【読書メモ】わかりあえないことから
わかりあえないことから
平田オリザ/講談社現代新書
劇作家。演劇と教育から見たコミュニケーションについて熱く書かれてます。まえがきの問いが好きです。新たな視点をもらった気がします。平易な言葉が多くて割とすぐに読めました。
■印象に残った言葉
・「では、御社の求めているコミュニケーション能力とは何ですか?」
・世間では、ただ漠然と「コミュニケーション能力」が、やみくもに求められている。いったい、人びとは、そこに何を欲しているのだろうか。
・中高年の管理職たちは、近頃の若者はコミュニケーション能力がないと嘆いている。はたして本当にそうなのだろうか。
・学校の先生方や親たちは、子どもの気持ちがわからないと嘆く。何が問題なのだろうか。
・日本のコミュニケーション教育は、あるいは従来の国語教育でも、多くの場合、それは「わかりあう」ことに重点が置かれてきたように思う。
・わかりあえないことから出発するコミュニケーションというものを考えてみたい。
そして、そのわかりあえない中で、少しでも共有できる部分を見つけたときの喜びについても語ってみたい。
・教えない勇気
教師が教えすぎるのだ。もうすぐ子どもたちが、すばらしいアイデアにたどり着こうとする、その直前で、教師が結論を出してしまう。
・待つ勇気
・人生には、話しあっても結論の出ないことがたくさんある。
話しあう必要のないこともたくさんある。
何を話しあい、何はジャンケンで決めていいかを決定できる能力を身につけることが「大人になる」ということだと私は考えている。
・ことはそう簡単にはいかない。私たちは、同じ日本語を話しているつもりでも、それぞれ違う言葉を話しているのだから。
・「みんなちがって、みんないい」
そうではないのだ。
「みんなちがって、たいへんだ」
という話をしているのだ。
・しかし、この「たいへんさ」から目を背けてはならない。
■思ったこと、感想
・タイトルやまえがきにすごく共感を覚える。
・夫婦など「長く一緒に暮らしているんだから、当然、喋らなくても自分のことはわかってくれているに違いない」と思っている。
そして失望する。
そもそも期待値が高すぎるかもしれない。
「察する、空気を読む、輪を乱さない」
喋らなくても、「わかりあえる」を善しとする日本独特の文化。
でも本当にそれだけで良い関係が築けるのか。分かってるであろうことを改めて口に出して伝える。
「そんな事、言わなくても分かってる」
と言われて嫌な気持ちも味わうだろう。
本書では「対話の基礎体力」と呼んでいる。
でも「わかりあえないことから」を出発点に改めて考えてみてもよいのでは。
きっかけを示してくれてたように思う。
・世界と日本の文化を比較しつつ、本文で何度も「善し悪しではない」
「優劣でもない」
と繰り返し伝えている。
正解を出そうとしてしまいがち。
純粋に「違いを知る」。
善悪もなく邪正もなく、そこから何を学ぶか。
大事な視点だと思う。
・グローバルコミュニケーションスキル(異文化理解能力)と同時に、日本文化の従来型の同調圧力コミュニケーション(察する、空気を読む)能力という矛盾した二つの能力を同時に求められる(ダブルバインド)現代社会。
そういう社会環境に置かれている事は、自分では変えられない。
今の社会って(ちょっと昔と違い)そういう状況なのね、って事は否定せずに受け入れて、自分のできる事に注力する。
コミュニケーション能力は人格・個人の資質ではない、身に付けられるスキルだ。
・「同じ言語だから伝わる」という出発点も、
「お互いわかりあえる」という到達点も、
本当にそうなのか、改めて考えさせられる本。
今までの当たり前を見つめ直すのは、怖いことではあるけれど、相手と共有できた時の喜びが生まれたり、話す前の心が軽くなったりするかもしれない。