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組織は属人性を排除すべき?生かすべき?

このブログはエンゲージメントに関してお伝えしてるわけですが、エンゲージメントって一昔前は、あんまり聞かない言葉でした。

今回は、エンゲージメントが叫ばれるようになった時代背景ってなんなんだろう?ということについてお伝えします。

標準化時代から個別化時代へ

まずは下の図表をご覧ください。

この表は、「標準化」と「個別化」の違いを表しています。

日本でバブルが弾けたのは1989年ですが、バブルの前の日本は大量生産、大量消費の時代でした。

この時代は、世界中に家電も車も行き渡っていなかったので、製造すれば製造するだけ売れる時代で、日本の日経平均株価もずっと右肩上がりでした。

作れば売れるので、新しい商品を開発するより、今ある商品をできるだけ早く、安く、効率よく製造することに力が注げば、その分だけ売り上げが伸びました。

斬新で破壊的なイノベーションではなく、オペレーションエクセレンスで利益を上げられた時代に一番大事だった考え方こそ

「標準化」です。

標準化とは

誰がやっても均一な品質を、短時間でたくさん生み出すことが大事でした。標準化の世界では個性などのオリジナリティは必要ありません。

工場のオペレーションを、個人の好みで変更してしまうと製造ラインが止まってしまいます。

チェーン店でマニュアルを逸脱した行動をとることは、均一な品質に悪影響を与えます。

標準化の世界では、決まった手順で決まったタイミングで決まったやり方でやることが大事です。言い換えれば「脱個性」すればするほど成果が上がります。

標準化の世界では個性は「問題」であり、「多様性」は管理コストを上げる要因となります。

誰でもできる仕事とは、匿名性が高い仕事といえます。「便利」「簡単」「誰でもできる」のと引き換えに仕事そのものの「やりがい」や「面白み」が犠牲になります。

仕事自体が面白いことをワークエンゲージメントが高い状態といいます。標準化された仕事は面白みを感じにくいのでワークエンゲージメントが得られません。仕事そのものからやりがいが得られない状態では、「目標を達成した見返り」に得られる達成感や昇進、昇給でやりがいを埋めることになります。

成功するためには「目標を明確にし、懸命に努力、そしてコースを外れるな!」を叩き込まれます。受験戦争はその最たるものです。これらは標準化に大事な業務処理能力を鍛えるための訓練として機能していたのです。

マネジメントの視点で見ると「みんな同じ」で「属人的」な部分が少ない標準化は管理が簡単です。みんなが同じ世界に個別対応は不要で、一律の対応でも問題が起こらないからです。

もし、属人的に反発する人が出ても、取り替え可能なのが標準化の世界観です。人材の能力に依存しないので、非常にリスクの少ない経営が可能です。標準化を進めれば、管理者は楽ができるため、管理する側の人間は、標準化を歓迎する傾向にあります。


高度経済成長期はそんな世界観で日本は動いていましたが、時代は流れ、現代ではどう変わったのでしょう?

個別化の時代

インターネットやSNSの台頭や、教育、コロナなどで、働く人の仕事観は、大きく変わりつつあります。

今まで、仕事といえば個人よりも企業が主体でした。

会社のいうことに個人が従うというのが割と当たり前に受け入れられ、企業が上、個人は下という上下の感覚で捉えられていました。

私は今年44歳ですが、最初に勤務した会社では、完全にこの感覚で就職しています。

ところが最近の若手を見ていると、会社に自分が合わせるどころか、自分に合った、自分らしさが発揮できる会社を探すという考え方が主流になっている気がします。

会社との関係性も、「個人と企業は対等」と考えている方が多いのではないでしょうか。

年配の方は「個人は会社に従うものだ」と考え、若者は「自分らしさを我慢させられる会社はおかしい(なぜなら俺と会社は対等の間柄なんだから)」と考えています。

どっちもどっちな部分もありますが、両者は永遠に噛み合わないように感じてしまいます。

会社(集団)の成功を重んじていたかつての時代では、集団の成功要因である標準化に社員は従っていました。それが自分にとってつまらないものであったとしても、集団の勝利のためには個人を犠牲にしていたのです。

しかし、今の若者が大事にしているのは自己実現です。対等な関係性の企業のために自分らしさや自分の人生を犠牲にするという考え方はありません。

「ナンバーワンよりオンリーワン」で育ってきた彼らにとって、個性は何よりも尊重されるべきものです。

彼らは「仕事自体が楽しみでなければならない」と考えています。彼らにとって、やりがといは、「仕事の達成の後にもらえる何か」ではなく、「仕事そのもの」でなければならないのです。

好きで得意を仕事にしてリア充してるのがカッコいいというのが、彼らの信じる宗教です。

明確な目標を持って努力するより、充実した仕事を積み重ねて気づいたらとんでもないところまできてしまったというイチローのような成功談をかましたいのが彼らのメンタリティなのです。

高度経済成長期は、右肩上がりの時代。やりがいを犠牲にしても昇給昇進が約束されていました。

でも日経平均横ばいの現代日本では、我が身を犠牲にしてもご褒美がもらえる保証はありません。我が身を犠牲にしてまで得られるものがない時代に、会社のために犠牲になりたい人はごく少数でしょう。

個別化の世界観は企業にはない

彼らが理想とする個別化の世界では、自分独自の強みを活かして活躍するイメージですが、標準化に最適化された企業では「あなた独自の強み」を支援されることはありません。

「リーダーシップモデル」や「コンピテンシー」などの、会社側が勝手に標準化した能力に必要な教育を施されるのみです。「あなたの強み」がリーダーシップモデルから外れたところにある場合に、ほとんどの企業はあなたの強みを伸ばす支援をしてくれないでしょう。

数万人の従業員がいる会社で、数万人の独自の強みを一人一人管理し、個別で適切な教育や支援を提供するには、管理コストが重すぎます。

個別化の価値観が強まる時代でありながら、企業はその支援を上手にできてないという状態が「今」なのです。

誤解の内容にお伝えしておくと、標準化は悪ではありません。事業をスケールする時に絶対必要な考え方ですし、標準化のおかげで従業員は効率良く快適に、残業がなく働けます。

ただし、標準化だけに最適化された組織からは人が離れます。
「自分ならでは」の居場所も出番もそこにはないからです。

時代の流れから考えると、個別化への対応も企業は具体的に考えていく必要が求められているのですが、本部は管理も支援も手に負えない状態です。一体どうすればいいのでしょうか?

個別化の機能を請け負えるのはチームだけ

結論、個別化に対応できるのは企業ではなく、チームに任せるしかないといえます。サイズが小さい単位でないと、個別化に対して最適な施策を取るのは難しいのです。

そしてそのカルチャーを作り、全体の標準化とバランスを取るのは「チームリーダー」です。

彼らが個別化の思想を持ち、要点を理解し、部下の強みを活かし、ワークエンゲージメントを高めるサポートをしないと、これからの組織は人が離れていくのは避けられません。

本質的な企業価値を向上していくにはチームのエンゲージメントに影響を与えるグレートマネージャーの存在が不可欠になります。

企業は、グレートマネージャーを1人でも多く輩出し、支援する体制を作らなければなりません。

エンゲージメントを従業員任せにし、支援しない会社は従業員に選ばれなくる時代に入りました。

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