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チームワークとはなにか?〜仲間と進むリーダーへの道〜
中外製薬での体験の中でも、決して忘れられない出来事の一つがある。それは、トシリズマブの開発チームが一堂に会したある会議での一場面 だった。
当時、トシリズマブの関節リウマチに対する第Ⅱ相試験が終了し、第Ⅲ相試験の準備を進めている最中 だった。これまでの試験で素晴らしい結果が得られていたこともあり、開発チームは一日でも早く第Ⅲ相試験を開始したい という強い意欲に満ちていた。しかし、そんな矢先に製造部門から思いもよらぬ通達があった。
「治験薬の製造が間に合わないため、試験の開始を延期してほしい」
表向きは「申し出」の形を取っていたが、実際には交渉の余地のない、事実上の決定事項 だった。
抗体製剤の製造という難題
この話の背景を理解するために、抗体製剤の製造 について少し触れておきたい。
トシリズマブは抗体製剤 に分類される薬剤であり、その製造過程は非常に複雑である。一般的な低分子医薬品とは異なり、抗体製剤(とくにモノクローナル抗体)をつくるには、まず細胞を使って抗体をたくさん作り、そこから不純物を取りのぞいて精製したり、品質をチェックする作業を行ったりします。たとえばCHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)という哺乳類の細胞を大規模に培養し、その細胞が作る抗体を培養液の中から取り出して、きれいに分けるのです。こうして高い純度を保ち、いつも同じ質の抗体を作るために、細かい工程管理ときびしい品質試験が行われます。これらの手順をすべて終えることで、最終的に薬として使える抗体製剤が完成します。
また、抗体製剤の製造には、細胞の状態・培養条件・精製工程・設備や衛生管理・運搬や保管のようなさまざまな要因が影響を与えます。
そのため、安定した製造には巨大な設備、莫大なコスト、そして膨大な時間 を要する。
加えて、治験薬の製造はまだ試行錯誤の段階であり、商用生産よりもさらに難易度が高い。
しかし、当時の私はこうした背景を深く理解することなく、ただ怒りに身を任せていた。
「なぜ製造の遅れが許されるのか?」—怒りの発言
製造部門の発表を聞いた私は、激怒 した。
「患者さんが待っている。製造が間に合わないから試験を延期するだなんて、そんな判断は受け入れられない。製造部門は一体何をしていたんだ!」
当時の私にとって、最も大切なことは、目の前の患者さんに一日でも早くトシリズマブを届けること だった。この時点でトシリズマブは治験薬であって薬ではない。けれども、私にとって患者さんにトシリズマブを届けることは治療選択肢を提案することと同義だった。
脳裏には、オーランドで開催されたアメリカリウマチ学会でのスタンディングオベーション の光景が浮かんでいた。
「この薬を待っている患者さんがいる。少しでも早く届けたい。」
それが私の全てだった。
しかし、一方で、私は社内のトシリズマブ開発チーム全体の状況を見ていなかった。
「独りよがりな開発者」だったことへの気づき
新薬開発は、多くの専門知識を持つチームが連携し、緻密に計画を進めるプロジェクト である。
✅ 臨床開発
✅ クリニカルサイエンス
✅ 統計解析・データマネジメント
✅ 薬事・安全性管理・QC
✅ 臨床薬理・メディカル部門・CMC
✅ マーケティング
これらの専門チームが互いに協力し、何重にもチェックを行いながら進めることで、初めて薬剤が認可される。
しかし、あのときの私は「臨床開発」しか見えていなかった。
「製造の遅れがなぜ許されるのか?患者を待たせるなんてあり得ない!」
私はそう考えたが、それは独りよがりな視点 だった。
もしあの時、トシリズマブの開発に関わる全てのメンバーの立場に思いを馳せていたら、私は違う発言をしていただろう。
「一緒に働きたい」と思われる人間だったか?
今振り返ると、私はあの場で共に新薬の開発を進める仲間の努力を軽視し、責任を押し付けるような発言をしてしまった のではないかと思う。
あの会議に参加していた仲間たちは、私の発言をどう受け止めただろうか?
少なくとも、「一緒に働きたい」とは思わなかったのではないだろうか。
共に目標を追いかけるはずのメンバーの「失態」を強調し、攻撃するような発言をする人物は、チームにとって歓迎される存在ではない。
「患者を救う」という大義名分はあったとしても、チームの結束を損なうような言動は、プロジェクトの成功にはつながらない。
この経験は、私にとって大きな学びとなった。
余談—「クロちゃんがああ言ってくれて救われた」
この会議が終わった後、製造の遅れを伝えた当の本人が私のもとにやってきた。
彼はこう言った。
「クロちゃんがああ言ってくれて救われた。」
この言葉の真意は、今でもはっきりとは分からない。
ただ、この言葉をかけてくれたのは、後に中外製薬のCEOを務めることになる奥田修さん だった。
振り返ると、あの出来事は単なる衝突ではなく、私自身のリーダーシップを問う機会 だったのかもしれない。