「理解できる」はありえない
精神科医が言う最も厄介な人とは、「他人を自分が理解できると思っている人」だと聞いたことがあります。
私もその意見に同意します。
「わたしはあなたのことを理解できる」なんてありえません。
人間は、他の人間を“理解する”ことはできません。「わたし」と「あなた」
は他人だからです。
そもそも、「理解する」とはなんでしょうか。
私が考える「理解」の定義は3つあります。
・共感
・同意
・解釈
まず、「共感」と言う意味での“理解”です。
相手が言ったことに対し、「わかる!」と思うときって、あると思います。
たとえば、相手が「やらなきゃいけないって分かってるんだけど、始めるまでに時間がかかるんだよねえ…」と言えば、「わかる!私も!」となるかもしれません。
それが、「共感」です(この共感力を上げるための方法が、読書などをして想像力をつけることだと考えています。読書は「文章を通じて、他人の目線で物事を見る」という行為なので)。
この意味での”理解“は、特に問題がないでしょう。共感することで、信頼関係が育まれていきますし、共感は役に立つ場合が多いです。
次に、「同意」という意味での”理解“です。
文字通り、相手が言ったことに同意する、ということです。
実際、このnoteを書く上で、私は精神科医の先生に同意しています。その先生の「”他人を自分が理解できると思っている人”は厄介だ」という意見に対し、私もそう思う、と主張しているのです。
共感する機会と同様に、同意する場面も多くあると思います。
たとえば、「この洋服高くない?」という相手の意見に対し、「私も高いと思う」と返すことも同意になります。
この意味での“理解”も、問題ありません。
最後に、「解釈」という意味での“理解”ですが、これが、私が厄介だと考えるものです。
「解釈」としての“理解”とは、「私はあなたのことをわかっています」という姿勢のことです。
もし、「私はあなたのことを分かっている」と言うとしたら、それは、相手の思考や人格を、自分が全部分かった気になっているはずです。
そんなことはありえないんです。
誰にでも、他の誰かには分からない面を持っています。
生まれたときの性格も、どんな人になりやすいかという傾向も、育った環境も、すべて違うのだから、相手が同じ考え方や価値観を持っているわけがありません。
さらに、人というのは、刻一刻と変わっています。
どんなに小さなことだったとしても、その瞬間に何か学んだことや感じたことがある。なので、次の瞬間には、ある意味、違う人間になっています。
全く同じ人間であり続けるなんてありません(「あなたはいつまでもそのままでいてね」などは傲慢です。そんなの無理!!って感じです)。
人は常にアップデートされている、と言い換えてもいい。
相手の思考や人格を、全部自分が理解できるということはありえないんです。
“理解”についてもっと言えば、たとえば、もしあなたの目の前にいる相手が、『実はさ、わたしレズなんだよね』と言ったとしたらどうでしょうか。
「それは辛いね」と思ってしまう、もしくはそう答えてしまうでしょうか。
もしそうだとしたら、相手が「レズだから辛い」と思っていると、誰が分かるのでしょうか。「自分は同性愛者で嬉しい」と思う人もいるかもしれない。
相手の感じ方が自分と違うかもしれない、と考慮せずに、「自分はこう思う、だから相手もこう思うに違いない」と考えるのは、押し付けです。
みんなそれぞれの感じ方がある。
自分の尺度に人を当てはめてはいけません。
もし、「相手のことを理解できる」と思ってしまうとしたら、「他人が自分と違う価値観や考え方を持っている」という前提があまりないのではないでしょうか。
「他人は他人、自分は自分」です。
「他人が自分と違う」とあまり思えない人は、おそらくその線引きがちゃんとできていない。
線引きができていないと、「なんで分かり合えないの」「なんで自分のことを分かってくれないの」などと、なってしまいかねない。
それは本人も周りも苦しいでしょう。
当たり前ですが、私が見ている緑色と、あなたが見ている緑色は、ちがうのです。
一見同じように見えても、自分の目に映るその色と、相手の目に映るその色が全く同じだと、誰が言えるでしょうか。
私が感じる痛みと、あなたの感じる痛みも、ちがいます。全く同じことをされたとしても、わたしはあまり傷つかないが、相手は深く傷ついている、ということだって、多々あります。その逆も然りですが。
もっとわかりやすい例でいうと、食べ物が挙げられます。
私の好みとあなたの好みは違う。なので、同じものを食べたとしても、おいしいと思う程度は異なります。
「自分」と「他人」は別の人間なのです。
人それぞれ、バックグラウンドや考え方、感じ方が違います。自分と相手が、同じ感じ方や考え方をしているわけがありません。
「わかりあえる、理解できる」なんて無理です。
なので、「わからないけど、あなたはそう感じて、そう考えているんだね。私はそれを尊重します」という姿勢が必要なのです。
読んでくださり、ありがとうございます。 このnoteを読むことで、セクシャルマイノリティについて少し知っていただけたり、何か生きるヒントのようなものを見つけていただけたら、幸いです。