Emily likes tennisの思い出
Emily likes tennisに加入したのは確か2013年の春あたりだったと思う。もう9年も経つのかと思うと感慨深い。少しそのころのあたりを思い出してみたい。
もともとEmily likes tennisは、2008年だったかにギターのエンリケ後悔王子(以下エンリケ)が大学のロック研究会に入ってきて少しして結成したバンドで、最初は3人でギター、ドラム、フルートという編成で活動していたと思う。エンリケは3年後に入学してきたと思うので、たしかおれは4年生だったと思う。エンリケはマイ・ブラッディ・ヴァレンタインが大好きで、そんな変な編成のバンドでマイブラをコピーしていたものだし、俺はマイブラをきちんと聞いてきたことがなかったから、「なんか変なことやってる1年がいるぞ」と思っていた。エンリケは、当初は今より半分くらいスリムで、もっと根暗で、今と同じように人の目を見て話さない癖があった。野球好きなのは変わらない。
大学4年生にとって大学1年生というのは、恰好のかわいがりの対象で、1年生は10人くらいいて、この年の1年生はギラギラしてる奴が多い中、圧倒的にエンリケが根暗であったため、俺たちの代のいじりの対象はたいていエンリケだった。特に俺と一緒にバンドやっていた松原というやつと、1つ上の院生の恥骨のOKが、特にエンリケに対してかわいがりを行っていた。エンリケは放送研究会にも所属しており、松原も放送研究会なので、とくに松原のエンリケに対するいじりは今となってはいい思い出には全くならない。
松原は、俺と飲みに行ったりすると、電話でエンリケを呼び出したり、部室で文章に書けないような内容の質問攻めをしたり、真面目に音楽の話をしたりしていた。
俺はというと、そのころ完全に鬱の廃人大学生をしており、単位が全くとれないのに出席もせず、就活もなんとなくしてみたりして、周りがどんどん卒業や就職に向かって進んでいるのに、一人取り残されて沼にはまった状態で、現実を忘れるために毎日のように部室でゲームをやって寝泊りしていた迷惑な先輩であった。
たいていの後輩は俺をうっとうしい先輩だと思っていただろうが、エンリケは、最初は全然話もしなかったが、俺のバンドがいいとかだったり、俺もこいつのやってるバンドは全くひどいものだったけど、なんかやりたいことはすごく高尚なものだというのは感じてはいたので、少しずつ音楽の話をしたり、二人とも野球が好きだったので、二人で部室でパワプロをやったりで、だんだんと打ち解けていった。エンリケの好きな音楽は俺が聴いてきた音楽と違うので、エンリケのおすすめのCDを部室で流したりして、テンションが上がったり、全く琴線に触れなかったりなどした。「飯田さんはいい人なんですけどね。あとベースがうまい」が口癖だった。
ちょっとずつ時は過ぎていき、Emily likes tennisはエンリケを中心にメンバー編成を変えていき、ギター、ベース、ドラムで、ハードコアとシューゲイザーとプログレを混ぜたようなものをやっていた。やりたいことはかっこいいだろうが、とにかく演奏は糞みたいだった。完全に廃学生になっていた俺は、たまに横浜のEmily likes tennisのライブを見に行き、「エンリケのやりたいことはなんとなくわかる、へたくそだから練習しろ」と常に偉そうなことを言っていた。俺はそのころ、大学をさぼり、就活もさぼり、バイトだけ行き、部室でゲームをして、家で虚無感を抱きながらベースをかきならし、ジョンフルシアンテの1stと2ndを聴きながら、ヘロインも吸っていないのにヘロインを吸ったような破綻した生活を送り、ヘロイン中毒時代のジョンに自分を投影していた。そのうち実家から強制連行されるように実家に戻らされたりした。「どこまで落ちたら人は死ぬんだろうか、むしろ、これでもまだ死ななくて生きてるんだな」といったことを感じながら生きていて、数少ない楽しみは後輩のエンリケがやってるEmily likes tennisが少しずつ、少しずつうまくなっていくのを見ていることだった。
いつだったか、部室で俺が風来のシレンをやっていると、エンリケが「飯田さん!昨日めっちゃかっこいいバンドと対バンしてCDあるんすけど、聴きましょう!」と多分エンリケ史上最大のテンションで部室に入ってきた。CDをかけたら、1曲10分近くもある、壮大なプログレで、コブシの効いたボーカルのバンドがかかっていた。クウチュウ戦のデモCDだった。俺とエンリケはぶっ飛んだ。部室の周りまで響くくらいデカい音量でかけた。自分のやっているバンドも尻すぼみにやめていき、バンドもできやしない、なにもうまくいかない、みたいな気持ちになっていた俺は「こんなかっけえことやってるバンドがいるなら、やっぱりおれには才能なかったし、もうバンドをやめて真面目に立ち直って普通を目指して生きていこう」と思わされた。後々になって、バンドやって自暴自棄になってる人間はバンドをやめたって自暴自棄は変わらないし、バンドをやって真面目にしっかり生きている人間はたくさんいるので、バンドをやめて真面目に生きるという選択肢は全く的外れだということには気づくが、時間はかかった。
そうこうしてまた時が進むと、Emily likes tennisは4人編成になっていた。エンリケよりさらに無口で無愛想な眼鏡のドラムと、天然パーマで目の下がこけ、マイケルジャクソンか、ヘロイン時代のジョンフルシアンテかのような風貌のアイドルオタクのボーカル(パフォーマー)が加入していた。俺は完全に鬱状態で実家で引きこもっていたので、4人になってからは半年以上くらい経ってから、学園祭の時のライブを見たんだと思う。サーティーンか、トリプルファイヤーか、太平洋か、ガガキライズか、股下89なのかだれを呼んできた時の学園祭なのかはわからないが、久しぶりに来た学園祭で見たEmily likes tennisは、その外部のバンドに全く引けをとらずに、ものすごくかっこよくなっていて、新しいことをやっていた。まだ演奏に粗いところはあったが、ハードコアとプログレが見事に融合した、まさに保土ヶ谷のAt the Drive In といえてしまうくらい衝撃を受けた。2011年くらいの話だと思う。 続く
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