【フォレスト出版チャンネル#235】ゲスト/生き方|「日本一の大投資家」と出会い人生が変わった話
このnoteは2021年10月7日配信のVoicyの音源「フォレスト出版チャンネル|知恵の木を植えるラジオ」の内容をもとに作成したものです。
「どうやったらハッピーに生きられるの?」という疑問
今井:フォレスト出版チャンネルのパーソナリティを務める今井佐和です。本日は編集部の寺崎さんとともにお伝えしていきます。寺崎さん、本日もよろしくお願いいたします。
寺崎:よろしくお願いします。
今井:早速なんですけれども、本日は素敵なスペシャルゲストをお呼びしているんですよね。
寺崎:そうなんです。『日本一の大投資家から教わった人生でもっとも大切なこと』っていう本があるんですけど、著者の本田晃一さんです。
今井:ありがとうございます。それでは、本田晃一さん、どうぞよろしくお願いいたします。
本田:よろしくお願いします。
寺崎:本田さん、かなりお久しぶりですよね。
本田:そうですね。
寺崎:この『日本一の大投資家から教わった人生でもっとも大切なこと』っていう本を担当させていただいて以来なんですけど、その後もかなりたくさんご著書を出されていて、かなりご活躍されているのを遠くから拝見していました。
本田:ありがとうございます。
今井:私も今、本田さんの公式サイトを拝見しているんですけれども、「世界一ゆる~い♪幸せの帝王学とは」とか「不思議とお金に困らない人の生き方」など、気になる項目がたくさんありまして、早速なんですけれども、そんな本田さんから簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
本田:ありがとうございます。僕は今、会社をやっていたり、本を書かせていただいているんですが、元々は短大を除籍になるっていう、結構ドロップアウトしたところからスタートしていまして、典型的な自分探しで、バイト先の先輩がオーストラリアをオートバイで回って、いい人に変わっていたので、「じゃあ、僕も旅に出ようかな」と思って、自転車が好きだったので、自転車でオーストラリアを旅するっていう。
そういう感じの人生を送ったんですが、帰国すると父親の仕事が結構大変な状態になっていて、「どうしたもんかな」って。まあ、それまでの僕は典型的な社長のバカ息子と言いますか、あまり人生を深く考えてないと言うか、「どういうふうに楽しく過ごそうかな」ぐらいしか考えてなくて、そこではじめて父の仕事が難しいって気が付いて、「やばいな。これはちょっとちゃんとしなきゃな」ってことになりまして、たまたま父の仕事がゴルフ会員券の売買という、お金持ち相手の仕事でしたので、すごく仕事で成功されている方がお客様に多かったので、そういった方々からどうやったら上手くいくのかっていう秘訣を訊きまくりまして、そうすると自分たちの会社もすごく業績がよくなって、ビジネス未経験だった僕が、ビジネスエキスパートの人達に色々話を聞いていくと、ものすごく人生がうまくいく、仕事がうまくいくっていうことを経験しまして。
元々そのちょっと手前の旅人時代の時にも、すごく人生を幸せに生きている達人たちが多かったので、そういった人たちから「どうやったらハッピーに生きられるの?」っていう話を聞いたら、色んなことを教えてもらえたので、幸せとか、お金とか、すごくハッピーに生きている人たちから、色んなことを学ばせてもらって、それを皆さんにシェアしていくっていう、そんな人生を送っています。
日本のウォーレン・バフェットと呼ばれた人物
今井:ありがとうございます。今日なんですけれども、先ほど少しお話があった、『日本一の大投資家から教わった人生でもっとも大切なこと』という書籍を基に色々とお話をしていただけるということなんですけれども、「日本一の大投資家」っていうのはあのお方ですか?
本田:そうですね。竹田和平さんという方でして、当時は百十何社の大株主をやられているっていう、日本のウォーレン・バフェットみたいな感じで言われていた方ですね。
今井:私もいくつか本で、竹田和平さんの話を読んだことがあるんですけれども、たまごボーロの会社の方なんですよね?
本田:そうです、そうです。
今井:個人的に面白いなって思ったのは、たまごボーロを美味しくするために、たまごボーロに「ありがとう」って話しかけるっていう話があって、すごく面白いことをされる方なんだなって思ったことがあります。
本田:めちゃめちゃ面白いエピソードで、その「ありがとう」も、幼稚園に行って、幼稚園の子20人ぐらいに「ありがとう」って言ってもらったのを録音して、それをたまごボーロを作っている工場に音として流すっていうことをやられていて、「なぜ幼稚園の子のありがとうなんですか?」って聞いたら、「大人にありがとうって言わせたら、社長に言わされたなと思って、あんまり純度の高いありがとうにならない」って。
今井:(笑)。
本田:「でも、幼稚園の子だったら“ありがとう、ありがとう”って言っているうちに楽しくなって、 “ありがとう、ありがとう”って気持ちになっているから、すごく純度の高いありがとうになりよるよね」って、「そういう良いありがとうをいっぱいお菓子に聞かせたら、食べた人たちもうれしいよね」みたいなことをおっしゃっていて、すごくユニークな方です。
竹田和平さんとの出会い
今井:ありがとうございます。そんなすごいお方の竹田和平さんなんですけれども、こちらの著書の中で、本田さんは和平さんと500回以上も寝食を共にして、しかもマンツーマンで学ぶチャンスに恵まれたとあるんですけれども、どのようなきっかけで竹田和平さんと出会われたんですか?
本田:元々は山本時嗣くんという友人がいて、その友人が和平さんと繋がったということで、時ちゃんがある日、興奮しながら、「晃ちゃん、竹田和平さんって知ってる?」って電話かかってきて、「あー、なんか日本一の投資家って呼ばれている、おじいちゃんでしょ?」って言ったら、「あの人の講演会みたいなものがあるんだけど、興味ある?」って聞かれて、「興味あるよ」って言って、「どこでやるの?何人ぐらいでやるの?」って言ったら、「名古屋で20人」って言って、「20人ってすごいね!そんな少人数でやるんだ!行く行く!」って電話をしまして、それで僕は東京に住んでいますので、名古屋行きの新幹線に乗るんですけど、すごくワクワクで、なんでかって言うと、「絶対上がる銘柄を教えてもらえるな」って勝手に勘違いして、帰りは新幹線のグリーン車で数席取って、ボックスシートにして、「ウェーイ!」って帰っちゃおうかなっていう。
今井:(笑)。
本田:本当に浅はかな考えで行きまして(笑)、それでニコニコで名古屋のホームに着くんですが、満面の笑顔のおじいちゃんの和平さんに“徳”についての話をいっぱいされるんですよ。ニコニコしながら「徳は大事だよ」って話をして、僕も満面の笑顔で聞いて、「もう徳の話はいいから、早く株の話!」っていう、そういうすごく不純な気持ちで聞いていて、でも全然株の話はされないんですよ。
で、ちょっと肩透かしを食らった感じでもあったんですが、当時、僕が持っていた夢があって、僕は世界中で色んな旅人と出会ったり、日本でも色んな方々と出会ったおかげで、人生がすごくよくなったので、そういった出会いの場、そういう宿みたいなのを経営して、そこで色んな人との出会いの場をつくれたら楽しいかもなっていうのをおぼろげに思っていて、その時に和平さんがちょっと似たようなことをおっしゃっていたんですね。
「徳についての学校を私はつくりたいね。ただ、学校と言っても堅苦しいところじゃなくて、空気がきれいなところに芝生がいっぱいあって、そこでバーベキューしながら、みんなでワイワイに徳について語り合って、そこで寝泊まりしたら、楽しいかね」みたいなことをおっしゃっていて、「そのために、わしゃ、自分の私財の100億を使いたいと思っとるがね」みたいなことを言っていて、「俺の夢に近いことを予算100億でやるのか・・・。これはマブダチになろう!」みたいな感じで。
今井:(笑)
本田:どうやったら友達になれるかなっていう、そこからスタートしまして、「徳についての学校をやりたいんだけど、いきなりじゃちょっとハードルが高いから、インターネットでメーリングリストを使って、メーリングリストで徳についての問答の学校を開く」とおっしゃっていたので、当時は僕はメルマガで1万人以上の読者さんがいらっしゃったので、そこに案内を出したんですね。そしたら二百何十人の方が申し込んでくださって、和平さんがめちゃくちゃ喜んでくださったんですよ。で、山本時嗣くんに和平さんが金メダルを託して、持って来てくれたんですけど、これぐらいの大きい金メダルで、「すごいね!ピカピカだね!」って僕がそれを受け取って言ったんですけど、山本時嗣くんが「晃ちゃん、それ全部純金です!」って言って、「え!」って言って、純金って触ったことないじゃないですか!?
今井:ないです!金メッキだけです!
本田:金メッキじゃないですか!オリンピックの金メダルだって、メッキと言うか、外側だけ金で、中は金じゃないので、ビビったんですよね。で、「すげえ!」って言いながら、その日はお家に帰らずに実家に帰って、実家のキッチンのグラム計量器にその金メダルをそっと置いて、その日の金相場を電卓で叩いて、「やばい!こんなにすんだ!」みたいな(笑)。
今井:(笑)。
本田:本当に下心満載の感じで。で、困ったんですよ。お返しはどうしようって。大金持ちの方に何かお返しを送ったところで、何でも買えるじゃないですか。で、すごく悩んで、「なんで和平さんは僕に金をくれたんだろう?」と思ったら、純粋に僕を喜ばせたいんだなって、感謝の気持ちを示したいんだな。僕が「ありがとうございました!!」って、すごく喜んでいる姿を見せることが、実は一番のお返しになるんじゃないのかな。でも、相手は日本一の投資家だから、配当をでっかくしようと思って。
今井:(笑)。
本田:友達30人を速攻で家に呼んで、「みんな、この金メダルを持て!日本一の投資家からもらったやつだから、触っただけで絶対に運がよくなるぞ!笑え!」って言って、みんな、すごい笑顔で、30人分の笑顔と金メダルを写真に撮りまして、和平さんに送って、「これで、30倍だぞ!」みたいな感じで返したら、お手紙が届いて、ざっくり言うと、「今まで色んな人に金をあげてきたけど、あなたみたいに喜んだ人は初めてです。長年追い求めていた後継者に違いありません」みたいな。本当に「金をもらうとか、会社をもらうとか、日本昔話みたいだよね」って。「本当に意味不明だよね」みたいな感じで、下心満載だった僕だったんですけど、そこから素敵な出会いが深まっていくっていう、そういう感じです。
今井:そうすると和平さんの喜ばせたいっていう気持ちと「倍返しだ!」じゃないですけど、本田さんの方の喜ばせたいっていう想いが呼応したと言うか、膨らんだっていう感じだったんですね。
本田:そうなんです、そうなんです。で、お返しをさせていただいて、僕は不純な動機があったんですけれども、和平さんに会っていくとすごく和平さんの教えっていうか、深さっていうのに、どんどん気づくっていう感じですね。
寺崎:下心から始まって、どんどん深いところに入っていったって感じなんですね。入り口は下心だけど。
本田:純度100%の下心です。本当に。
今井:(笑)
本田:どうやったら、上がる銘柄を教えてもらって、どうやったら資産が増えるのかなっていう。本当にその程度でした。
寺崎:あと当時のインターネット黎明期に、本田さんが既にインターネットを駆使したものをやられていたっていうのは、和平さん的にもすごく頼るところがあったんですか?
本田:そうですね。「これからネットの時代だから、KDネットは[冨田1] 欠かせない」っておっしゃっていて、なので、「ネットに対して明るい人材が欲しい」とおっしゃっていましたね。
寺崎:なるほど。なるほど。
本田:僕がネットに明るかった理由も、オーストラリアを放浪していた時に、おしゃれな服を着ている人が、パソコンを使ってインターネットをやっていたんですよ。当時は1996年だったので、日本はいわゆるオタクと呼ばれている人か、デジタル系の仕事をしている人以外はパソコンって触らなかったんですよね。で、ネットがまだ全然普及してなくて、「http点々、斜め斜め」とか言っているようなのどかな時代で、でもオーストラリアのおしゃれな人たちは使いこなしていたから、「絶対ネットの時代が来るんだ」と思って、それで海外のサイトをいっぱい研究しまくったら、もうスゴイことをみんなやっていたので、そういった人たちから教わるっていう。何でも先にやっている人、うまくいっている人から教わっちゃえばいいんだっていうのがあったので、そこを教えていただいて。で、和平さんはたまたまそこはそんなに明るくないので、僕がその辺はいっぱい知っているので、提供ができたっていう感じではありますね。
理想の師匠と出会うステップ
寺崎:ところで佐和さん、本田さんは、この本の中で「人生の地図を手に入れるためのポイント」とか、「理想の師匠と出会うステップ」みたいなことをお伝えしているんですよ。
今井:えっ、そうなんですか? 個人的に理想の師匠っていうのは運がいい人がたまたま出逢うみたいなイメージがあって、そんなステップを踏むものだったなんて思ってもみなかったんですけど、そんなことがあるんですか?
本田:そうですね。いい師匠がいたとしても気が付かないで素通りすることがあったり、いざ理想の人生、理想の師匠に出会っても、物怖じして聞けないっていうことがすごくあると思うんですよ。
で、僕も元々理想の人から話を聞くことができないっていう人で、そもそも17、8の時になんとなく会社を興したいなって思って、父とはちょっと確執があったので、親父も会社を経営しているけど、親父から聞くのは癪だなというところがあって、友人たちと一緒に会社ごっこみたいなことをするんですけど、やっぱりうまくいかないんですね。で、経営がうまくいっている人って、やっぱりうまくいっている人達から話を聞くんですけども、そこを素直に聞けないっていうことに途中で気が付いて。
そんな中、僕はオーストラリアを旅するんですけども、オーストラリアを旅している時に砂漠とかジャングルを旅するんですが、特に砂漠は「お水がどこにあるのか」とか、「食料はどのぐらい積んでいかないといけない」って知っておかないと、リアルに死んでしまうんですね。なので、先に行った旅人達から情報を仕入れるっていうことはものすごく大切なことで、先に行った旅人からちっちゃい情報でもいいから、なんでも貪欲に聞くってことにしていたんですよ。で、自分もすごく重要な情報は必ず次の旅人に残すっていうのを当たり前のようにやっていて、例えば何かいい情報が入って、「僕はここで水が飲めて助かったな」って思うと、ビジターブックがあって、そこにすごく細かい情報を残しておくんですよ。そうすると反対方面から来た旅人がそれを見て、「あー、すごく役に立ったな」って。そういう情報のシェアが当たり前の文化になっていって、そのおかげで僕は色んな人たちに情報を聞くっていうのがすごくできるようになったし、その情報を誰かにあげるっていうことも、すごく自然な感じでできるようになったんですね。
僕がオーストラリアに行った理由がコンプレックスの固まりだったんですよ。当時、僕が若い時には「ホットドッグ・プレス」っていう雑誌に、「身長と学歴と収入のこの3つが高くないと、もうガールフレンドはできないよ」みたいなことが書いてあるんですよ。
今井:3高ですね(笑)。
本田:そうなんですよ。もうね、レストランを知っていてもメッシーくんで、自動車を持っていてもアッシーくんみたいな。全く人権がないみたいな感じで。で、僕は3つとも全部低かったので、もう人生終わったなと思っていたんですよ。全然自分に誇れるものもが何もないので、オーストラリアをチャリンコで一周したら、自分で誇れるものになっていいんじゃないのかなと思ったんですけど、横断した時にちょっと挫折をしちゃって、ちょっと気持ちが悶々としていたんですよね。
ある時にオーストラリアの酒場に行って、カウボーイたちが失敗を明るく話していて、「おい!日本人!お前の失敗談を話せ!」って言われたので、「僕はオーストラリアを一周しようかなってチャリンコで来たんだけど、横断したところで、島だと思っていたら、やっと大陸だって気がついたんだ」って。「だって、55日かかったから」って。で、「もう僕は車を買って、車で旅しているんだ。ちなみに僕の名前はホンダだ」って言ったら、もうドッカンうけて、みんながビールとかすっごいご馳走してくれて。
初めて自分の失敗を周りの人が受け入れてくれて、自分で自分の失敗を受け入れるっていうことができて、意外とコンプレックスって人から愛されちゃうんだなっていうのがわかったので、コンプレックスを抱えているだけすごく無駄だなと思ったので、自分のできない部分っていうのを自分で受け入れるっていうことができる体験をさせてもらったおかげで、日本に帰って来てから、めちゃくちゃできる人を目の前にした時に素直に聞けるようになったんですよ。めちゃめちゃできる人がいると自分ができない部分がめちゃめちゃ炙り出されるんですよね。
例えば「この話を聞きたいな」と思った相手が「東大出てます」とか言ったら、「俺、学歴ねえから無理だな」とか、例えば「どうやったらモテるのかな?」と思った時にめちゃくちゃ身長が高い奴がいると、「俺、背が低いから無理だな」とか、コンプレックスが出ちゃって聞けなくなっちゃうんですよね。だけど、意外とそこをオープンに話すと、みんな気さくに教えてくれたりするんです。
だから僕は帰国して父の仕事を手伝っている時に、「今はうまく回ってないんだけど、社長だったらどうしたらいいですか?やり方を教えてください」って言ったら、教えてくださって、プラス「どうやったら社長みたいに生きられるのか教えてもらえませんか?」って言うと、相手の人は自分の人生を全部肯定してくれているって思ってくださるので、何でも気持ちよく教えてくださるんですよね。で、それを目を輝かせながら聴いて、メモを取って、それを周りの友人、知人に教えて、周りの友人、知人に「ここがちょっとわかんないだけど」って、質問を受けて教えてくれた社長のところに持って行くと、すごく喜んでくださって、もっともっと教えてくださるんですよね。それの連鎖のおかげで、めちゃくちゃメンター、師匠が広がったっていう。
あとは「自分はこういうふうに生きていきたい、こういうふうにしたいな」と思って行動すると現れるなと思っていて、メンターが現れたら自分の人生がいきなり開けて、行くべき道が見つかるっていうのは僕は違うなって思っていて。「自分はこっちに行きたいな。でもわかんねぇな。でもちょっと進んでみよう」ってなると「あ、この人が答えを持ってそうだな」っていうのが見えてくるので、僕はメンターって行動すると見つかるっていうのと、あとは自分のコンプレックスを受け入れていくと、素直に聞けるようになるっていう。あと教わったことは、周りの人にシェアしていくと、すごく運が良くなってきて、いい循環が生まれるんじゃないのかなっていうふうに思っています。
自分のコンプレックスを好きになると人生うまくいく
今井:ありがとうございます。そうすると、まず自分の準備と言うか、どの方向に行きたいかっていうところが大事。あとは、今の話を聞いていて、コンプレックスを好きになるっていう話がすごくいいなと思ったんですけど、お笑い芸人さんとかでも、一般的にハゲとかデブとかブサイクっていうのってネガティブポイントだったりすると思うんですけど、それを笑いにしている人がやっぱり持って行くなと思っていて。
本田:いますよね。
今井:まさにコンプレックスを好きになるっていうのは人気者の秘訣と言うか、人から愛されるものなんだなーと。
本田:そうなんです、そうなんです。そこを本人自身が受け入れていると、ものすごくお茶目ポイントになったりして、逆にものすごい人気者になっちゃったりするので、そこってすごく大事なのかなと思っています。
今井:自分の話で恐縮なんですけど、私の父が割とハゲめなんですね。
本田:(笑)。
今井:でも、触れちゃいけないハゲとかだと、みんな恐々って感じなんですけども、オープンなハゲだったので、「お父さん、今日もあれだね」みたいなことを言うと、「海苔でも乗せとくか」とか「マジックペンで塗っておくか」みたいな感じで返しがあるので、ドッと盛り上がるみたいなことがあるので。
本田:あるお笑い芸人の方が、「カツラを被っている人はいじっちゃいけない。コンプレックスに感じているから。被っていない人は受け入れているから、いじっても大丈夫」みたいなことをおっしゃっていて、「へー!」と思って聞いたことがそういえばありましたね。
今井:やっぱりそうですよね。自分が好きになれない部分を好きになっていくっていうのが、すごく大事なポイントですよね。
本田:そうなんです。若い時の僕は上手くいったものをいっぱいつくったら自分が好きになれると思ったんですけど、やっぱり人生はうまくいくものもいかないものも両方あるわけで、うまくいかないもの、コンプレックスなものを好きになった方が、人生全般を好きになれるんだなって途中で気がついて、それがすごく大きかったですね。
今井:もう1つ、なるほどって思ったのが、「社長だったらどうしますか?」って言って、素直に貪欲に聞いて、しかも聞いた話を仲間とシェアしてっていう。まさに砂漠でのお水の情報共有みたいなことが人間関係でも起きているのが、なるほどって思いました。
本田:そうですね。やっぱり自分の中で色んなトラブルが起きた時に、そのトラブルを超えてきた先人たちに聞くとすぐ答えが手に入ると言うか。そこで自分が一生懸命やっている姿を見せると、色んな人たちが応援してくださるので、なんて世界ってあったかいんだろうなぁって思うようになって、本当にそこから人生がめちゃめちゃイージーモードになっていっている感じですね。で、その中でも本当に和平さんはめちゃめちゃ高レベルで色んなものを実現されていらっしゃったので、とにかく色んなことを質問させてもらいましたね。
今井:ありがとうございます。きっと和平さんは大きな地図を持っていらっしゃったかと思うんですけれども、話は尽きないのですが、そろそろお時間が迫ってまいりましたので、続きはまた明日伺いたいと思います。明日はいよいよ「日本一の大投資家から教わった人生でもっとも大切なこと」に迫っていきたいと思います。本日は本田さん、寺崎さん、ありがとうございました。
本田・寺崎:ありがとうございました。
(書き起こし:フォレスト出版本部・冨田弘子)