかっていたら、最後のペレスの追い抜きはチームメイトのタイトル獲得を決定づけた名場面として、より強い印象を残していたことだろう。
レースディレクターは条文解釈ではなく、観客席やテレビの向こう側に多数の観衆がいることを考えて運営に臨んでほしい。
(※今回はここまで。論評が多くなってしまいましたが、現地観戦は楽しいものでした。次回に続きますが、いずれ「赤旗中断と重機の問題」は取り上げざるを得ないかもしれません)