地球生まれの宇宙人
SNSで色々なやり取りをしていると、僕が持っているこだわりとか考え方って、もしかしたら人と全然違うんじゃないかと思うことが多い。
ASKAさんは「地球生まれの宇宙人」という曲をチャゲアスで書いているが、それに近いかなと思ってまんまタイトルにしてみた。
まぁ、僕ってこういう人だ、という自分語りのページ。
僕が、自分の思うこと、考え方の偏りを勝手に書いているだけの場所。
こっそり追記するかもしれない。
煙は火ではない
裁判とかの例が分かりやすいけど、僕は当人が否認していたら、僕だけは信じてあげようと思ってしまう。 性善説かな。
日本では容疑者の段階で犯罪者扱いされてしまうけど、噂とか容疑者は、その段階ではまだ嘘の可能性も大きいでしょ?と思う。
火のないところに煙は立たないとは言うけど、煙が見える段階では火じゃないかも。
話があがったとしても、「その出処の人からみた視点」でしかあり得ないことを十分に念頭に置く。
なお、ASKAさんの脱退の話もASKAさん側の視点でしかないので、CHAGEさんの本音が聞きたいです。
何であれ人が大事にしているものは、十二分に尊重する
その大事にしているもの、こだわりが魂の根幹だったりするから。
「勝手に夫のコレクションを捨てちゃう妻」みたいな話は信じられない。
そういうものが明日への活力になっていたりするからね。
熱意を注げるものがあるというのは、本当に素晴らしいと思うし、尊敬している。(犯罪を除く)
人がなにかにハマっている話が、その理由がとても好きだ。
有名な人も、同じ人である
応援している対象の有名人も、やはり同じ時代に生きる人間である。
つまり、同じように生活があって、プライベートがあって、自分の考えで動いている。 間違いもする。絶対正義ではない。
そういう大変な生活がある中で、光り輝くものがあるからこそ応援しているわけだ。
なので、「私はこうだ、これに興味がある」とその人が言っていても、「そういう考え方もあるか」と取捨選択して、良いと思ったものを選ぶ。
ただその人に興味を持っているので、結果として取り入れることが多くなるだけ。 グッズや作品の購入は自分のできる限り、モチベーションの範囲内で行う。
自分とその人、1対1の関係で完結する。
他にどんなファンがいようが、じゃあ「自分」がどう思うか、どうしたいか、というのが全て。
「ファン」に類される人、としてはかなり冷静な方かもしれないね。
だから、他のファンの人が見せる熱意に尊敬の念を抱く。
ただその人が、その人らしく生きられますように。
ファンになると思うこと。
ファンはその対象の人に対して色々な要望を持つのが普通かもしれないけど、僕はなんか、その人が同じ時代に同じように、その人らしく生きているなら十分だなぁと思ってしまう。
「その人が見せてくれる先を見たい」と思うのが、ファンになる切っ掛け。
ある人や作品について、マイナスのことは発信しない
特定のワードで検索する人もいるでしょうに。 自分がそういうのを見たくないからね。 見た人に、「こんなファンの人でさえそんなことを思うのか」って思わせたくないでしょ。
これに限らず、お店でも食品でも作品でも、ある対象に対するマイナスのフレーズは、できる限り吐かないのが得策。 自分が知らないだけで、こっそりその対象を好きな人が周りにいるかも知れないからね。
あり得ない、なんてことはない(20.11.11追記)
言い換えると、物事には何事も例外があるということ。
「煙は火ではない」に近いかな。
「絶対そうだ、なんて言い切れないだろう」と松蔭寺さんも言っている。
人はある経験を元にして、「~~だから~~に決まってる!!」と思ってしまいがちだ。 わかりやすく言えば、「トランプをちょっとでも肯定する発言をする人は、みんなダメに決まってる!!」みたいな、心の中の駄目絶対フィルタ。
そんなフィルタを元にして、自分が本当に好きなものに対してすら、目を曇らせてしまったりする。 心の中に勝手にできたそういうフィルタは、丁寧に取り除いていきたい。
ただ、自分が大事にしている人やものをけなされるのは未だに嫌いかなぁ。
それはもう、生き方が違うとしかいいようがないと思う。
自由とは責任を伴う(20.11.20追記)
上で書いたように、特にファンである対象は、やはり同じ人間である。
何を発言しようと、どう生きようと、どういう売り方をしようと自由だ。
その一部に琴線が引っかかって、その人を見つけてファンになる。
ただし、逆に「何を発言しようとその人に責任が降り掛かってくる」ということでもある。 特に有名な人については、自分がどういう方向性で売っていくか、メディアにどう露出するか、どう発言するかなどによって、全てが自分への評価として跳ね返ってくる。 責任を負わなければいけない。
自分の売り方、立ち位置、未来を見通した活動、全体の中でのバランス感覚については、ASKAさんは超一流であると思う。
有名な人のツイートやブログに、一々批判する人がいる。
そのような責任を持った発言に対して、他人がどうこう言うのって、一人の大人に対して大変失礼だと思う。
逆に潰れてしまうなら、その人はそこまでだという冷淡さが僕にはある。 全てに責任を持って石の風を浴びているからこそ、多大なる尊敬の念を持っているのだ。
嫌いにならない、なる理由がない。(21.08.30追記)
有名人が好きになる理由は上に書いた通りだけど、僕は一度この人好きだなぁと思った対象の人については、嫌いにならない。なる理由がないと言い切れる。 恋愛の話じゃなくて、ファンとかそういう話ね。
時間やお金などのリソースを割かなくなることはどうしてもあるが。
「その人が見せてくれる先を見たい」と思うのが、ファンになる切っ掛けであることが理由だと思う。 僕はその人の良いところをいっぱい知っているし、発言や自分と重なる経験、自分の一場面に寄り添う作品などがあるから、年を経る毎に好きな度合いってドンドコ増えていくんだよね。
勘違いかもしれなくても、僕はその人の良いところをいっぱい知っている。
もちろん同じ人間だから、後ろに見せていない面があることはもちろん知ってのことだけど、同じくこんな時代を生きているからこそ、でもある。
僕には経験がないが、人って、何かしらの原因でパブリックイメージが変わったり崩されたりしたときに、失望して嫌いになったりするんだと思うけど。 それって自分の中で作り上げた虚像と、その人の実像が違っただけじで、勝手な話じゃない?
自分の場合、事実のみの等身大でその人を捉えていて、それ以上の虚像を作り込んだりしないからか、何があっても1ミリたりともずれることがない。
元々が同じ人間だ、というのが原点にあるからかもしれない。
悪い言い方をすると、パブリックイメージとして見せるセールス面と、こちらが見たいものが合致している、というぐらい分析している。
期待しすぎていない。 但しそれ以上に情熱を感じるからだけれども、ね。
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