仲間という概念について

大学まで体育会系に所属したり、そこそこ社会的な仕事をしたりと、
仲間のような概念に所属する機会は多かったように思うが、
他の仲間が成功すると嬉しいとか、そういうのを喜べたことがない。

というか同じチームの誰かがうまく行ったりするのを見ると、普通に嫉妬するし、僕のほうがうまくできるもんねとアピールしたくてたまらなくなる。

これは俺の性質だし、幼稚園の頃からずっとそうだった。
そこそこの努力で一番を取れる環境が好き。

この年になるまで、殆ど全員がそういう精神だと思っていたのに
(だから、のび太のような人間がしずかちゃんと結婚できるのか、と合点していたのに)

↑一時期待ち受けにしていた

どうも、俺ほどエゴイスティックな人間はむしろ少数派らしいことに気づいてきた。
他人が、本当に幸せを喜べるのか、少なくともリアルでは幸せを喜べるふりをしているのか、もしくは感情よりも打算を優先できるのかはわからないが
(少なくとも俺はふりすらできないので。そして、本当に喜べる人は人類の何%なんだ?どうか教えてほしい)
チームでうまくやるという概念が全く理解ができない。

マンモスを狩っていたころも、結局一番評価されるのはとどめを刺したやつだし、そいつが一番旨い肉を得るわけで、
確かに村からしたら、誰が狩ったかどうかはどうでもよいとしても、
本能的に仲間内で競い合うのが、人間のDNAに刻まれた本性ではないのかと思う。

・・・
自分の行動指針が、競争社会を(なるべく省エネ)で生き抜く、みたいな方向性で変えられないのであれば、環境を変える必要があると思うけど、
仮に生涯年収分さっさと稼いで、少なくとも資本主義的な競争から一抜けできるとしたら、次はどこに行けば良いのかが全く見えない。
ひねり出した答えらしきものがあるとすると、自分で何かを作り出す道だけは、心が出来損ないだったとしても開かれているような気もしているが、
生来の怠惰さと、中途半端に資本主義を乗りこなしてしまった半生という名の贅肉が、それを許してくれそうにない。



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