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ふつうの女とズルイおんな
ラジオなんてふだん聞かないんだけど、
久しぶりにカーラジオにチャンネルを切り替えると「夏の日の1993」が流れてきて。
まだこの歌流れるのかー、と思いながら、しかしちょうど今、レトロが流行る感じで令和の時代にもマッチしてる名曲のような気がして。
聞き流しながら、ふと歌詞の「ふつうの女と思っていたけど〜」に引っかかって。
ふつうの女と思っていた?
男が偉そうな感じがする。男が強い。強い男がモテた時代感。
27年前はそういう時代だったかもとなんとなく記憶をたどる。
今の時代にそぐわないんじゃないか。この歌詞。しかし、この「男が強い感」とかを若者が敢えて『お洒落』と捉えそうな気もしてくる。
うちの妹なんか強いから「は?何様よ?」と言い出しそうでこわい。
女性は約30年で強くなっている気がする。男が弱くなっただけな気もするが。
そこでなぜか、シャ乱Qの「ズルイ女」が浮かんだ。
ふつうの女、と、ズルイ女。
どちらが?どうなんだろう?
大まかに、おおざっぱに言うと、
歌詞的になんだろうけど、ふつうの女〜は、女性を見下していて、ズルイ女〜は、女性を見上げている。
ふつう、が見下していて。
ズルイ、が見上げている。
わたしの中では基本的に『男は女に勝てない』。
女性がズバ抜けて賢くて強い。全ての女性に尊敬し「参りました」と降伏しながら生きていきたいと思ってる。見下すなんてもっての外。見上げていきたいと思っている。
ということは、ズルイ女に囲まれていれば幸せなのだ。
妻はたぶん、ふつうだ。普通の妻だ。
わたしのまわり、ズルイ女が全くいないな。
いや、まず、知り合いの女性がいないのか。
ズルイ女に囲まれるなんてそんな幸せなことは起こり得ない。
その前に、ふつうの女に囲まれることだってありえない。
ズルイ女に囲まれるなんて高望みしすぎだ。
ふつうの女に囲まれたい。しかし囲まれても、何も話すことが浮かばない。女性との会話で盛り上げることは不向きだ。囲まれてしまっては、誰かと話さなきゃならない。誰か1人とだけ話せばいいわけではない。
たぶんみんなと平等に話さなければならない。女性は一人だけ除け者にされるのは嫌がるはずだ。いや、わたしが嫌なことは大抵女性も嫌なはずだ。みんなと平等に話さなければならない。それぞれの女性に興味を持って、興味がある風に話を振っていかねばならない。だれか一人と盛り上がるような状況になったとしても、あまり盛り上がらなかった女性がつまらなそうにしている様子が目に入ってしまうと、途端にわたしは凹むはずだ。こんなシチュエーションをエンジョイできるはずがないのだ。
メンタルだいぶ消耗する。。
無理だ。嫌だ。やめておこう。ふつうの女に囲まれたいなんて嘘だった。
囲まれたくなかった。思い違いだった。なんの話だ。
夏のせいだ。真夏の40℃とかが悪いのだ。
はー、ズルイ女と不倫できる男が一番すごいんだろうな〜。