自殺について
タイトルは重たいけど、記録としてはそんなに重たい内容ではないはず…周りと自分の感覚の違いについての記録。
コロナで自粛生活が始まって10ヶ月くらい経つのだろうか……今までのように、舞台を観に東京や大阪へ出向く回数は激減したものの、仕事柄、毎日出社しなければいけないため、日々の生活がそんなに変わったような感じもしない。ただ、世間的にはいろいろな変化があった。
この期間に有名人の自殺が相次いだ。
正直、私もショックを受けたし、周囲の人と同じように「なんで…」と思う気持ちはある。
わたしの家族は「子供を遺して死ぬなんて自分勝手だ」と責めるようなことを言ったり、同僚は「なんで死んだんだろう」なんて言ったりしたりしていたが、私は話をしながら、自分の気持ちが周囲の人と違うなと感じた。
「なんで」と感じはするものの、どちらかと言うと「こんな生きづらい世界で生きていくのは大変で、死にたくなるよな」「こんなにファンがたくさんいて、家族がいる人でも死にたくなるんだから、私が死にたいと思うのは当たり前だよな」と、どちらかというと共感に近いような気がする。「なんで死ななければいけなかったんだろう」というよりは、「なんで、死を決断できたんだろう」という気持ちがあるのかもしれないと思った。
こんなことを言うけど、別に死のうと思っているわけではない。病気でも、事故でも、事件でもなんでも良いから、早めに死ねたら楽なのに…というくらいの精神である。「いや、それも十分ヤバいよ」と思われるのか「みんなそれくらい思ってるよ」と思われるのかは知らないが、「死」に関する感覚の違いも人それぞれだろうから、私の感覚はこんな感じというだけの話。
念のために繰り返すけど、だからと言って「死のう」と思っているわけではない。単純に生きてるのが辛いだけ。昔は若干死にたがりなところはあったけど、今は「どうせ死ねない」ということもわかっている。
こんなことを言っては、一生懸命生きようとしている人たちに申し訳ない…とも思うけど、そんなこと言っても、自分のこの感覚は消えないんだから仕方ない。
と、こんな機会に「死」について感じることがあったのでちょっと記録してみただけです。
そんなこんなでも、私は日々の中に希望や楽しみを見出しながらちゃんと生きてる。嫌いな仕事もしてる。(嫌いだと思いながら仕事してるから、こんなこと考えるのかもしれないけど)
さぁ、明日も仕事。苦しさを伴いながら、明日からまた一週間、頑張って生きよう。