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来たる者と去り行く者の交差点:②ドライバー編——台風の目となったピアストリとデ・フリース

サマーブレイク以降の数々の発表を『来たる者と去り行く者』に焦点を当てて振り返る。第2回はドライバー編。今年はピアストリとデ・フリースの2人の新人ドライバーが台風の目となる、異例のストーブリーグとなった。

ピアストリのアルピーヌ契約否定でF1界は大騒ぎに

移籍市場で最大の衝撃は、昨季F2王者で今季はアルピーヌのリザーブドライバーを務めるピアストリのマクラーレン移籍劇だった。

来季マクラーレンでのF1デビューが決まったピアストリ(左)と、契約解除となったリカルド

ハンガリーGP前の7月28日にベッテルが引退を発表した後、8月1日にアロンソがその穴に収まる形でアストンマーチンへの電撃移籍を発表。アルピーヌはその2日後の8月3日、ピアストリの正ドライバー昇格を発表するが、本人は即座に「チームの発表は事実ではない」との声明を出した

デビューもしていない新人ドライバーが、育成所属チームの来季契約を蹴るなんて信じられない。F1界は蜂の巣を突いたような大騒ぎとなった。

このとき彼はすでにマクラーレンと来期契約を結んでいた。アロンソが単年契約しか提示しないアルピーヌに愛想を尽かしたころ、ピアストリもまた、自分へのぞんざいな扱いに終始するアルピーヌでの将来を見限っていたのだ。

以前にnoteにも掲載した『F1チームのリーダーシップとドライバー管理の相関図』を見ると、ピアストリがマクラーレンに行きたがるのも当然という感じがする。

F1チームのリーダーシップとドライバー管理の相関図(アルピーヌとマクラーレンの抜粋版)

アルピーヌや旧ルノーを含むエンストン拠点のチームは、有力ドライバーに好き勝手やらせて上昇気流に乗るのは得意だが、ドライバー管理の脇の甘さで幾度もチームの凋落を招いてきた。新人の所属先としても、アロンソやシューマッハのような成功例の場合は若くして自分の王国を築くことも夢ではないが、基本的にこのチームは新人教育という考えは薄く、直近ではパーマーやペトロフが中途半端な扱いのままチームを去った。

一方のマクラーレンは、大器と見込む新人に英才教育を施してきた歴史がある。プロストはデビューイヤーの80年をこのチームで過ごし、84年にチームに復帰してからはラウダの下で最強ドライバーとしての帝王学を学んだ。90年代以降もハッキネン、ライコネン、ハミルトン、ノリスがマクラーレンで新人時代を過ごして力をつけた。サインツは中堅に近い年齢ではあるが、このチームの走りで実力が認められたドライバーの1人だろう。

アンドレッティやバンドーンという失敗例にも個別の事情がある。米国のインディカー育ちのアンドレッティはF1への順応に苦労したうえ、チームもホンダからフォードへのエンジン移行とアクティブサスなどのハイテク機器の開発に忙殺された。なにより首脳陣はセナとの契約問題で大わらわで新人教育どころではなかった。バンドーンもホンダとの契約破棄とルノーへの移行期でチームに余裕がなく、アロンソと一緒になってホンダ批判をやらされた、という経緯があった。

この両チームの特徴を鑑みるとアルピーヌに所属するのは新人にとってリスクが大きく、ピアストリが安定したキャリアを築くためにマクラーレンでのデビューを求めたのは当然といえる。ノリスというよき先輩がいるなら、なおさらだ。

ライコネン(左)とハミルトン。いずれもマクラーレンで新人時代を過ごした共通点がある

ピアストリがマクラーレンと交わした契約は、9月2日のFIA契約認定委員会で正式に有効性が承認された。マクラーレンの契約の有効性が認められたというより、アルピーヌとピアストリの間にはなにも来期に向けた書面上の合意はなかった、というのが実情のようだ。エンストンのチームのドライバー管理の脇の甘さがまたも顔を出したことになる。

10月6日時点で、まだアルピーヌの1台のシートは空いたままとなっている。①ガスリーがアルファタウリとの来季契約を破棄して移籍する、②マクラーレンとの来季契約を解除されたリカルドが出戻る、③後述のデ・フリースを獲得する、のいずれかに落ち着くと思われるが、今季コンストラクターズで4位につけるチームのドライバーがこの時期でも未定となるのは異常事態だ。

なお、F1では『フランスのチームにフランス製エンジンが載り、フランス人ドライバーを走らせると必ず内紛が起きる』との忌まわしい法則があるようだ。アルピーヌも外部の人間にはうかがい知れない問題があるのだろうか? 彼らにとって幸運なのは、内紛の過去事例の多くに絡んでいるプロストは年初にチームを出ていったことだ。

新星デ・フリース、シューマッハやベッテルを思い出すデビュー

ピアストリ問題が決着した翌週末となる9月11日のイタリアGPで、もう1人の新人ドライバーにF1界の目が釘付けとなった。病欠のアルボンに替わって急遽、土曜日からウィリアムズで走り始めたデ・フリースだ。

予選も急な代役とは思えぬ速さで13位。上位ドライバーのペナルティで8番グリッドからスタートしたデビュー戦では、序中盤にアロンソの真後ろにピッタリ付けて隙をうかがい、後半はガスリーや周冠宇との争いを生き残って9位に入った。

代役でのデビューレースで9位入賞したニック・デ・フリース

歴史に残るドライバーはこういう緊急事態でお鉢が回ったときにビッグチャンスを逃さないものだ。シューマッハもベッテルも、急遽回ってきたスポット参戦でチャンスをつかんだ。ラッセルの20年サヒールGPでの好走も記憶に新しい。

来年、デ・フリースがどこに行くのか楽しみだ。ウィリアムズは9月23日、ラティフィの今季限りでのチーム離脱を発表し、少なくとも1つのシートが空席となった。前述のアルピーヌのシートも1つ空いたままで、仮にそこにガスリーが収まれば入れ替わりでアルファタウリのシートが空くことになる。デ・フリースの行き先は3チームに可能性があるわけだ。

仮にアルファタウリにデ・フリースが収まるなら、来シーズンの残留が決まった角田にとっては格好のライバルとなるだろう。

ピアストリとデ・フリース。2人の新人ドライバーが移籍市場の目玉となり、契約トラブルや他のドライバーの玉突き移籍を引き起こすのは前代未聞だ。ただ、『新人時代に契約で揉めるドライバー』、というのは概して大成する(※関連記事参照)。2人の来季の走りが楽しみになった。

2023年のドライバーラインアップ。アルファロメオの2つ目のシートは周冠宇の残留で確定している。ピアストリはマクラーレン 入りが確定し、デ・フリースもいずれかのチームと契約することは確定だろう。

ハータF1移籍の可能性を阻んだライセンスポイント制度

デ・フリースほどのドライバーがF1にデビューできなかった原因は、F1のシートが20しかなく、ライセンスポイントもF2偏重で、一度F2からF1へのステップアップを逃したドライバーにチャンスが巡って来づらいことも影響しているのでは、と感じる。(Wikipediaでのライセンスポイント規定を参照ください)

イタリアGP前までアルファタウリでの来季F1昇格の有力候補となっていたのが、インディカーのコルトン・ハータだった。同じくインディドライバーだった父ブライアンが英才教育を施し、2018年の最終戦に弱冠18歳でインディカーデビュー。翌19年に参戦わずか3戦目で初優勝を飾った。

18歳11カ月と25日での優勝はそれまでのグラハム・レイホールの記録を約1カ月更新する最年少記録。早熟の2世ドライバー、という点でフェルスタッペンのキャリアと重なるものがある。

インディで活躍するコルトン・ハータ

しかしながら、9月末で終了したインディカーの22年シーズンでハータはランキング10位に終わった。彼がでF1昇格のためのライセンスポイント(40点)を直近3年の累計で満たすには、今年のランキングで3位以上に入る必要があった。アルファタウリ陣営はFIAに既定の例外を求めているが実現の見込みは薄く、F1界の関心もデ・フリースに移った感がある。

個人的にはF1を走るハータの姿は見てみたい気がした。直近でF1からインディへ転身したドライバーはインディ500優勝で大成功したエリクソンや、グロージャンなど複数人いるが、インディ(CART)からF1への移籍は08年のブルデーや03年のダ・マッタ以降は途絶えていた。

近代F1でインディから転身して成功したドライバーは97年にタイトルを獲ったジャック・ヴィルヌーヴと00年代のモントーヤしかいない。このうちモントーヤは98年に国際F3000でタイトルを獲って以降、ウィリアムズのシートが空くまでインディを武者修行の場に選んだ側面が大きく、北米のフォーミュラ・アトランティックからインディカーへのステップアップを経由してF1で成功したのはヴィルヌーヴしかいなかった。

(※もっとも、ヴィルヌーヴもイタリアF3、全日本F3の経験があるし、なにより「ヴィルヌーヴ」という名前がF1参戦にあたって大きなサポートとなったことは間違いない)

95年インディ500で優勝したヴィルヌーヴ

その意味では、いまのインディカーのドライバーがF1に移ったときにどの程度走れるのかは興味がある。以前はハイテク機器満載で車重も軽く、クイックなF1の動きにインディ出身ドライバーは苦労してきたが、現行パワーユニット規定、グラウンドエフェクト規定下のF1でどこまで乗りこなせるのか。

90年代、00年代の事例を踏まえると旧型マシンを使った習熟走行を相当量こなすか、極端に言えば一度F2を経由するくらいでないとインディのドライバーがF1で成功するのは難しいのでは、と思っている。でも、現代ではその前提は変わっているかもしれない。両カテゴリーの距離感がどの程度あるのかは興味があった。

「去り行く」ベッテルと、ミックの師弟対決

さて、この一連の移籍劇の起点となったベッテルについて触れておきたい。オランダGPの序盤と中盤にミック・シューマッハとサイド・バイ・サイドの激しいバトルを繰り広げ、ハンガリーやベルギーでしぶとく入賞したことが印象的だが、直近8戦で予選Q2進出が1回しかない、という点にベッテルの苦しさを感じさせる。

「師匠」のベッテルとミック・シューマッハ

「F1は去り行くドライバーに厳しい」と言われる。引退発表したドライバーに花を持たせるどころか、溺れる犬を棒で叩くような不運を与え続けるのがF1だ。近代F1で引退レースを表彰台で締めくくったドライバーは93年のプロストと13年のウェバーしかおらず、昨年のライコネンのようにチェッカーを受けることなくレースを終えたドライバーも多い。

オランダでのミックとのバトルは師匠から弟子へのテクニックの伝授のように映ったが、皮肉なのはミックすら「去り行く者」になりかねないことだ。フェラーリはドライバー育成組織のFDAのサポート対象からミックを外す模様だ。翌年のハース残留が怪しくなり、アルファロメオのシートも周冠宇の残留によって塞がれてしまうと、ウィリアムズしか移籍先が残らないことになる。

F1界でミックは生き残れるだろうか? 私としては父ミハエルがスキー事故で受けた頭部の病状から回復し、ミックのF1での走りを知覚できる奇跡をずっと待ち続けているのだが――。

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