さみしいきもち

私は友人との関係性が希薄なのかもしれない。

そもそも、友人であるという定義がわからない。私は私がすきだと思って友情を感じている人は皆友人というくくりなのだけれどもそもそも相手がどう思っているのかを確認しているわけではない。

二年半前に越してきた町はとても暮らしやすい。そこで知り合った人は皆友人であると思っている。私はなじみの店を発掘したらほぼそこに入りびたりである。だから、店員とも仲良くなる率は高い。でも、それは厳密には友人とは言えないだろうとは思っている。個人的な連絡先を交換していればそれは友人のうちに入るのかもしれないとは思っているけれど私の方から聞くことはしない。

なんで?って言われるの怖くないですか?

そんななかで、家族ぐるみで気に入ってよくいくカフェがあってそこのママともとても仲良くなった。私は、友だちだと思っている。

友だちって、良いときばかりじゃなくて関係性が微妙な時もある。私はそういう時は距離をとるだけにしている。たまに声をかけて、タイミングや相手の気持ちをうかがうこともあるし一度友だちと思った人はずっと友だちだしそれはたとえ相手が変化してもそうだ。

人は進むときもあれば後退するときもある。うつむいて動けなくなる時もあるししゃがみこんで何者をも寄せ付けないときもある。

そういうとき、私はその人の肩に手を載せる。

誰にもなにも言ってほしくないときがある。

動けないし動きたくないし動かせないでほしいときがある。

声をかけてほしいときもある。

でもそれはエゴだし誰にもわからないことだから

わからないことを探ろうとはしない。


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