【展覧会レポート】「生誕130年 没後60年を越えて 須田国太郎の芸術|三つのまなざし」展 ~流行に流されず、西洋の伝統技法を日本へ移植することに成功した数少ない画家~
今年ヴェネチア・ビエンナーレのついでに西洋古典絵画を見たこともきっかけとなったのですが、今回は現代アートではなく、日本の近代絵画の展覧会のレポートをします。
世田谷美術館で2024年9月8日まで開催されている須田国太郎(1891-1961)の展覧会。これだけ纏めて須田国太郎を見るのは初体験です。
会場の年譜を見ると春陽会(1922年に梅原龍三郎や中川一政らが創立)への誘いを画風が合わないと断り、独立美術協会(1930年創立)の最初期に里見勝蔵らから誘われて所属したことからもわかるとおり、当時日本ではフォービズムが全盛だったはず。しかし、そうした画壇の流行に流されず、それ以前に若くして渡欧しヴェネチア派(ティツィアーノ等)、マニエリズム(エル・グレコ等)、バロック絵画(カラヴァッジョ等)を研究したことを基礎として、フォービズムのように彩度の高い色彩表現ではなく、キアロスクーロ(陰影法)を多用したのが須田絵画の特徴です。
ただ、須田の真価はそれだけではなく、当時流行していたフォービズムや印象派のようなインパスト(不透明な絵具の厚塗り)技法ではなく油絵具の透明性※を活かした陰影表現で、近代絵画的空間を造形したことです。そしてさらには、水墨画などの東洋的な表現との融合を目指したと位置付けられるのではないでしょうか。
西欧の流行を追ってただ日本に持ってくるだけの日本美術の歴史の中で、真に西欧の伝統を研究し、それを日本を懸命に接ぎ木しようとしてある程度成功した数少ない画家と評価したいと思います。(なお、愚老としてあと高く評価するのは前田寛治(1896-1930)ですが、前田は早世したため彼の目指すリアリズムまで到達しなかった可能性が大きいのに対し、須田はある程度やり遂げたと思います。前田の大規模な回顧展も見てみたいです。)
須田国太郎は、西洋美術史の研究者としての側面も持っています。現下の日本の現代アートでも、創作と並行して批評もやっているアーティストがいます。恐らく当時としては極めて珍しい画家だったと思われ、そうしたことも興味深い作家です。
なお、この手の展覧会は撮影禁止が多いのですが、この展覧会、ほぼ撮影自由でした。世田谷美術館さんに喝采。