雑記


最近感じる事を雑に並べようかなって思った。
全く身にも何にもならないただの独り言記事。

ギフテッドはご存じだろうか。所謂、天才と呼ばれる子達だ。
大学レベルの数学を解く、数か国語を話すなどなど。
一般的に、飛び抜けて高い知能を有さないと実現できないような事を成し遂げる子供がギフテッドと呼ばれている。

最近、そんなギフテッドの子達が学校で居場所を失って生きにくい、という記事を読んだ。
そして、そこに非常に疑問を持った。

人は同調を求める傾向にある。
もちろんそうで無い人もいるが、マイノリティの部類だろう。
同調圧力という言葉の対義語は無い。
みんな違ってみんないい、というフレーズを国語の教科書に載せる割に、みんな同じにしようね、を求める。

話を戻す。
圧倒的な個性と能力を持った子達が同調圧力に埋まって、「普通」に生きざるを得ず、結果その個性を殺してしまわないか、という事を危惧した。
卓越した能力なら、個性を認めるべきだ。

先見の明を持つ大人が周りにいる子供は、恐らく救われるだろう。
例えば飛び級、専門機関での高度な勉強、そうやって子供の興味を更に伸ばして、個性を高めてくれるだろう。
しかし大多数は、個性の裏側にある欠点(と言ったら言葉は悪いが)しか見ていない気がする。
「○○くんはずば抜けて絵が上手いけれど、忘れ物ばかりする」と言うように。

良い点の後に、逆説の接続詞を挟んで、わざわざ欠点を強調して説明しようとしている人。多くないだろうか。

個性、特に優れている点は、是非ともその人に「ここがすごいね!」と伝えて、もっともっと個性的な人になってほしいと思う。
そして、

「あいつはこれはすごいけどあれがダメ」

ではなくて、

「あいつはこれすごい!まじリスペクト!」

というように、個性が大切にされる世の中になれば、いいな。


会社支給iPhoneのアップデートが終わったのでこの辺にします。
ここまで読んでくれた優しいあなた、どうもありがとう。

あなたにとって明日がより良い1日でありますように。

焼肉食いてえ〜

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