おおきくなったら、○○になりたい (9/5)江本
ずっと準備していたつくば駅前コワーキングup Tsukubaの解体現場お披露目パーティを開きました。
解体現場でのイベントにも関わらず、ひっきりなしにひとがいる幸せな幕開けとなりました。ここから始まります。応援してくださるみなさま、本当にありがとうございます。
さて今回は、ハイパー個人的なオープニングレセプション回想です。
元子さんのこと
オープニングレセプションで、スーパーVIPが出席してくださった。
田中元子さん、である。
元子さんはわたしが立ち上げに関わった「シーナと一平」を、今回と同じような解体現場で行なったイベントから応援してくれていた方のひとり。
そんな元子さんが、オープニングイベントで、ゲストとして登壇までしてくださる。わたしは主催のくせに、一番前の席を陣取って、どきどきしながら元子さんの言葉を待っていた。
どれだけどきどきしていたかを伝えるために、時を半年遡る。
実はこの3月までの1年間、前職のゲストハウス「シーナと一平」を辞めてしまったことを元子さんに直接伝えられていなかった。(辞めたのは2017年3月)
たくさんの方に応援していただいた「おかみ」というポジションであり、在り方であり、お仕事。それを1年半で投げ出した、逃げ出してしまった。そんな心境ゆえ、元子さんの他にも、伝えられていないひとはいる。勝手に引きずっていた。
辞めてから1年経った今年の3月、えいやっと元子さんに手紙を書いた。今までのこと、応援してくれたのに裏切ってしまったこと、でもこれからは新しいことに挑戦したいこと、そんなわたしも見ていてほしいとかそんなことを書いた気がする。たしか。
(手紙の長所であり短所は、書いた内容を相手に、完全に委ねてしまうことだなぁ)
そして元子さんからお返事がきた。
お返事が、きた。
そう、元子さんは、いつもそう。お忙しいはずなのに、お手紙のお返事はくださる。イベントには駆けつけてくださる。なんにもないわたしをいつだって「えもや〜〜ん!」と呼んで温かく受け入れてくれる。そんな元子さんだからこそ、手紙を書けたのだろう。これは甘えだなぁとつくづく反省する。でも、この春、わたしには手紙を書くことしかできなかった。
いただいたお返事は、今でも取り出してつい読んでしまう。とにかくわたしにとって、元子さんは特別なひとだ。
「大きくなったらなにになりたい?」
トークセッションの最中、どんな文脈だったか忘れてしまったけれど、唐突に元子さんが、堀下を指名して問うた。
「堀下くんは、大きくなったらなにになりたいの?」
その瞬間、泣きそうになりながら、脳内が「ああ、どうしてわたしに聞いてくれないんだろう!」「わたしならどう答えるだろう!」でいっぱいになった。堀下の答えそっちのけでぐるんぐるんと思考が巡っていた。
考え始めて3秒程。出した答えは、「”懐かしいひと”になりたい」だった。
"懐かしい"とは
人前で自己紹介をするとき、必ず出す1枚の写真がある。
シーナと一平であったなにげない光景。この瞬間、宿に来た海外のゲストと、まちに住む親子の間にコミュニケーションが生まれていた。
これ見ていつも願う。
「右にいるこの子が大人になった時、ふとこの光景を思い出してほしい」
「実は条件が揃わないと出逢えない、特別な瞬間だったと気づいてほしい」
「小さい頃よく遊んだあそこ」にいた「外国人」や「たくさんの大人」。よく考えたら、そんなひとたちと出逢うチャンスって貴重だったんじゃないか…「なんてこった!」
いつか爆発する時限爆弾のように。わたしたちの下の世代が、同じような機会をつくりたいと思えるような「懐かしい」をつくりたい。いつかわたしは懐かしまれたい。誰かにとっての懐かしいひとになりたい。
時間には勝てない
場づくりを始めてから「時間には勝てない」が常に頭にある。
この日も、いちばんぐっときたのは「(up Tsukubaのある)ここはね…昔は雑貨屋さんだったんですよ」
きらきらした、都会的な、憧れの場所だったと。ああ、時間がここにある。と思った。その「懐かしい」と「新しい」は同じ土俵で戦う必要はない。どちらも等しく価値である。でも、「新しい」だけより、「懐かしい」もあればいい。
帰ってから元子さんの著書「マイパブリックとグランドレベル」を読んだ。なんて隅々まで、元子さんなんだろう。
わたしはつくばで、たくさんの「懐かしい」をつくりたい。