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カーターのプロフィール
初めまして🍀カーターと言います😉
現在41歳で2児の父、関西在住です。
Twitterのフォロワーが増えてきたので、自己紹介用の記事を書かせて頂こうと思いました。
SNSで伝え切れない部分を、このnoteに書いてゆきますね(๑˃̵ᴗ˂̵)
❇️出身 北海道
出身は北海道、大学卒業後1年間アルバイトをして貯まったお金で関西へ移住しました。
理由は友達が関西に住んでいて、泊まらせてもらった時に関西で生活するのも楽しそうだなと思ったからでした(単純 笑) 当時僕は23歳。
関西に来て様々なアルバイトをした後、飲食業界で働き始めます。正社員として約5年勤めていましたが、ある事がきっかけでブライダル業へ移ることになります。そのある事とは、、、
❇️先輩のキラーパス
関西に出てきた時、仕事で一緒になった先輩がいてよく面倒をみてくれました。お互いその職場を離れた後もたまに会っていました。
その先輩が結婚することになり、結婚パーティーに呼ばれます。パーティーの前日、先輩に一言こう言われました。「明日の2次会のパーティーで受付頼むわ」
もちろん僕はOKの返事をして、当日早めに会場へ向かいました。到着して先輩に言われた一言「お前、今日司会頼むわ」
「え?」僕は耳を疑いました。「僕、、受付ですよね?」 「いや、司会やねん」、、、僕はびっくりしましたが「解りました」と素直に答えてやることになったのです(笑)
2次会とはいえ、結婚パーティーの司会をぶっつけ本番でやる人は世の中にどれくらいいるでしょうか?😅本番前の打ち合わせでカンペを渡されたど素人の僕は、気持ちだけで本番をやり終えました。
結果はなんと「大成功」‼️僕自身が1番びっくりしました😵
❇️司会業の道
先輩の2次会パーティーで司会を初めてやったことがきっかけで「何か面白いかも」「やってみたいな」と思い、ネットで司会事務所を調べました。
そして後日、事務所に足を運んでブライダル司会者の道へ進むことになったのです。
当時は飲食店で約5年ほど働いていて、何か新しいことにチャレンジしてみたいという気持ちもありました。
余談ですが、僕の座右の銘は「ハートの命じるまま自由に人生を生きる」。大好きな映画「バックトゥーザフューチャー」に出てくる、エメットブラウン博士のセリフです😉
昔から「やってみたい」「行ってみたい」と思ったら直ぐに行動するタイプでした。完全なる感覚派タイプ(笑)
今では考えられませんが、26歳の時にネットで好きなアーティストがアメリカのフェスに出るのを知り、宿の予約もとらず一人でアメリカに行ったこともありました。英語も話せない状態で😅
という感じの僕なので、正社員を辞めてアルバイトを3つ掛け持ちしながら司会のお仕事に力を入れてゆきました。
❇️充実感と不安感
ブライダルの司会のお仕事だけで食べてる人はほとんど皆無でしょう。司会事務所の先生であれば、専門学校の講師、主催してるスクール、自身の土日の披露宴の現場と収入源は3つほどありますが、その他大勢は自分の仕事(本職)を持ちながら司会の仕事をしています。
僕の場合はアルバイトを掛け持ちしながら、土日に司会のお仕事をしていました。現場での経験を積みながらスキルアップをして、新郎新婦にも喜んでもらうこの仕事にやりがいを感じていました。
ところが、充実感とは裏腹に生活するためのお金がだんだん不安定になってゆきました。朝、昼、晩と働いていましたが、どのバイトも日によって労働時間が短くなったりしていたからです。
丁度この辺りから生活が苦しくなってゆきます。人生で一番貧乏な時期を迎えることになるのです。
❇️出会い
僕自身、勝手に思い込んでいることがあります。それは出会いにとても恵まれているところです。
ブライダルの道へ進む前の飲食の仕事で出会った歳下の男の子がいました。メンタルの弱い子で、新しい仕事を始めては辞め、始めては辞めと繰り返していた子でした。
その子が入ってきた時、僕が指導係になって仕事を教えていました。その子が入って約1週間ぐらい経ったころだったと思います。店長に怒られた男の子は突然職場を辞めてしまいました。
飲食業界は出入りが激しかったので、1週間で辞める人はザラ、2、3日で来なくなる人も多かったです。
ただその子が辞める前に僕は連絡先を交換していたので、辞めた後も連絡したりお茶したりしていました。
そして、ある日その子が僕に紹介したい人がいると言ってきたので紹介してもらうことになりました。この頃はまだ気がつきませんでしたが、今思えば大きく僕の人生が変わり始めた時でした。
❇️素敵な大人
本のタイトルは忘れてしまいましたが、有名な作家の本田健さんが監修した海外の本があり、当時その本を買って読んでいました。本田健さんがその本にコメントを載せていました。➡︎「もし貴方が自由で豊かな人に出会いたいと願えば出会えるでしょう」といった感じの文章だったと思います。
僕は素直に「出会いたい!!」と口に出しました。それからさほど期間が空くこともなく、僕は自由で豊かで素敵な40代の男性と出会うことになります。
そう、その人と出会わせてくれたのが先ほど話していた男の子だったのです。
❇️メンターの思考
結局、ブライダルの司会業は2年で幕を降ろすことになります。先ほど話した当時40代の男性と出会ったのは、僕が31歳の時。1年ほどただの飲み仲間といった関係でしたが、32歳くらいからは「世の中の経済の仕組み、お金との付き合い方や使い方、自由に生きている人達の考え方、などなど学校では教わる事のない話しをたくさんしてくれるようになりました。
その人は事業で成功されているのですが、表舞台には全く出ていかない人でした。家族との時間を大切にして旅行を楽しみ、自由きままなライフスタイルを送っていました。生きてゆく為に必要な知識だけではなく、僕が教わったのは人としてのあり方であったり、誠実さや思いやりでした。
今現在もその人とは家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いてます٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
❇️新しい道
ブライダル業界から完全に離れた僕は、不安定な働き方を見直しました。掛け持ちしていたアルバイトは全て辞めて、全く経験の無い通信業の道に進むことになります。そして、今の嫁と結婚し二人の子供に恵まれました。
司会業を引退してから僕が興味を持ったのは、物語や詩の創作でした。毎日コツコツ書いていた物語が本一冊分になり出版社に持ち込んだりしたこともありました(出版には至りませんでした 笑)
この頃から、自分は物語を書いたり、記事を作ったりする事が好きなんだなと、新たな自分の一面を知ることになります。
将来的に本を書いたりしてみたいですが、あくまで趣味的なスタンスでのことです。自分のパーソナリティの一部になればいいかなくらいに考えています。
❇️そして、コロナが
コロナが始まった時、まず僕が強く感じた事がありました。
それは「発信者と受信者」の二極化です。
SNSが時代において重要な役割を持つようになった今、情報を発信し続ける人と受け取るだけの人に大きく分かれてきています。
僕はそのことに関して危機感を感じました。世の中はしかける側としかけられる側に昔から分かれていて、今回の発信格差は経済格差をさらに加速させると思いました。
2020年は分岐点だと個人的に感じています。
そんな事もあって、自粛期間中に●noteを始め●YouTubeを始め●アカウントを作ってほったらかしていたTwitterを再開する事になったのです。
❇️出会えた皆様へ
長ーーいプロフィール紹介になってしまいましたが、最後まで読んで下さり本当にありがとうございました😉
これからもTwitterでどんどん発信してゆきますので皆様どうぞ宜しくお願いします👍✨✨
それでは、、
したっけねー ♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪
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