「何言ってんの?」の快楽
大学院に入学して、半月が過ぎた。この生活ぶりを端的に表すなら「毎日が異文化交流会」といったところ、マジで。
まず、僕が在籍する研究者養成課程、通称「基礎コース」には、日本人の修士1年生が圧倒的に少ない。片手にも満たない。それ以外の10人少々は中国からの留学生だ。彼らも日本人院生には日本語で話してくれるのだけれど、留学生同士での雑談が始まると中国語しか聞こえてこない。あれはもはやテレポーテーション。
それから、うちの研究室の暗黙の了解がエグい。研究室ごとに集まり個々に研究を進める授業で、指導教員に「真琴さんは今日何する?」と尋ねられた時、何気なく「ストックしてある論文を読みます」と答えた。指導教員は「いいですね!」と肯定してくれた後、博士1年生の先輩に向かってこう言った。
「〇〇さん、真琴さんに何か、英語論文を読み始めた時期のアドバイスがあれば一言」
待ってくれ僕はまだ「英語の」論文を読むなんて言ってないが??????
でもこの問いかけに先輩は即レスしたし、隣にいた同期は無表情のまま微動だにしないし、何なら彼も後からアドバイスをくれた。なお両者ともに日本人。
まあまあまあ、ね、ここ基礎コースですもんね、そりゃあもう最先端の知見は英語で出るし英語で知るものですよね。自分に無理やり言い聞かせ、読み方すら知らない英語論文と瀕死で向き合った翌日、必修である学部2年生との合同授業で先生は言った。
「この授業では、院生の皆さんが英語論文を5本程度用意してきてくれます。学部生の皆さんにそれを読んでもらいながら、院生さんが読み方のコツや内容を解説するという形で進めていきます」
なんやて工藤??????
読み方のコツを教わりてぇのは俺の方なんだが??????
大混乱の僕の横で、同期は昨日と同じく無表情で聞いている。内部進学生の彼いわく、この大学では学部生の時から英語論文を読む訓練を受けるらしい。もちろん彼も学部2年生の時にはこの授業を履修し、時を経て修士1年生として戻ってきたわけだ。それなら昨日の暗黙の了解も納得、この授業の構成も納得。さて、それで、丸腰の僕はここでどう生きていけば。
こんな感じで本当に毎日訳が分からないことばかり起こるし言われるし、外部進学も分野の転向も人間のやることじゃねぇなと痛感している。でも辞めたいとか帰りたいとか思わないのは、元いた場所では感じたことのない、日々のパニックを上回る居心地の良さがあるからだ。
ここにいる人々の扱う語彙が、筋金入りの「やさしくない日本語オタク」の僕に、とにかく刺さり散らかすのだ。
たとえば先日、英語論文データベースの検索コマンド「OR」と「NOT」をちょろっと触った授業で、学部生と先生がこんな会話をしていた。
同期のゼミ発表に対して、後輩がこんな一言で始まる指摘をした。
開口一番、同期はこう応じた。
この前は、理解できなかった論文について先輩に解説を求めたら、こう返ってきた。
これらの文章を耳で聞いただけの時の「は? 今何つった?」感、お分かりいただけるだろうか。まさかそんな語彙が飛んでくるとは想定していないし、飛んでこられたところでどれも日常使いしないし、僕の元いた大学でこんな話し方をしようものなら2時間で浮く。けれど、僕にはこの感じがとてつもなく気持ちよくて、惚れ惚れしながら聞いてしまう。自分自身もこの輪に入っていて、この話し方をしても許されることに、抑えようのない喜びを感じている。
学部時代の僕は、4年をかけて「教師たるもの、誰にでも簡単に伝わる言葉選びができなければならない」と訓練されてきた。なるべく一般的な表現、熟語でない表現、意味のイメージがつきやすい表現。「やさしい日本語」を母語としていたうちの学部・学科は、それはそれで居心地の良いものだった。相手の言葉が理解しやすく、自分の言葉も伝わりやすく、言葉の上では誤解の起きる余地がなかったから。でも僕が本当に好きなのは、分かる人同士にしか伝わらない暗号みたいな会話だ。元ネタを知る人同士でしか面白がれない冗談があるように。
傍から見た人に「コイツら何言ってんの?」と思われるような言葉で、やっぱり「コイツら何言ってんの?」と思われるような内容の会話を交わしていたい。ここでならそれが叶うみたいだから、異文化交流生活にももうしばらく耐えて慣れるしかないな。
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