努力に性的魅力を感じる
俺は、強いて言えばサラサラの髪や女性の腹筋が好きだが、
長らく自分の性癖はノーマルだと勘違いしていたが大きな誤解だった。
俺の女性に対して求めること、つまり性癖は、身体的なものではなく、
努力、より狭義に表現すると、自分が求めるものを得るために、
あらゆる犠牲を払い、配られたカードをより良くするためにもがき、
達成することにあるんだ。
(そして、それは純潔主義的な努力でなければならない)
例えば好きな芸能人は、
芦田愛菜/生駒里奈/道重さゆみ/
(1年くらい前までの)森香澄など、
努力を以て(絶世の美女というわけではない)
求めるものを手に入れた人たちが好きだ。
俺が好きな要素である、
高学歴、高収入、髪、スタイル(つまり自己投資)、教養等も、
努力が性癖であることからこぼれ落ちた要素でしかないことが理解できた。
そしてそれは、俺自身が今までろくな努力をしてきていないのに
(勘違いしないでほしいが大抵の人間よりは頑張っている。
ただし、それはほしいもののためにあらゆる犠牲をはらって、
ではなく、打算をもとに労働投下量を決める、という感覚のほうが
近いので、努力か?と言われると少し違うところがある)
能力でそこそこなんとかしてきた
(もちろんなんとかならないものも多かった)
というコンプレックスがあるからこそだと気づいたとき、
俺は俺を少しだけ好きになれた。
勘違いしないでほしいのは、いわゆる「推し」的な概念では一切無く、
番を求めるための本能として「努力」が遺伝子にプリセットされている女性が好き、ということである。
例えば、男の努力マン、頑張るだけのやつには魅力は一切感じない。
(誰だ?三菱商事のエースとかか?)
多少欠落があっても、能力が秀でているやつのほうが話していて楽しい、
付き合いたいと感じる。
そして、この性癖は、女性は結構持っている事が多い気がするが
(概念が扶養キャパシティに直結するからだろう)
男性のそれとしては結構レアなんじゃないだろうか
(本当にレアなのか、それとも、言うのが恥ずかしいのか)
少なくとも、俺の属してきた組織ではあまり見たことがない。
俺は性欲が少ないので、男に求めるものと女に求めるものは同じだと思っていたが、明らかに違った。やっと仕分けできた。
俺は「優秀なやつ」が好きだと思っていたが、
男については「生まれついた能力・才能が優秀なやつ」
女については「努力をする能力が優秀なやつ」が好きなんだ。
男女の友情なんて成立するに決まっていると思っていたが、テストステロン値が高いやつはここの区分けがより過激になるんだろうと考えると、
性欲ドリブンで行動する男の気持ちも少し理解できたように思う。