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経済成長は高齢者を死に追いやる──経済成長にまつわる不都合な真実──

(有料ですが最後まで読めます。お気に召しましたら投げてくれると嬉しいです。)

まず、この画像を見てほしい。

引用元→https://himaginary.hatenablog.com/entry/20111223/why_boom_times_kill

これは経済成長と高齢者の死亡率との間の関係についての調査結果(正確には、景気循環と死亡率の間の関係についての調査結果)を示した論文の邦訳である。

https://www.nber.org/system/files/working_papers/w17657/w17657.pdf

そして、これがその論文の原著である。
(私にはこの論文を読み解くだけの英語力はまだ無いため、このはてなブログの邦訳をそのまま引っ張ってきてしまっているが、そこはご愛嬌ということで許してもらいたい。本当にすみません。)

文章を読むことが苦手な経済学徒の諸君(英語が読めない俺自身も、その1人だ。)にも分かりやすいように解説すると、この論文の中で言われていることは、とどのつまり「景気が悪いと介護などの福祉産業に人が集まり、高齢者は死ににくくなる」「逆に景気が良いと高齢者は死にやすくなる」という研究結果である。

なぜなのかというのを詳しく説明していくと、まず景気が悪い時には、雇用にダメージが行く。従業員というコストを抱えていくだけの利益が出なくなるので、既に雇われている人間はクビになり、職に就いていない人間は職に就くのがより難しくなる。いわゆる「非自発的失業」が増加するのである。仕事が無い時に、生活保護などの支援にも引っかかることが出来なければ、食っていくためには「仕事を選んでいる」余裕などない。雇ってくれる所に骨を埋める他無いのだ。そしてその雇ってくれる所こそが、介護などの福祉産業なのである。介護や看護は、そのサービスを受ける客の性質上、どうしても労働集約型の産業にならざるを得ず、また機械化も進むことはない。つまり人手はいくらあっても困らない。だから不況だろうが雇ってくれる(これを書くといやそもそも介護や看護は公的サービス的側面が強いからだろという指摘が来るだろう。つまり失業に対応するための公共サービスとして雇ってるんだろうということだ。いやもちろんこれもあるだろうが、それが成立するのは介護や看護が労働集約型で、生産性の上昇が考えにくく、雇用の受け皿となってくれるにふさわしい産業だからだろう。)そうして介護や看護に集まった人手は、高齢者に与えることのできる世話サービスの質を向上させる。だから「景気が悪いと高齢者は死ににくくなる」のだ。

逆に、景気が良い時は全体的に給料が上がっているし、新規雇用も盛んになる。だから仕事を選ぶ余裕が出る。そして、介護や看護はそういう経済成長には基本的についていかず、給料の上がり幅も当然他の産業に比べ控えめだ。なぜなら給料を決めるのが国(などの公的機関)だからだ。また民間の給料を大幅に超える金額にすると人材を吸い取ってしまう恐れもある。だから介護や看護の給料は経済成長時において他の産業より比較的低くなる傾向にある。例えばバブル期には、公務員という職業は変人がなるものとして不人気だった。なぜなら他の産業の方が給料が高いのに、公務員の給料は全然それに及ばないレベルだったからだ。経済成長が起こると、それと似たようなことが起こる。つまり介護や看護は「きついくせに他の産業に比べ給料の低い割に合わない職業」として不人気な職業になるのだ。その結果介護や看護は人手不足に陥る。介護や看護の主な客の性質上それを埋めるだけの生産性向上は望めない。だから高齢者に与えることの出来る世話サービスの質は低下し、高齢者の死亡率は上がることとなるという訳だ。つまり「景気が良いと高齢者は死にやすくなる」のだ。

これらのことから言えることは経済成長は、高齢者死亡率とのトレードオフの関係にあるということ、つまり、高齢者を守るためには、経済成長を諦める必要があるということでもある。(MMTを支持する人たちがよく高齢者福祉の問題は経済成長で解決出来ると主張しているが、それは嘘、もしくは誤認である。なぜなら経済成長が実現すれば、介護や看護に人が集まらなくなり、結局高齢者福祉は機能不全を起こすからである。)

そして、ここからが本題であるが、私は日本の「失われた30年」とは、この経済成長と高齢者死亡率の間のトレードオフで、高齢者死亡率を選んだ、すなわち高齢者を守るために経済成長を諦める道をこれまでの日本が選んだためなのではないかと考えている。

つまり、高齢者を守るために日本経済をデフレに誘導してきたのが、「失われた30年」の原因なのではないかということだ。

また、それはデータにも示されている。
例えばこの画像を見てほしい。

引用元→ https://www.dbj.jp/pdf/investigate/equip/national/2022_summary.pdf
引用元→https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je22/h06_hz030103.html


これは設備投資の推移を示す画像である。一枚目は日本国内での設備投資の推移、2枚目は他国との比較である。一枚目からは、バブル崩壊からちょっと上がってはまた下がり、ちょっと上がってはまた下がりを繰り返していることが読み取れる。アベノミクス以降はそれも安定して、最低限プラス傾向で行っているが、(コロナでマイナスまで行っているが、これは流石に例外として考えるべきだろう。)やはり全体として設備投資が安定的、また積極的に行われてこなかったことが傾向としてあることは理解出来る。2枚目を見ると、それがさらに理解出来る。明らかに他の先進国と設備投資という分野で水をあけられているのだ。日本企業は、全然設備投資をしてこなかったということである。

だが、聡明な読者の方なら理解されているだろうが、この画像からは、それが意図していたものであるとは読み取れない。単純に景気循環で上下することはあり得るからだ。あくまで日本企業が設備投資に積極的でないことしか読み取れないのであり、政府による誘導のためとは必ずしも断言出来ない。

だから、政府がそれを誘導していたのだと推察出来るデータも示すことにしよう。

こちらの画像を見てほしい。

引用元→https://t.co/0H5FzpF6HI
日本は社会保障負担と、消費税(原文では物品税)負担が主な負担だ。
引用元→https://t.co/0H5FzpF6HI
一枚目と同様、社会保障負担がどんどん重くなってることが分かる。消費税(原文では物品税)負担も他がほぼ横ばいな中増加傾向にある。
引用元→ https://t.co/0H5FzpF6HI
引用元→ https://t.co/0H5FzpF6HI
負債が増え続けているのに、収入も支出もほぼ横ばい。不景気があれだけ騒がれていたのに、財政支出は全然伸ばされていないのだ。

これらの画像が示すのは、「日本は社会保障負担と消費税負担が大きく、また30年ほど前からずっと財政支出を全然伸ばしていない」という事実である。少なくともこれは、インフレ率を上げようとしている政府の行動ではない。ここ30年の日本が、インフレ率の上昇を目的としてこなかったのは間違い無いだろう。(アベノミクスは一応インフレ目標を掲げていた。しかし、金融緩和においては異次元の規模でコミットしていたが、それに比して財政支出については見ての通り超限定的にしかコミットしていないのである。)
国民の負担率(国民負担率の画像を見るに、社会保障負担と消費税による負担が大きかった。つまりこの負担率を伸ばす上で使ったのは、消費増税や社保の増額だろう)を伸ばし、財政支出を抑えてきた。これがデフレ誘導でなくて何と言うのか。いや、言えない。間違いなくこれは政府によるデフレ誘導だろう。また先ほど述べた企業が設備投資に積極的でないというのも、当然ここと繋がっている。
政府が負担率を上げ可処分所得を低下させることでデフレ誘導を行った結果、消費が落ち込み、その影響で企業は「わざわざ投資しても儲からんな」と設備投資を抑え、その結果経済成長はほとんど起こらず、「失われた30年」が生まれた。そういうことだろう。そして、なぜデフレ誘導を行ったのか、その理由は間違いなく「高齢者を守るため」だ。(と推察することが出来る。)ではなぜ「高齢者を守るために」デフレ誘導が行われてきたのか、それは経済成長が高齢者を死に追いやるからだ。

日本の「失われた30年」の原因は、そこにあったのだ。

そう考えると、

引用元→ https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_21509.html

このような画像を見て「高齢者福祉への負担が」
みたいな話をするのは、本質から外れてしまった議論に思える。財政的な話だけをするなら、最悪国債を刷ったって良い。ではなぜそれをせず消費増税や社保の増額がなされてしまうのか、そこに問題の本質があるのだ。そしてその理由はこれまで述べてきた通り「高齢者を守るため」だ。であるなら、負担がどうこうみたいな話をしていてもしょうがない。経済成長が高齢者を死に追いやる、この事実をどのように判断し、そして政策に反映させていくのかが本当に必要なことだ。これからの日本社会には、まず経済成長が高齢者を死に追いやることを認め、その上でそれを受け入れ、「それでも経済成長は必要なんだ」と言えるようになることが必要なのである。これは一種の「姥捨て」と言っても過言では無いだろうが、だからと言ってこのままジリ貧で行くことが、国民全員で貧しさを享受することが、これからの日本のためになるとは思えない。

日本は、経済成長によって高齢者が死ぬといういわば「健全な姥捨て」を受け入れる必要がある。

それを日本国民が受け入れられない限り、与党が自民党だろうが、共産党だろうが、立憲民主党だろうが、れいわ新選組だろうが、どんな政党が与党の座を握っても、経済面で日本が衰退していく未来は変えられないだろう。

私が心から愛する賢明な日本国民の皆様なら、このことを必ず理解してくれるだろうと思う。もしこのnoteで述べたようなことが社会において受け入れられるなら、これからの日本の未来は悲観論者たちが言うほど暗くは無いだろうことを記して、このnoteの本文を終えたいと思う。


補足
このnoteを読んだ方に留意しておいてもらいたいのは、私は高齢者を悪者にしようとしてはいないということである。このnoteで述べられているのは、高齢者を守るためにデフレが使われているということであり、「高齢化によって、つまりそれに伴う有効需要の低下によって日本経済がデフレになった」とは一切述べていないのだ。あくまで高齢者を守るためにデフレ誘導が行われたとしか述べていないし、別にシルバー民主主義的な話がしたい訳でもない。

そもそもこの画像を見れば分かるように、若い世代ほど自民党支持率が高い。今まで行われてきた「高齢者を守るため」のデフレ誘導は、全世代において支持されてきたのだ。(もちろん自民党以外に投票出来る党が無いというのは、自民党が票を手に入れている理由だろうが、そのデフレ誘導によるデメリットを持ってしても野党は自民党に勝てていないのだから、やはりそのデフレ誘導を全世代において消極的に支持している、もしくは支持せざるを得ない状況にあることは間違いないだろう。)
だからこそ、私は「日本国民」がこのことを理解すべきと本文で述べたのだ。別にこれが「高齢者のせい」などでは無く、あくまで全世代において支持されてきたからである。そのことだけは、覚えて帰ってもらいたい。

とにかく読んでくれてありがとう。賛同してくれる方も、反対する方も居るだろう。それは良いことだ。私は友達と世間話をしているのでは無いのだから、色々な意見が出るのが当たり前だ。だから思ったことは気軽にコメントして欲しい。また私はツイッターもやっているので、そっちで話したい方はそれでも良い。DMは解放しているので言ってくれればいくらでも話すし、匿名で話したいならマシュマロもある。是非ともたくさん議論しよう。

とりあえずここまで読んでくれた方、私の気分がめちゃくちゃ良くなるのでスキとフォローよろしくお願いします。

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